山海経

古代中国人が周辺世界をどう見ていたかを理解するにうってつけの本がある。
山海経は堯舜禹に使えた東夷の伝説上のリーダー蠃益(かえき)(伯益)が書いたことになっている。
それを漢代の万能学者劉歆(りゅうきん)が蒐集し、晋のオカルト学者郭璞(かくはく)が編集したのが定本となった。
いちばん古い山経5書は周代に書かれたらしいが、その他の部分も古い資料を収集付加したということなので、いずれにせよ3世紀にはすでに古代の奇書扱いだ。
ともかくバケモノがたくさん出てくるのでみているだけで楽しい。
しかしあながち妖怪大図鑑とばかり言えないのは古代の周辺世界伝聞認識を反映していると思われるからだ。
昨今は三星堆の遺物と山海経の記述の奇妙な一致が話題になった。
日本人としては海外東経・大荒東経の記述が気になる。
  

中華世界の様子。

山経5書
・南山経・西山経・北山経・東山経・中山経
海外4書
・海外南経・海外西経・海外北経・海外東経
海内4書
・海内南経・海内西経・海内北経・海内東経
大荒4書
・大荒東経・大荒南経・大荒西経・大荒北経
補遺1書
・海内経

まんなかが天子のいる「人」が住むところ=中華。その周囲はヒトモドキの棲むBavaria。
「地」は四角く3重に重なりそれを囲む海は丸く終わっている。
  

これを模したのが天壇ですね。ここで黄帝が世界=天下を代表して天帝に挨拶するわけ。
  

「地」に対峙するのは「天」。見上げると天帝のいる北極星(太一・天皇)の周囲を星が東→南→西→北と反時計回りに回転しているようにみえる。
   

これが麻雀の席順に反映されているわけ。なぜ東西が逆なのかというと天空を見上げた形だから。
    
 
伯益さん                  郭璞さん
    

<まえがき by 郭璞>
 
 世間で『山海経』を読んだ人はみな荒唐無稽で異常な話ばっかりなので信じない。でも私は逆に山海経を読んで荘子が所詮人間は僅かのことしか知らないと言ったことを理解できた。宇宙は広大で生命は多様であり、陰陽はぐるぐる廻って精気が沸き立ち、死霊やバケモノが物質化して山川木石に現れる。いろいろ矛盾した話もお互いに付き合わせて総合的に考えれば異常に見えることでも異常ではなく、正常に見えることも正常とばかりいえない。どうしてそうなるかと言えば結局見る側が判断しているからで、異常というのは自分の側の判断であって物質の側はただ存在するだけだからだ。北の野蛮人は布をみても麻としか思うし南の野蛮人は毛織物をみても毛皮としか思う。人は見慣れたものに慣れてしまい、滅多にみないものは奇妙に思うものだ。もうちょっと言うと、氷でできたレンズで火が起こり火山から火鼠が生まれるのはみんな当然だと思っている。そのくせ山海経のことになるとおかしいと言う。これはおかしいと思うべきところでおかしいと思わないでおかしいと思うべきじゃないところでおかしいと思っている一例だ。思い込みからおかしいことをおかしいと思わなければおかしくないことになってしまうし、おかしくないことをおかしいと思えばおかしいことになってしまう。思い込みじゃなくて論理的におかしいことはおかしいとしおかしくないことはおかしくないとすべきだ。(略)
 山海経は書かれてから王朝七代(夏商周秦漢魏晋)三千年も経っている。漢代に知られるようになったけどその後忘れられてしまった。山川の名前はおかしいし現在の地理と一致しない。学者の研究も伝わっていかないからいつかまた忘れ去られてしまうかもしれない。せっかくの真理が世間から失われてしまうのは残念だ。そこで私は注解をつけ、変な部分を整理し、分かりにくいところを平易に書き換え、ポイントを押さえてわかりやすくした。この素晴らしい書物が忘れられず、珍しい物語が伝えられていきますように願っている。そうすれば夏王朝の歴史も周辺世界の記録も伝わっていくだろう。そうあってほしい。
 草むらで跳ねている小鳥は天空を飛ぶ大鳥のことは理解できないし、水溜まりに泳ぐ蛇は大蛇が竜になって空に登ることを知らない。天宮のメインホールには音楽家は入ることはできないし渡し船がない河を軍隊は渡れない。本当の知識人でなければこの本のおもしろさはわからない。あぁ、博学達識のひとよ!よくよく味わって読んでください!