南越と越南

 
ところで古代東洋史に興味を抱く漏れだが、特に気になるのが越人・呉人である。
倭人は呉の太伯の
百越
ベトナムは越南と書く
清朝に「南越」を拒否され「越南」と称した
それまでは大越
”中国人”難民と原住民の混成国家として出発
日本や朝鮮の建国の課程は?
南宋代に漢化が進む
泰にゆくと漢人とオーストロネシア系原住民の対立を感じる
南部イスラムの反バンコク意識
タイ族
呉人との違いは?
広東広西
チワン族はタイ系、言語
古代中国語はタイ系との説
「タイ」とは自由人という意味。タイ人の自称。逆に自民族以外はカー(角)と呼ぶ。これは奴隷の意味。
歌垣
ヤマト少数民族
倭人弥生人の関係は高砂族と閩南人の関係に類比的なのでは?
閩南語(広東語など)
呉語(蘇州語・上海語など)
古代中国の神話と苗族
山海経
    

しかし、近年では、タイ・カダイ語族、ミャオ・ヤオ諸語、オーストロアジア語族、オーストロネシア語族など近縁の言語集団との対照研究や考古学、人類学などとの学際的研究も進んだ結果、閩語、粤語、呉語など、かつて方言とされたものが、口頭言語としては互いに通じないばかりでなく、その違いが基層言語の違いであることも判明し、ゲルマン語派内の相互の違いに匹敵することから、単一言語ではなく、複数言語の集合体と考えるのが一般的になった(王育徳、橋本萬太郎、諏訪哲郎、 Oi-kan Yue-Hashimoto, Jerry Norman、Paul K. Benedict など)。そしてこの集合体を漢語諸語(シナ諸語)という名前で呼ぶ場合もある。

この中では広義の福建語の、その他の漢語諸語(中国語の方言)との隔たりは大きい。王育徳の研究 (1960) によれば、閩南語アモイ方言の場合では、スワデッシュの基礎単語200語で比較した場合、北京語との類似性(同源語)は 48.9% に過ぎず、これはドイツ語と英語の 58.5% よりも少ない、つまり遠い。また呉語蘇州話とでは 51.40% 、広東語とでは 55.31% 、比較的近い客家語とでも 58.65% しか類似性はない。中華人民共和国言語学者の研究(勝g曉華、李如龍、倪大白など)でも、漢語が単一の言語ではなく、特に広義の福建語がその中でも特異な性質を持っていることが指摘されている。

客家(ハッカ)は漢民族から分枝した特徴的な民族の一つである。もともと華北黄河流域、中原と呼ばれる地域に住んでいた後漢時代の漢族の「名門貴族」の子孫とされている。客家語は、かつて中原地方で話していたとされる、北方中国語の古語といわれている。そのため、数字の発音などが、現在の日本語の読みに近いなどといったことが言われている。

西晋永嘉の乱から、中原の漢民族は大挙して南に移住し、広東省江西省福建省の境界地域に到着し、土着の住民と雑居し、婚姻を交わり、1千年を経て現在のグループになった。その後、梅州を基地として大量に華南各省、さらに世界各地に移住した。梅州、贛州、汀州、恵州は客家四州とされる。

古代漢語
古代漢語(紀元前15世紀ごろ – 2世紀ごろ)

漢字の原形とされる甲骨文字(1899年に発見)が使われていた。
文法的に重要な役割を果たしていた接辞や不変化詞による修飾語の形成があったが、後期になると衰え始めた。
人称代名詞に格があった。今でも一部が客家語や湘語に残っている。
この頃の文献としては、諸子百家にまつわる書が残っている。
声母(頭子音)に複子音 sl-, pl-, kl-(例: 「監」*klam) などが存在した。
韵母の尾子音は豊富だった(例:「二」 *gnis)。
語順はタイ語的な完全なSVO型だった。(例: 呉 敗 越 于夫椒 「呉は夫椒で越を破った。」 S-V-O-Adv ⇔ 現代語: 呉軍 在夫椒 把越軍 打敗了。 S-Adv-O-V) (橋本、1978)
殷まではタイ語的な名詞-形容詞の語順および普通名詞-固有名詞の語順だった。(例: 殷の帝辛 ⇔ 周の武王) (橋本、1978)

中期漢語
中期漢語(3世紀ごろ – 宋代)

秦の全国統一によって、中原の言語が各地に伝播した。
2音節の熟語、動詞・名詞の範疇が発達した。
動詞の活用が消滅し始め、孤立語的な特徴を帯びるようになる。
当時、東・東南アジアにおける「国際語」的な地位になっていた。
李白杜甫・韓愈など偉大な詩人・文人を輩出した。
漢字の字体が統一され、規範的な字書が作られた。また、科挙試験によって、発音、字体、文法など、規範的な言語の使用が促進された。

近代漢語
近代漢語(元代、明代、清代)

語彙面、文法面で、文語と口語の差が広がった。明代から清代には、口語小説が広く書かれるようになった。
元代と清代には北方語を中心にアルタイ語の影響を大きく受けた。
元代口語には文末助詞の「有」が多用された。
都のあった北京の言葉を中心に中国語の統一がさらに進んだ。