アメリカの領土拡大

まぁ盗人猛々しいとはこのことですな
  

 

1776年:東部13州(勝手に住み着いたり騙したり)+英領ルイジアナの独立宣言、1783年休戦。仏露西による英への嫌がらせが勝因
1803年:ルイジアナ購入 革命でカネがなくなったフランスより ⇒ まったく出自が違う南部が編入されることで南北戦争の伏線に
1818年:英領カナダと米領ルイジアナの一部を交換
1819年:西からフロリダを買収
1830年:ジャクソン大統領は米領地でインディアンを民族浄化 ⇒ 涙の道
1844年:領土拡大論ポーク大統領登場
1845年:係争地オレゴン編入宣言
1845年:ManifestDestiny発表される
1846年:係争地テキサス編入宣言 ⇒ 太平洋岸に到達!
1848年:カルフォルニアを侵略編入 ⇒ メキシコで禁止された奴隷制が復活 ⇒ 南北戦争の伏線
1853年:日本開国強要
1861〜1865年:南北戦争
1858年:カルフォルニア南部購入
1867年:アラスカ購入 クリミア戦争でカネがなくなったロシアより
1871年:インディアン絶滅宣言 ⇒ インディアン大虐殺
1890年:未開地消滅宣言
1898年:ハワイ・グアム併合
1898年:フィリピン・ハバナ・グアム・プエルトリコを植民地化 ⇒ 米比戦争 植民地総督マックアーサー 60万人大虐殺
1899年:対中国門戸開放要求

   

 私はここからわが国に深く関係する問題が出てくると思うのです。つまり北アメリカの北部の人々の世界に対する意識はその中にキリスト教の信仰というのがさっきから何度も問題として出てくるのわけですが、インディアンを改宗させる、これは南アメリカでももちろんあるのですが、一種の十字軍的な宗教戦争的な意識があった。異民族をとにかく改宗させるというのがあって、こう言っているんですね。「マタイ伝」二十四章二十七節のイエスの予言「神はこの世界の終わりにあたって、その福音を西に伝えようとおもっておられた。福音はかつて東から昇り、これまでは光によって東を照らしていたが、この世の後半期になれば西のほうに傾き、沈む前にはこの西方の部分を輝かしい光で照らしたまうのである」と。(略)
マニフェスト・ディスティニーのことは聞いていると思いますが、1845年にニューヨークのジャーナリストのサリバンという人が最初に使った特殊なイデオロギーで、テキサスをメキシコから奪って併合するときに、論じられた言葉です。(略)
これを第七代大統領ジャクソンは白人のアメリカ大陸への西進、西へ進むことを進歩と文明のマーチと言ったのです。マニフェスト・ディスティニーというのは侵略の暗号ですから、フロンティア精神と言い換えました。(略)
アパッチ族が捕らえられて監獄に送られて軍隊の監視下に置かれたのですが、その留置は1914年まで続いたと言うんです。
(『反日マスコミの真実2010』西尾幹二:思想の誕生第12回「神の国アメリカ「神の国」日本(二)p185-186)

  

<米国戦争の主な戦死者>
独立戦争: 4044
米西戦争: 5400
米墨戦争: 13270
南北戦争:618000 (北36+南26)
 
WWⅠ :115000
WWⅡ :318000 (対日6+対独26)
朝鮮戦争: 33000
米越戦争: 58000

 
追記)
どうも米国の戦死者数は過小にカウントされている疑いがある。救護体制がしっかりしており戦傷護送された段階でカウントから外れるからだ。
その後死亡する例も多いので実態は他国と比較する場合は1.5倍くらいでみるべきではないか。
すると太平洋戦争での軍人死者が日:米=150万:10万とキルレシオ15でイメージが合う。うち硫黄島沖縄戦で5万人だったろう。
すなわちWWⅡでは2/3が欧州戦線で1/3が太平洋戦線で死亡したし、その多くは本土防衛戦での死者なのだ。
ドイツ本土決戦での主力がソ連軍であったことは知っての通り、これでも米軍の戦死者は抑制されている。
だから米軍主力で日本本土決戦が行われたなら10万人規模の死者が発生して死傷者比率が逆転し、米国世論は大いに動揺しただろう。
これは米国の完全勝利は危うかったことを意味する。だからソ連に参戦依頼したわけだ。
  

オリンピック・コロネット作戦
  
1945年11月、35万人を以て九州を強襲し橋頭堡を確保。翌1946年3月、110万人を以て関東上陸作戦を決行(Y-Day)首都を制圧する。
総兵力150万人。対する日本国土防衛隊は700万人。沖縄では米軍55万人、日本軍12万人だったためより日本軍に優位な状況であった。
沖縄決戦でのキルレシオを参照すると10〜70万人の戦死が予想された。