中国人には経済戦争を戦っているという自覚が十分にあると思う。
断腸の思いで外国人に中国で美味しい思いをさせているうちに、技術をすべて盗むのが戦略だ。
そしてそれが可能なのは中国経済が急成長している間だけでありタイムリミットがあることも理解している。
要するに中国人としては早く日本など必要の無い自立した科学技術大国になりたいわけ。
それを分かりつつ日本は中国に対抗し必要とされる優位を保つという曲芸を求められているのだった。

2011年2月14日(月)
日中協力は「狂騒」から「競争」、そして「協創」へ
中国の技術開発力を測る(後編)
石原昇
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110208/218361/
中国の脅威は圧倒的物量である。13億人の人口と世界1の資金量である。そして国策による集中支援である。科学技術や研究開発でも、上位数%は質が高く、それなりの量になる。これが好循環すれば質はさらに向上し、裾野は拡大していく。


中国の技術開発力の量と質

 OECD統計によると、中国の研究者数は、2008年時点で159万人(中国全国科学研究開発資源調査では2009年に229万人)と世界一多い。2位は米国の141万人、日本は65万人、ロシアは45万人である。科学技術の論文シェアは、2008年時点で、米国に次いで2位にある。米国は27.9%、中国が10.5%。以下、英国7.7%、ドイツ7.5%、日本7.0%と続く。しかし、論文の被引用回数のシェアを見ると、米国の55%、英国およびドイツの12%、日本の8%に対し、中国は6%と質を伴っていない。

 2009年の中国の大卒者数は611万人、日本の54万人の10倍以上である。全世界から米国へ渡った留学生は、70万人ほどいた。このうち、中国からの留学生が約12.8万人で18.5%を占める。トップを争うインドを上回った。ちなみにこの10年間で半減した日本からの留学生は、台湾にも抜かれて6位である。米国の博士号取得者の出身校は、1位が中国の清華大学、2位が北京大学、3位が本国のUCバークレーと驚くべき事態になっている。

 実際、中国の研究機関や大学のトップには、海外留学経験者が多い。中国科学院傘下の91の研究所所長の75%、中国重点100大学の学長の70% に達する。これに対し、日本の国立大学の学長のうち留学経験者は32%である。また中国の研究機関のトップは、40代以下が70%と若い。

 こうした海外の経験や若さが、中国における基礎研究体制を改革していくと予想される。したがって将来、中国人研究者がノーベル賞を受賞する可能性も高くなる。しばらく時間を要するものの、2020年代までには実現しよう。ノーベル賞は、研究成果を発表した後、30〜40年後に授賞するのが実情だ。その時、日本が追いつけなくなる事態も予見される。

 ノーベル賞に最も近い日本人科学者の一人、細野秀雄東工大教授に、先週伺った話は辛辣だった。「今現在、物質・材料分野の研究で日本は間違いなく世界一。しかし中国の追い上げは予想以上であり、2009年からトップジャーナルの掲載論文で日本を上回る勢いにある。3年後、日本がトップである保証はない」と警告する。


相次ぐ大学発ベンチャー

 中国は90年代以降、基礎研究を中心とした大学や公的研究機関の成果を、産業化する政策を強化している。このため大学発・研究所発ベンチャーの設立が増加した。その多くは、サイエンスパークで起業し、インキュベーション施設で大学や政府の様々な支援を受けて成長する。北京大学の方正集団、清華大学の同方集団、中国科学院のレノボなど、世界的なIT企業が大学や研究機関から巣立った。2009年の北京大学の技術移転収入は、1.8億元(約22.4億円)と、東京大学の2.4億円の10倍の規模がある。産学官連携が日本と比べて大きな成果をもたらしている。

 国務院直属の自然科学の最高研究機関、中国科学院も多くの企業を輩出している。その傘下の計算技術研究所の研究員が1984年に設立したのがレノボ聯想集団)である。外国ブランドのパソコン販売から出発し、漢字入力システムの開発で飛躍。1990年に自社ブランドのパソコンを発売。2004年にIBMのパソコン部門を買収した。そして今年1月、パソコン事業におけるNECとの合弁会社の設立を発表した。競争の激しいPC業界で世界4位となり、上位を目指す。

 また中国科学院の傘下にある北京ゲノム研究所は、海外留学経験のある研究者を擁するライフサイエンスの一