M-Vの廃止で、かつての宇宙研は死んだ

予算削減のせいで工学試験衛星を作れなくなった。
そこでやむなく観測衛星に工学試験を担わせたのが「あかつき」のセラミック・スラスターだったのか。
そういう意味で「はやぶさ」は宇宙工学部隊起死回生の一撃だったんだなあ。
しかし人材と科学技術しか飯の種がない日本国で、最初に削られるのが教育・科学予算ってどういうこと?
  
追記)
その後失敗の原因はセラミック・スラスターではなく燃料ポンプらしいことが分かってきた。

2010年12月10日(金)
「あかつき」周回軌道投入失敗から見えてくる宇宙工学の受難
あえて“初物”のスラスターを搭載した理由
松浦晋也
 
(略)
 まず工学側が新たな技術で道を切り開き、それを利用して理学側が観測成果を挙げるという好循環が確立していたといっていい。こ
れが崩れ始めたのは、ロケットがより大型のM-Vロケット(1997年初打ち上げ)に切り替わったあたりからである。M-Vは惑星探査機の
打ち上げを念頭に開発されたが、大型化に伴いロケットも衛星・探査機も価格が上昇し、同時に予算は増えなかったことから、年1機
のペースが崩れ始めたのだ。
 
 それに追い打ちをかけたのは、2003年の宇宙三機関統合だった。これにより宇宙研は独立した意志決定権を持つ組織からJAXAの一本
部に格下げとなり、JAXA経営企画の下に従属することとなった。統合により宇宙予算全般が削られ、しかも予算配分の決定権はJAXA
営にある。6人のJAXA理事のうちひとりは宇宙研のトップが兼任することになっているものの自主裁量の幅は大きく狭まった。
 
 減る予算を巡って、理学系と工学系の間に離反が発生し、研究者の数で優る理学系の衛星が優先的に計画化されるようになった。そ
こで使われたロジックは、「宇宙科学は、宇宙の研究が目的である。目的がまずあって、次に目的にあった道具の技術開発が必要にあ
る」というものだった。この考え方だと、工学系の自発的な研究は抑圧されてしまう。工学系は、理学系のために道具としての技術を
開発すれば良いということになってしまうのだ。
 
 決定打となったのは、2006年のM-Vロケット廃止である。これによりペンシルロケット以来のロケット工学研究はほぼ断絶し、一部
JAXA筑波宇宙センターに移って新型ロケット「イプシロン」(2013年度1号機打ち上げ予定)の研究に従事することになった。
 
 「M-Vの廃止で、かつての宇宙研は死んだ」と語るOBは多い。「自分たちの開発したロケットで、自分たちの衛星を打ち上げる」と
いうことが、宇宙研の「理工一体」体制をを支えていた。ロケットがなくなったため、新ロケット1号機という工学系の指定席もなく
なった。その一方で衛星開発は理学系が優先されたために、工学系は研究成果を宇宙空間で実証することすらままならなくなった。
 
 かつて、5年に1回打ち上げていた工学試験衛星は、小惑星探査を行った「はやぶさ」(2003年打ち上げ)以降7年間も途絶えてお
り、現在も後継計画は予算化されていない。
(略)
 
 事故調査を単なる物理的な原因究明に終わらせてはいけないだろう。その背景には2003年の宇宙三機関統合と2006年のM-Vロケット
廃止によって起きた、宇宙研の宇宙工学系研究の受難が横たわっている。必要なのは、糸川英夫以来の宇宙工学系の研究体制の建て直
しだ。工学は確かに道具ではあるが、我々は適切な道具なくしてフロンティアに進むことはできない。