姫一族と倭人

   
 
ところで周の建国=商・周戦争ってBC1100ならトロイ戦争と同じ頃なんだよね。クライマックスが牧野の戦い。
 

<姫家の歴史>
  
亶父→太伯・虞仲・季歴→昌→考・・旦

  
 
この人が武王發のひいお爺さんの亶父(たんぽ)
豳(ひん、現在の陝西省彬県)から岐山の南麓(同宝鶏市)に逃げてきたという。

陝西省ってどこだっけ?と見ると要するに西安のある省で古代中国の西端。
亶父の奥さんは羌族のひとというから子孫は半分遊牧民なわけです。

で陝の西というからには陝はどこかといえばダムで有名な三門峡市の一部なのです。
ダムを造るくらいですから黄河の渡河点だった場所で要するに物流拠点ですね。
周代はそこを境に東西を管轄したので陝西の名が残っているのです。
商代の都はいわゆる殷墟=安陽です。ずいぶん東側ですね。
安陽からみるとずっと西域寄りに周の都の鯨京=長安西安が定められました。
いかにも西域との交易拠点という感じです。
この辺に古代中国の出自の怪しさがあるわけです。

話を戻して亶父さんの逃走経路を地図で見ると100kmもない。
いくら古代でも3〜4日の距離です。
どうして大騒ぎするのかよく分かりません。経歴詐称のためでしょうかw
 
3人の子、太伯・季歴・虞仲の順でならんでます。
亶父さんが孫の昌くんを指名したので末っ子の季歴さんが2代目になりました。
こういうのは玉の輿というんでしょうか?
末っ子が継ぐというのは遊牧民的です。

呂尚(上)と出会う昌(下)
いよいよ昌くんが大人になった時、お爺さん(太公)の予言した(望)軍師を見つけます。有名なエピソードですね。呂尚さんはまたしても羌族です。
 
長男の孝さん。(涙)
お父さんの昌さんが商の大臣だったときに聖人と崇められ、むかついた紂王に人質にとられていた考さんは殺されます。
紂王は殺した孝さんをスープにして知らん顔して昌さんに振る舞ったうえ昌さんが口を付けると「聖人とかいわれるくせに自分の子のスープにも気付かないでやんの!」と溜飲を下げたとか。(^^ゞ(スープじゃなくて挽肉だったという説もあり)
残った發旦兄弟がやがて紂王に復讐するわけです。
 
こちら武王發、周の建国者。日本だと神武天皇に相当するお方です。
 
こちら弟の旦、魯の建国者で孔子の憬れの人。
 
軍師山本勘助じゃなくて太公望呂尚
 
姫昌さんは紂王の大臣ですた、左は妲己 こんな美人では溺れても仕方ない(^^;)
 
箕国総督の子容さん、のちに朝鮮を建国します。
   
武王の大伯父である太伯さんが呉国の建国者であり倭人の祖と言われています。
一方商の紂王に軟禁されていた箕国総督の容さんは武王によって解放され同地をもらい朝鮮国を建国しました。(商の子容→商容→胥余、箕国の子さん→箕子)
なんと朝鮮は商王朝の末裔であり、日本は周王朝の末裔なんですね(^_^)
   
それにしてもラノベ版封神演技のせいでヘンな画像ばっかりヒットして迷惑。。。