韓民族のルーツ

     

   
まえにも書いたが朝鮮人というのは日本人以上に出自不明な民族だ。
自然環境が厳しく国際戦乱も多く民族移動が激しいためにそもそも単一の起源など求められない。
だけどどうも朝鮮人・韓国人は古代に漢人とタメを張った女真人の一派に朝鮮人という単一民族があったと考えたいみたいだ。
中国人≒漢人に対抗上そういっているのかもしれないが、そうなると清朝支配は同祖でOKとなりゃしないか?(^_^;)
   
下記の遺伝子検査から少なくとも韓国は基本的に南方系だと考えるべきだ。
なぜ母系要素に北方が強いかといえば北回りで定住した初期移民は北方系だったが人口が少なく、その後の大量植民集団に男子が多かったからだろう。
これは世界の植民地で見られる現象なので不思議ではない。台湾を見よ。
この混淆民が初期南部朝鮮人=韓人である。
ちなみにこれに対して女性含め江南要素が濃いのが倭人だ。
なぜ濃淡に差がついたのかは簡単なことで気候の厳しい朝鮮半島では食料生産性が低かったからだろう。
女真の一部の扶餘族が南下するのはずっと後で起源前後だ。
これは鉄資源の発見と関係がある。
まず中国商人が進出し楽浪郡帯方郡の植民都市(コロニー)に発展するが、それに並行して交易と略奪のために扶餘族の南下が始まる。
彼らは原朝鮮人に君臨し支配層を形成するが人口比では少なかった。
だから朝鮮人が源流を女真人に求めるのはあまりに恣意的でムリがある。
むしろ8Cの唐軍支配、13Cのモンゴル支配、14Cの女真人の李成桂による建国、文禄慶長の役での明軍進駐、の過程で北方要素が濃くなったのではないだろうか?
  

【韓国】韓民族のルーツ[12/12]
1 :超イケメンマスク( ヽ´`ω´ )φ ★:2009/12/12(土) 14:02:44 ID:???
  
 韓民族朝鮮民族)の祖先は一体どこから来たのか…。今から6−7万年前に東アフリカに誕生した人類の祖先が、インド北部を経て東南アジアに定着し、その一部がまた南北に分かれ、北方に移動した一派が中国東北部を経て、韓半島朝鮮半島)にやって来たとされる。これはアジア10カ国の科学者たちが2004年から、アジアの73民族の遺伝子を分析し、最近導き出した研究成果だ。
   
 米国の学術雑誌『サイエンス』に掲載されたこの研究成果は、韓民族が北方騎馬民族の後裔(こうえい)だというこれまでの常識を覆すものになるのだろうか。今回の研究成果で最も重要な点は、モンゴル民族をはじめとする北方民族の祖先も、元は東南アジアから来たというものだ。4−5万年前、東南アジアからアジア各地に散らばったアジア人の祖先たちが、後に北方騎馬民族と南方農耕民族に分かれたというわけだ。
   
 だとすれば、韓民族が北方騎馬民族の後裔であり、単一民族だという事実に変わりはないのだろうか。答えはノーだ。檀国大のキム・ウク教授は04年、韓国をはじめとする東アジア11カ国の民族集団の遺伝子を分析し、韓民族の祖先は、南方農耕民族と北方騎馬民族の遺伝子が6対4の比率で混ざり合っている」という研究成果を発表した。北方系よりも南方系の血が濃いというわけだ。これは約5000年前、中国から韓半島に稲作が伝わったことと関連があるものとみられる。
    
 だが一方では、韓民族の血筋は南方系よりも北方系に近いという研究成果もある。その根拠は何なのか。父親から息子に受け継がれるY染色体の分析結果によれば、南方系の遺伝子が多く現れ、逆に母親から娘に受け継がれるミトコンドリアDNAの分析結果によれば、北方系の遺伝子が多く現れるという。つまり、男性は南方系、女性は北方系が主流というわけだが、その原因はいまだ解明されていない。
   
 北方民族と南方民族が韓半島に移動し、その血が混ざり合ったとすれば、韓民族はかつての教科書に記述されていた通りの単一民族ではないことになる。しかし、容姿や体型だけで、あの人は南方系、この人は北方系などと決めつけるのは間違っている。韓国人は済州道の出身であれ、平安道北朝鮮)の出身であれ、長年にわたって混血を繰り返し、遺伝子が同質化したためだ。だが、国際結婚が急速に増えつつある今日、「民族(nation)」という単語自体、19世紀の欧州人が作り出した幻想だという考え方に立脚すれば、単一民族かどうかという論理をうんぬんすること自体、時代遅れの発想なのかもしれない。
  
http://www.chosunonline.com/news/20091212000041

   

【書籍】 モンゴル、満州韓半島、日本にかけて繁栄した韓民族のルーツ『大ジュシンを探して』 [11/22]
1 :蚯蚓φ ★:2009/11/26(木) 21:17:19 ID:???
http://img.khan.co.kr/news/2009/11/22/20091123.01100101000002.02M.jpg
   
韓半島を越えて「民族の根元」を掘る
   
「ジュシン(聚慎)」は古代において我が民族を呼んだ呼称だ。この言葉を漢字で表記して「朝鮮」になったのだ。ウラル・アルタイ語族でモンゴル、満州韓半島、日本にかけて繁栄した民族をジュシン族といい、彼らは万里の長城の南の漢族とは対立構図を成していた。
   
『大ジュシンを探して』(ヘネム)は学校で習った東アジアの古代史とは異なる見方から光を当てている。我が民族の源流を韓半島に限定せず、中国、満州、日本一帯にかけて広く研究したのだ。著者の金雲会(キム・ウンフェ)東洋大教授は「ジュシンの歴史を正しく知ることが私たちの真の姿を正しく知ることであり、東北工程を阻止する唯一の代案になるだろう」と明らかにした。
    
ジュシンが統治した清国は中国を運営しながらも根拠地の満州地域には柳木柵で障害物を作った。漢族の移入を防いでジュシンの正統性を維持するためだ。清が滅亡するや満州は自然に中国の一部になり、漢族の毛沢東はジュシンを永遠になくすために満州に漢族を大挙移民させて満州を漢族化した。北方蛮夷のジュシンをなくすことによって今日、東北工程の基礎を作ったのだ。だから今日まで毛沢東は漢族の傑出した英雄としてあがめられている。
    
私が会ったあるカザフスタン外交官は「我が国のウラル山脈の下にとても古いジュシンという都市がある」と喜んだ。中央アジアまで根がのびているジュシンの歴史を知れば中国漢族とジュシン族の根が深い葛藤の根源を理解できるはずだ。
   
著者は2つの民族間の避けられない永遠の対決に備えなければならないと話す。だが、それよりは漢族とジュシン族がもう東アジアの平和のために互いに協力できる妙案を探したらと思う。 <パク・テウォン韓国国際協力団(KOICA)理事長>
  
ソース:(韓国語) [本読む京郷]大ジュシンを探して、パク・テウォン韓国国際協力団(KOICA)理事長
http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?artid=200911221834195&code=960207&area=nnb2

   
追記)
それにしても不思議なんだが、檀君ていうのが朝鮮民族の祖先なのだとしたら「黒山葡萄原人」はどう位置付くのだろう?檀君の祖先?
天皇生物学者でダーウィニストだったのは近代君主なのでOKというのと事情が違うと思うんだけど・・・