悪魔レオポルド2世

『闇の奥』の奥―コンラッド/植民地主義/アフリカの重荷

『闇の奥』の奥―コンラッド/植民地主義/アフリカの重荷

 

 

 

コンゴの苦しみ
悪魔の国ベルギー王レオポルド
〜人類の悪魔〜
  
「もしもレオポルド王によって流された無辜のコンゴ人民の血をバケツに集め、そのバケツを一列に並べたら、その長さは2000マイルに及ぷであろう。王の手で餓死させられ、虐殺された1000万の死骸が立ち上って行進を始めたら、一点を通過し終わるのに7ヶ月と4 日間を要するであろう・・・・・・」
マーク・トゥエイン
  
 べルギーのレオポルド王が世界中の美女を金にまかせてあさったことは有名であるが、そのお金はこのようなコンゴ人民の血で購われたものであった。
 
 コンゴを支配したベルギーはこの地から得られる富として、象牙やゴムに目をつけた。凄まじいコンゴ人搾取は植民地支配の恐るべき実態である。
 イギリス人宣教師A.E.スクリヴェナーの見たゴム集めの実態
 
•その手紙
  ……すると、驚いたことには、白人の兵士たちは即座に数名の原住民を銃で射殺した。それから原住民たちをなぐりつけ、
 『もっとゴムを持ってこい、さもないと皆殺しにするぞ』と威嚇するのだった。すっかり恐れおののいてしまった原住民たちは、そこで携行食料の準備にとりかかった。なぜならゴムの林へ行くには、往復二週間を要するので、その間村をあけなくてはならなかったからだ。彼らが家の前に座りこんでせっせと出発の支度をしていると、そこへベルギー兵がやってきた。そして怒って叫んだ。
 『なんだ、貴様たちは?まだ出かけなかったのか?何をグズグズしているのだ?』たちまち銃声がひびきわたり、またもや数人の原住民が、白分の妻子たちの目の前で、あっというまに射ち殺されてしまった。妻子たちは泣き叫んで悲しみ、死骸を埋葬しようとしたが、それすらも許可されなかった。今すぐ、直ちにゴムをとりに行け、というのだった。
 『食物を持たずに?』と彼らは聞き返した。
 『そうだ、食物を持たずにだ!』と兵士たちはどなった。そこで哀れな原住民たちは、たき火を作るほくち箱の用意すらなしに、手ぶらで出発しなくてはならなかった。森へ行きつくまでの間に、多くの者が飢えと夜の寒さとのために死んでしまった。さらに多くの者が銃殺された。
(略)

  『ゴム採取が始まって以来』と彼らは語り始めた。
  『兵士たちが余り多勢の人びとを射殺したので、わしたちは死骸を片づける元気もなくしてしまいました。それに、埋葬の許可も与えてはもらえなかったのです。だからわしたちは死体を草地の上へ引きずってゆき、そこへ放り出しておきました。このあたりをお調べになれば、まだあと幾百個もの骸骨が見っかりますよ。』
(略)

  原住民たちはいずれも臆病そうな様子をしてブルブルふるえていた。恐るべき暴行と、奴隷の苦役とが、実際に行なわれている事実を、私は明らかに自分の目で確かめることができたのである。
(マークHトゥエイン、佐藤喬訳『レオポルド王の独白』理論祉)
 
ベルギーのレオポルド2世は、自分個人の所有物はどう扱おうと勝手であるとして、内外からの多くの非難を無視してコンゴ人を徹底的に搾取した。
とくにゴムを採取することを強要し、規定の量を集められなかった者をその場で銃殺するという、恐るべき方法で搾取を強行した。この手紙は、その実態を目撃した宣教師の報告の一節である。
 当時のヨー□ツパやアメリカでは、自転車・自動車の普及が始まり、タイヤの原料であるゴムの需要が急増し、世界的なゴムプームが起きていた。ゴムの木から採取した白い樹液ラテックスはすぐ変色して黒い色になるため、人々はこれを「黒い金」と称してその獲得に狂奔した。ゴムの木はプラジルやアフリカの密林にポツン・ポツンと自生していた。「黒い金」を目当てにヨー□ツパ資本に雇われた移民たちがアマゾン川流域に送り込まれ、劣悪な気候・労働条件のもとで働かされたため、伝染病やかっけなどにかかって多くの労働者が犠牲になった。レオポルド王の、ゴム集めは、このプラジルの比ではない犠牲をコンゴ人に強いた。
レオポルド王支配下の20年間に、コンゴの人口は2500万人から1500万人に激減したと推定されている。
http://www.geocities.jp/shokatusei/Memorial/30000a.html