儒教 ルサンチマンの宗教

   

儒教ルサンチマンの宗教 (平凡社新書 (007))

儒教ルサンチマンの宗教 (平凡社新書 (007))

   
漏れは儒教は好きではないし興味もない。
ただ歴史的存在として勉強しただけだ。
で、漏れの儒教理解に決定打を与えたのがこの本だ。
そう、簡単に言えば孔子が始めた”儒教”って「どっちが偉いのか?」のルールブックなのだ。
つまり儒教とは差別宗教なのだ。
逆に言えば対等とか平等というヨコの関係がない。必ずどちらかが上でどちらかが下になる。タテ型宗教である。
朱子学なんて、それをさらに極端化した差別原理主義だが、世界で唯一この差別原理主義が社会原理とされたのが李氏朝鮮だった。
それに対して日本人のほとんどは儒教なんか知らないし、神道も仏教も平等主義だ。
アジアのほとんどの国でも平等系宗教が支配的だ。
   
宗教観=社会原理が違っていると当然民族性もまるで違ってくる。
あんまり嫌韓みたいなことは書きたくないし、例外は常にあるのだが、漏れの狭い知見の範囲でも韓国朝鮮人は東南アジアで嫌われているケースが多かった。
ずっとなぜだろうと思っていたが、結局それは個々の朝鮮韓国人がいい人か悪い人かという問題ではなくて、彼らの民族文化のスタイルそのもののせいだと気がついた。
縦型宗教の韓国朝鮮人は上下関係が決まらないと人間関係が築けないのだ。
で、経済的に”遅れ”、彼らの価値観からはずれた文化をもつアジア諸国を韓国朝鮮人は安心して自分より劣位にあると捉えてしまう。
アジア人だって馬鹿じゃないから、そういう本心はすぐ見抜く。だから些細なことで韓国朝鮮人は嫌われる。”心根”の問題なんだよね。
あれ、以前にも書いたな、この話。