日本パソコンの星だったNECも中国に買収される




NECの社長ってどんなひとだっけ?
(あとで剪定)

落ちこぼれ科学者がいまや「レノボのドン」楊元慶の背後に中国政府あり
IBMNECを次々に買収
2011年02月07日(月)
近藤大介
北京のランダム・ウォーカー
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2022
 
 このほどNECが、中国最大のPCメーカーの聯想(レノボ)との全面提携を発表した。こちら中国では、「聯想が日本最大のPCメーカーNECの買収に成功」と一斉に報じられた。この6月までに聯想NECに1億7500万ドルを支払い、5年後に2億7500万ドルを支払うことで、NECの個人用パソコン部門を完全買収する予定だという。

 聯想は2004年に、17億5000万ドルでIBMの個人用パソコン部門を買収したが、この時の「アメリカ制覇」に続き、今度は「日本制覇」を成し遂げたというわけだ。聯想集団の楊元慶CEO(46歳)は東京で、「企業買収はわれわれの最大の'武器'だ!」と中国メディアに興奮気味に語り、その雄姿が中国全土に映し出された。

 聯想は、1984年に、中国科学院計算技術研究所の科学者だった柳伝志会長(66歳)が、北京のシリコンバレー「中関村」で興した会社だ。柳会長は現在でも、「聯想のドン」として君臨している。私はこの春節(旧正月)の連休を利用して、かつて中国科学院で柳会長の教授だった旧知の老科学者を訪ねた。「NEC買収のニュースに驚いた」という老科学者は、感慨深げに語った。

「柳伝志が中国科学院にやって来たのは、確か1970年頃の事でした。当時は文化大革命の嵐が吹き荒れていて、広東省珠海の農場からやって来たひょろっとした青年が、柳だったのです。その後、われわれの助手として働いてもらったが、科学者としては凡庸でした。本人も途中で科学者の道を諦め、総務畑に移った。

 1984年になって、その柳が、『訒小平の改革開放政策の波に乗って、われわれも中国のIBMを創ろう』と提議した時は、『アジア最貧国の中国にそんな会社は創れない』と、反対したものです。当時は、われわれのもとにも3つの大部屋にまたがるような大型コンピュータが一台あったきりで、中国のコンピュータ産業は五里霧中の状態だったのです。

 それでも柳の発案に、10人の同僚が同意して、20万元(現在の邦貨に換算すると250万円)の元手を捻出して起業しました。それが今や、アメリカ最大のIBMを買収し、日本最大のNECを買収する巨大企業に成長したのだから、まったく信じられないことです」

 この老科学者は、自宅隣にある聯想の巨大な本社ビルを、窓越しに眺めながら続けた。

聯想は、始めはIBMの中国国内の代理商を細々とやっていました。それで、1980年代末に初めて社員の公募をし、その時応募してきたのが、中国科学技術大学修士号を取ったばかりの若い楊元慶でした。柳は楊を息子のように可愛がり、年若いのに異例の出世をさせたのです。

 以来、柳が社内外で睨みを利かせ、楊が自由奔放に事業を拡大していくというのが、聯想の経営スタイルとなりました。IBM買収の時も同様でしたが、今回のNEC買収も、おそらく楊が発案し、柳が社内と共産党幹部を説き伏せたのではないでしょうか」

美人秘書に英語を通訳させ
 私は柳伝志会長とは面識がないが、楊元慶CEOには、一度だけ話を聞いたことがある。2004年に、あるヨーロッパ系の団体が北京で主催したパーティに、招かれて行った時のことだ。当時、IBMを買収し、一躍「時の人」となっていた楊氏が、そこへ顔を出したのだ。この時、38歳の楊氏は、美人の秘書を4人も侍らせ、意気揚々としていた。英語は苦手のようで、欧米人との会話の際には、秘書の一人に通訳させていた。

 私はその時、楊氏に、「5年後、10年後にどのような見通しを持ってIBMを買収したのですか?」と聞いてみた。すると楊氏は、「明日のことなんか誰にも分からないさ。でもチャレンジしてみることが大事なんだ」と、ぶっきらぼうに答えた。大企業の経営者というよりは、無鉄砲でやんちゃな坊やのように映った。

 いまにして思えば、柳伝志という「押さえ」が利いているからこそ、楊元慶の「やんちゃ経営」も成り立つのだろう。楊氏はこの5年ほどは、アメリカに拠点を移し、買収したIBMの経営を行っている。

 ところで、今回の「NEC買収劇」で見誤ってならないのは、聯想は、完全な民間企業ではないことだ。現在の聯想は、2009年の売上げ1063億元(1元=約12・6円)という聯想ホールディングスの下に、聯想集団、神州数石馬、聯想投資、融科智地、弘毅投資という5つの企業が連なっている。IT、投資、不動産の3業種にまたがり、聯想ホールディングス、及び神州数石馬を除く4社の会長に、柳氏が収まっている。

 楊氏は、聯想集団のCEOである。そして、聯想ホールディングスの株式の36%は、いまだに中国科学院が保有しており、最大株主となっているのだ。中国科学院は、言うまでもなく中国政府直轄の国策研究機関である。つまり聯想は、あくまでも中国政府の国策に則って企業経営を行っている「国有企業」なのである。

 社会主義を標榜している中国では、上場している主な大企業は国有企業である。昨年の国有企業全体の売上げは、前年比32・1%増の16兆6968億元にも達し、純利益も前年比40・2%増の8489億元に上った。実に半年間で、国有企業が日本の国家予算分を稼ぎ出している計算だ。

 そして現在、中国政府が掲げる最大の国策とは、中国企業の「走出去」に他ならない。これは「走り出て去る」の言葉通り、中国企業の海外進出奨励策である。かつて日本政府がODA(政府開発援助)などを通じて日本企業の海外進出をバックアップしたように、いま中国政府は、中国企業の海外進出を、全面的に後押ししているのだ。今回の聯想の「NEC買収劇」も、まさにその典型例と見るべきなのである。
 
 現在の中国は、欧米が250年、日本が150年かけてきた経済発展の道のりを、わずか30年余りで突き進んでいる。そのため中国企業は、地道に新技術を研究したり、新製品を開発したりしている余裕がない。そこで政府の懐にモノを言わせて、「そんなものは買ってしまえ」という発想になるわけだ。

似ているのは顔と文字ぐらい
 こうした状況を鑑みると、今回のNECのケースは端緒に過ぎず、今後、中国の有力国有企業が、続々と日本企業を買収する時代に突入すると見るべきだろう。不動産、金融、石油、ITなど、すでに中国企業が日本企業を規模で凌駕している分野では、いつ中国企業の「日本買い」が起こっても不思議ではない。

 いや、今回の「NEC買収」が、両社が初めて接触してからわずか8ヵ月で成約したことを思えば、すでに水面下では、「第2のNEC」が決まりかけているのかもしれない。

 だが、最後に忠言を述べると、いくら机上で日中両社にとって利益倍増と踏んで合併・合弁に臨んでも、前途は多難であろう。企業を動かすのは、あくまでも人間だからだ。日本人と中国人は、「一衣帯水の隣人同士」とは言うものの、私の経験では、地球の裏側を一周回ってきてようやく行き着くほどの「距離感」がある。

 似ているのは顔と文字(漢字)くらいで、実際は互いに「異星人」なのだ。「文化の差異」から来る日中間のビジネスの労苦は、これを経験した者にしか分からない。その意味で、NECの今後の苦労が偲ばれる。

−遠藤次期社長の座右の銘は。
    
遠藤氏:「傾聴」だ。NEC社内のリーダー研修で、韓国サムスングループ第二代会長の李健熙(イゴンヒ)氏の足跡から感銘を受け、傾聴を座右の銘とした。
    傾聴の姿勢は心の柔らかさにつながる。常に「耳を開く」という姿勢を保つようにし、組織のちょっとした変化も見逃さないようにしている。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20100225/345087/

(『選択』2009年6月号)
 矢野氏は通信事業強化を打ち出し、NTTが進める次世代ネットワーク「NGN」や海外の大型プロジェクト獲得で成果を挙げる。そして確かに、〇六、〇七年は通信インフラが大きく稼いだ。通信インフラ部隊の本拠地である玉川事業場では、すでに完工した二つの高層ビルに加え、昨年秋には百四十億円を掛けた新オフィスビルの建設を始めるなど、不振企業とは思えないほど設備投資のアクセルを踏んだ。

 ところが昨年度は業績が急悪化。金融危機に端を発する通信キャリアの投資落ち込みだけでなく、「中国メーカー、華為技術とのシェア争いで劣勢になっているのも原因だ」(アナリスト)。強権でならす矢野氏の存立基盤はきわめて危うくなってしまった。
 
 社内の亀裂は深い。ポスト矢野を、通信系から持ってくればコンピュータ系は納得いかない。だからといって実績を上げているコンピュータ系から社長を選べば、事業の力点が変わり、通信系は冷や飯を食わされる。NECには、普通の会社であれば必ずいるはずの「本社系、管理系」の有能な人材がいない。であれば、社長を外部から招聘するしかないのだ。
 
 NECは歴代、社長は孤独だ。矢野社長の周辺にも歴代社長と同様、ブレーンは居らず、裸の王様。「外部のコンサルティング会社と組みながら、意思決定を進めてきており、何をやるにもコンサルタントが出てくる。社内は完全にしらけている」(NEC幹部)。そして今や、コンサルの意見を取り入れて、全社をまとめるためには社外から経営者を