朝鮮民族は「単一民族」か?

 
へぇ、やっと単一民族イデオロギーの虚構を指摘するようになったんだな。
ただ短い記事なのに「人種」「民族」「文化」が混用されているのはいかがなものか(笑)
 
世界はウリをイケメン認定してるニダ、という自慢から始まるのはご愛嬌としてw
朝鮮人の「体格」が優れていると指摘されているのは事実だ。
朝鮮の腐敗堕落を指摘する同じ著者がそう書いていたりする。
でもご面相についてではなかったはずだけどwww
あと面白いのはイザベラ・バードなんかは中国領に住む朝鮮人コミュニティをみて、
朝鮮人は馬鹿ではなく本国の政治が糞すぎるんだろう、と感想を記している。
これは今の北鮮を想起するとよくわかるね。
南は栄えているんだし。
 
ところでベネディクト・アンダーソンを持ち出すまでも無く国家レベルの「民族」なんてのは近代の発明だ。
(アホサヨクが曲解するように、まったく「民族」概念がなかったというのは言いすぎ)
長英戦争で下層農民は外国人侵略者の下働きに躊躇が無かった。
戦争はサムライがするもので農民は関係ないと思っていたから。
運命共同体としての国民という認識がなかったのだ。
そしてこの国民意識民族意識は実は同じものだ。
国民国家が普及したとき、未だ多民族帝国に包含されたままの前「国民国家」的単位を「民族」と呼んだだけなのだ。
だから「民族自決」とはすなわち「帝国解体」でもある。
1919年のウィルソンの民族自決主義とは米帝が欧州解体を狙ったものだった。
墺帝国・露帝国・土帝国の解体、英帝国・仏帝国の植民地放棄が目標だ。
因みにこのとき米帝も植民地をもっていたが、独立の空約束だけしてなにもしなかったのは周知のとおり(笑)
それをあたかも「民主主義がひろまってよかったね」みたいな理解をしているお花畑は早く死滅してください。
そして国民=民族として独立した国家が創造したのが「民族の起源」の神話である。
そこではあたかも現国民国家が民族という形で遥か古代から存続しているように語られる。
1民族1国家で起源を語るから「単一民族」の神話になるわけ。
事実としての単一民族国家なぞ地球上に存在しない。
こんなことはちょっと考えれば分かることだから近代化期を過ぎた国家が真顔で語ることはない。
韓国は建国のアイデンティティが脆弱だったので逆に強烈な単一民族神話が喧伝された。
その見直しの動きが出てきたのは近代国家として安定したということだろう。
 
だいたい史書をみれば朝鮮半島が様々な人種・民族の雑居地帯だったことは明白だ。
その混交は中世まで続き、所謂「朝鮮民族」が形成されたのは14世紀の李朝になってからだ。
逆にそれ以降は20世紀まで鎖国状態が続いたので「朝鮮文化」は均質である。
だから昔から多文化社会だったなどというのもグローバリズムに阿った捏造だ。
李朝の正嫡である北鮮をみればわかるでしょ。
  

【歴史】韓国単一民族説の虚像!元々朝鮮は多人種国家だった…単一民族説は作られたイデオロギー [12/09]
1 : [―{}@{}@{}-] Korean Monkeys (韓国猿)@動物園φ ★:2010/12/09(木) 20:30:43 ID:???
 
 旧韓末に多くの西洋人が外交・布教・貿易・探険などの目的で朝鮮を訪問した。
彼らは朝鮮に対する見聞録を多数残したが、これらの記録らは当時西洋人たちに映った朝鮮がどんな姿であったのかを具体的に見せてくれる。
 
 これらの資料を見れば西洋人たちは朝鮮人が他の東洋人たちに比べて体格条件が優れると考えたようだ。フランス考古学者であり鉄道技師であったブルダレ(E. Bourdaret)は朝鮮人たちの平均身長を調べてみると中国人や日本人より大きい162?だったと記録した(『En Coree』、1904)。英国地理学者ビショップ(I.B.Bishop)も朝鮮成人男性が平均163.4?の身長にハンサムな容貌と良い体格を持ったと言及した(『Korea and Her Neighbors』、1897)。
 
 また一つ興味深い事実は、西洋人らには朝鮮が多人種国家に見えたという点だ。
オランダ医師シーボルト(Fr. von Siebold)は朝鮮人らの外観にコーカソイド族とモンゴル族の特性が両方見えると語し(『Nippon』、1840年代)、プロイセン商人オッペルト(E.J.Oppert)も朝鮮人を互いに違う2つの民族が混ざり合った人種だと考えた(『A Forbidden Land:Corea』、1880)。イタリア外交官ロセッティ(C.Rossetti)も朝鮮人が東方人と南方人の混血だと話し(『Corea e Coreani』、1904)、英国人画家レンドール(A.H. Savage Landor)は朝鮮人が「あたかもアジアに居住している全ての人種の標本がその小さい半島に定着しているかのようだ」と見た(『Corea or Cho-sen』、1895)。
 
 このように朝鮮人を色々な人種の混合で見た西洋人らの記録は最近学者らが提起している韓国単一民族説の虚像に対する議論ともよく合致する。 イ・グァンスの『朝鮮民族論』(銅鉱、1933)以前までは朝鮮人が単一(血統)民族だと表現されたことがなかったという。シン・チェホ(『毒蛇新論』、1908)、パク・ウンシク(『夢拜金太祖』、1911)などは朝鮮人が多様な民族で形成されているという事実を特別な拒否感なしに認めていた(パク・チャンスン、『民族、民族主義』、2010)。ところが日帝強制占領期間や南北分断などの歴史的・政治的脈絡によって単一民族という「イデオロギー」が「作られて」負けたのだ。

 したがって今日韓国に移民・国際結婚が広がることを見慣れないと考えたり差別的な視線で眺める必要がない。元々韓国は多様な外観の人々が共存して色々な人種らが共に混ざって住む「多文化社会」であるからだ。 ちょうど今日は世界人権宣言日だ。
 
建国(コングク)大身体文化研究所研究員
 

 フランスの考古学者・鉄道技師であったプルダレは京義(キョンウィ)線付設のために労働者を募集しながら身体検査をした。彼はこの時、測定した朝鮮人らの体についてCentre(E. Chantre)とともに研究し、論文で発表した。絵は彼の論文「韓国人、その人類学的スケッチ」(『リヨン人類学会誌』 第21冊、1902)に収録された韓国人の姿である。
 
ソース:中央日報(韓国語) [イ・ヨンアの世論女論] 朝鮮は本来「多文化社会」であった
http://news.joinsmsn.com/article/460/4773460.html?ctg=1200&cloc=joongang|home|newslist1