閔妃暗殺事件
なんだか古舘の番組で閔妃暗殺事件の犯人の孫が国友重章の孫と家入嘉吉の孫の妻が墓の前で土下座パフォーマンスをさせた様子を放映し怒りを買っているらしい。テレビみないのでしらん。(つうかまったくどうでもいいことなんだが古舘伊知郎って団鬼六先生が大嫌いな小賢顔なんだそうで、さもありなん(^_^))
ただこの事件って有名な割にちゃんと理解している人って少ないのでメモっとく。
しかし、さすがの漏れもこの話が酒井法子につながるとはしらなんだ(;^ω^)
三浦梧楼特命全権公使(当時48歳)
禹範善大隊長(当時37歳)と奥さんの酒井サカさん
李さん一家
李昰応=大院君=舅(当時75歳)
李熈=高宗=息子 (当時43歳)
閔茲暎=閔妃=嫁 (当時44歳)
李坧=純宗=孫 (当時21歳)
ええっと、まず李氏朝鮮末期は派閥抗争がものすごく王族に生まれても死刑になったり暗殺されたりひでえことになってました。
で19世紀には外戚(王様の奥さんの一族)に権力を握られて王様は操り人形状態。可哀想な25代国王が33歳で死ぬと遠い親戚で11歳の少年熈くんをあらたな傀儡として即位させた。ときに1863年、新撰組や奇兵隊ができたり、米国ではリンカーンが奴隷解放宣言したりした年です。
熈くんはなにしろ子供なので政治などできません。父親の昰応さん(43歳)が「よおしパパがんばちゃうぞ〜」とか言って摂政になりました。傍系の王族でパッとしない人生を送ってきた昰応さんとしては実質国王になったような気持ちだったでしょう。漏れが摂政でいる間に権力を握って外戚の金ファミリーを排除することを密かに誓います。しかし金ファミリーとしては「おいおい誰のお陰で摂政になれたと思ってんだよ、あまり出しゃばるなよ」と思ったに違いありません。そうこうしているうちに3年後お嫁さんを選ぶことになりましたが、当然金ファミリーは一族の女の子のリストを押しつけてきます。昰応さんはその中でも比較的弱そうな茲暎ちゃん(15歳)を選びました。しかしこれが大ハズレ!ψ( `∇´ )ψお嫁さんの座に落ち着いた茲暎ちゃんは沼尻エリカばりに威張り出すのでした。そりゃそうです。もともと権力を握っているのは金ファミリーの側。昰応さんなんてのは熈くんにくっついてきたオマケみたいなものです。茲暎ちゃんからすれば保守本流はこっちだと思っていたことでしょう。
摂政のタイムリミットは熈くんが成人する1973年。それまでに権力を掌握しなければと焦って近代改革に乗り出す昰応さん。しかしもともとガチガチの儒教教育を受けたアンシャンレジームの権化のような人ですから、やることがチグハグでうまくいきません。それをうざがる金ファミリー。セックスしか頭にないDQN高校生の熈くんなんぞ完全に蚊帳の外です。お嫁さんの茲暎ちゃんからも相手にされていません。(涙)
そして運命の1873年。茲暎ちゃんは舅を田舎に追い出したのでした(笑)
さて茲暎ちゃん(というか金ファミリー)も改革開放は進めます。近代化について行けない人たちは不満を募らせます。田舎にいる昰応さんは彼らを焚き付けます。これが開化派と旧守派の対立というわけです。つうかただの嫁舅の対立じゃん。
自国の軍隊をいまいち信用できない茲暎ちゃんは中国政府に軍隊駐留を求めます。これでやってきたのが袁世凱でした。中国軍の進駐はのちのち茲暎ちゃんを助けることになります。女の勘でしょうか。でもそのせいで戦争も引き込んでしまうんですが・・・
それにしても朝鮮式嫁舅抗争はハンパねぇっす。ついに1882年、昰応さんは茲暎ちゃんの暗殺を謀ります。茲暎ちゃんは危機一髪で難を逃れ袁世凱の家に逃げ込みます。現地の日本人はgdgdで頼りになりませんでした。茲暎ちゃんは日本を見限って中国べったりに変わります。もう近代化とかどうでもいい。こんどは茲暎ちゃんが事大党です。これに反対する昰応さん〜熈くんラインの独立党と対立します。いつの間にか立場が逆になってます。ここ試験に出そうです。しかし昰応さんは中国に逮捕されて連れ去られお仕置きされました(笑)
しかし話はこれでも終わらない。1884年、今度はリベンジを狙う日本に応援されたエリート学生の金玉均グループが密かに熈くんの内諾を得て茲暎ちゃん暗殺を謀ります。おいおい奥さん暗殺かよ!熈くんもそうとうムカついていたんでしょう。ときに熈くん32歳。茲暎ちゃん33歳。このときは閔一族をだいぶ殺しまくったのですが、肝心要の茲暎ちゃんはまたも逃れました。袁世凱は日本軍を排除、金グループは処刑されました。ニッポン涙目。
この事件で福沢諭吉は朝鮮に絶望。なんども殺されかかった茲暎ちゃんは決して写真を撮らせないように用心するようになりました。だからよく教科書に載っている変な髪型の女の人は間違いです。茲暎ちゃんの写真は存在しないのです。
さて、しばらくは茲暎ちゃんは安泰だったのですが、知っての通り1895年日清戦争で清は敗北してしまいます。困った茲暎ちゃんは今度はロシアに接近。そうこうしているうちに3度目の正直、茲暎ちゃんは暗殺されたのでした。
さて、暗殺の首謀者は誰だと思いますか?
ロシアに接近する閔妃を殺害することは日本にもメリットがあったでしょう。
しかしだとしても単独でやったでしょうか?
そんなことをすれば以降の朝鮮経営に支障を来すことは火を見るより明らかです。
閔妃暗殺後に権力を握るであろう朝鮮側の内諾を得ていたと考えるのが自然です。
大院君も高宗も閔妃暗殺を試みたことがあるのは周知の事実でした。
なんだか最近の美化された朝鮮皇国史観では高宗と閔妃が仲むつまじく民族共同戦線を張っていますがウソです(笑)
日本側は大院君と高宗に内諾を得ていましたが、おそらくサポート役に徹したことでしょう。
内諾を得ているなら大院君〜高宗ラインの反体制派とも連絡をとったはずで、あえて自ら手を汚さずとももともと暗殺を狙っていたテロリストはいるのですから。
それにそもそも写真がないのですから閔妃を殺害しようとしても日本人だけでは誰が閔妃かわかりません。
国友重章や家入嘉吉が殺害犯というなら、彼らが閔妃を同定できたこと、会ったことがあることを証明しなければなりませんが、ただでさえ暗殺を怖れていた彼女が大陸浪人ごときと面会するでしょうか?あり得ないでしょう。
だから顔を知る王宮ガードマンの朝鮮人の協力が絶対に必要だったのです。
その後大韓帝国の自主権があった時点の裁判でも朝鮮軍人達だけが有罪とされています。
しかも死刑判決がでた被告のほとんどが後に減刑されています。不思議です。
しかしなぜか逃亡した禹範善だけは高宗が放った刺客に暗殺されています。不思議です。
もし三浦梧楼や国友重章や家入嘉吉が犯人だというなら、なんでそっちを狙わないんでしょうか?
だって高宗は現場にいたんですよ!
結局、本当の犯人が禹範善だったということなんでしょう。
そして高宗も妻を殺した犯人を憎んで殺したのではなく、真相を知るものを消したかったのでしょう。
ちなみに韓国人はこういう細かいことを知りません。
ほとんどが教科書やミュージカルや潤色しまくりの小説経由の知識です。
なので下記中央日報のコラムでも引用元が角田房子の小説です。あきれます。。
簡単に騙されてしまう爺婆も困りものです。
このパフォーマンスを実行させた田中信幸さんも謎です。
経歴を見る限りはただのプロ市民なんですが、子孫を見つけて土下座させるという発想が日本人ばなれしています。
どうも鄭秀雄(チョン・スウン)なる人物の入れ知恵っぽいですね。
ドキュメンタリーの完成時期と「明成皇后を考える会」の成立時期が近接していますし。
どうも鄭氏がドキュメンタリーを企画し田中さんをオルグして子孫を捜し出して2010年の日韓併合100周年にあわせて公開するつもりだったようです。最終的な目標は、対韓謝罪機運を盛り上げて鳩山内閣による謝罪談話を引き出すことでしょう。和田春樹や姜尚中の動きに注意したほうが良いでしょう。
実行犯の一人は後日、「本当にこのことは書きづらい」と前置きした上で、明成皇后を惨殺した後、言葉では言い表せないほどの残虐な行為をしたことを告白した(角田房子『明成皇后−最後の朝』)。[09年8月25日、中央日報『【萬物相】明成皇后殺害事件を報じた日本のTV局』)
http://www.chosunonline.com/news/20090825000053
「王妃を殺したのは、不貞の私の部下だ」と現場に居た高宗が証言 (1906年 統監代理長谷川好道韓皇謁見始末報告(國分書記官通訳并筆記))
「王妃を直接殺したのは、私です」と実行部隊隊長の禹範善の証言。 (在本邦韓国亡命者禹範善同国人高永根魯允明等ニ於テ殺害一件)
禹ハ旧年王妃ヲ弑セシハ自己ナリトノ意ヲ漏セリ
「王妃殺害を今回計画したのは、私です」と証言した李周會 (朝鮮での裁判。裁判に関しては官報に記載あり)
「計画の首謀者は、大院君だ」と記したロシアの参謀 (ゲ・デ・チャガイが編集した「朝鮮旅行記」のロシア参謀「カルネイェフ」の発言)
石塚英蔵の記録「王妃ヲ引キ出シ二三ヶ処刃傷ニ及ヒ且ツ裸体トシ局部検査(可笑又可怒)ヲ為シ最後ニ油ヲ注キ焼失セル等誠ニ之ヲ筆ニスルニ忍ヒサルナリ其他宮内大臣ハ頗ル残酷ナル方法ヲ以テ殺害シタリト云フ右ハ士官モ手伝ヘタリ共主トシテ兵士外日本人ノ所為ニ係ルモノノ如シ」「朝鮮王妃事件関係資料」石塚英蔵書簡[ペン書き・法制局長官末松謙澄]
【高宗と純宗の証言によれば】
1.閔妃は高宗と純宗の目の前で朝鮮人によって高宗の居室から引出された。
2.禹範善の命令或いは禹範善本人により殺害された事件である。
【日本の機密第51号によれば】
1.閔妃が殺害された。
2.内田自身が見たのは、「燃残リタル薪類」と「何物ヲカ埋メタル如キ形跡」が歴然であった事。
【在本邦韓国亡命者禹範善同国人高永根魯允明等ニ於テ殺害一件によれば】
1.禹範善は、「旧年王妃を弑せしは自己なり」と自白している。
以上の資料から、閔妃暗殺事件の首謀者が大院君(国王高宗の父)で、実行犯が禹範善ということが判明している。首謀者から実行犯まで朝鮮人であり、三浦公使ら日本人は少し手を貸したに過ぎない。
田中信幸さん
1951年生まれ、自営業(電気工事業)
http://www.sensohoki.jp/haheiiken-k/tinnzyutusyo-tanakanobuyuki.htm
明成皇后を考える会 代表
平和憲法を活かす県民の会
熊本朝鮮会館問題を考える市民の会
『日の丸』『君が代』の押しつけはごめんダ熊本ネットワーク
自衛隊の海外派兵に反対する熊本市民フォーラム
自衛隊イラク派兵違憲訴訟の会・熊本
【日韓】 チャングムにわきながら明成皇后殺害は知らない日本〜韓国から正しい歴史知らせに熊本訪問[04/15]
http://image.chosun.com/sitedata/image/200904/15/2009041501669_0.jpg
▲「誤った歴史を日本人たちに正確に知らせてくる」と明成皇后殺人犯たちの故郷である熊本県を訪問するイ・ドンジェ恭陵奉享会会長(左側)とドキュメンタリー監督、鄭秀雄(チョン・スウン)さん。
「日本の人々は明成皇后弑害事件をよく知りません。開いた口が塞がらない事です。日本の高位層の人士の妄言が繰り返される理由もそこあります。今回行って彼らの誤った歴史を正確に知らせてくるつもりです。それでこそ両国関係の発展があるんです。」(イ・ドンジェ)
明成皇后(閔妃、1851〜1895)忌晨祭を主監している恭陵奉享会イ・ドンジェ(78)会長とドキュメンタリー監督チョン・スウン(66)さんは17日、日本の熊本県を訪問する。こちらは明成皇后弑害に加わった日本浪人48人のうち21人の故郷。2005年にお詫びの意を伝えるために明成皇后忌晨祭を訪れた日本の市民団体「明成皇后を考える会」と一部浪人の子孫たちに会うためだ。
イ会長は「'明成皇后を考える会'の韓国訪問に対するお返しの意味もあるが、今回の機会を通じて最大限多くの日本の人々に明成皇后がどのようにお亡くなりになったのか詳しく知らせて来る。朝鮮の国母を弑害した人々が一体、どんな土地で生まれたのか知りたいと思う」と言った。
チョン監督は2005年KBSを通じて放映されて大きな反響を起こした作品「110年ぶりの追跡、明成皇后弑害事件」取材過程で明成皇后殺人犯子孫のお詫び訪韓を取り持った事情で今回一緒に日本に発つ。彼のドキュメンタリーは来る6月から市民団体の助けを借りて日本各地で巡回上映される予定。
チョン監督は「日本政府が明成皇后弑害事件に対して我が国に公式に謝罪しなければならないが、まだ期待できない状況。それなら民間次元でこの事件の真実を日本の人々に広く知らせなければならない」と言う。「日本の教科書にも登場しないのに日本人の誰がこの事件を知っていますか?」
「明成皇后を考える会」所属の日本人らは2007年から明成皇后忌晨祭でお辞儀ができるようになった。イ会長は「その前は帝室近くに来ることもできないように阻んだが、遠い所から明成皇后を拝みにきた人々をそれほど突き放すことも正しくないようだった」と言った。「恥ずかしい歴史であるほど自分たちがもっとよく知らなければならないと思う人々です。『大長今』(邦題:宮廷女官チャングムの誓い)にわき返えりながら、こんな痛ましい過去を知らずに生きてきたのが恥かしいと言ったりします。日本でこのような人々がもっと多くならなければならないでしょうに。」
ソース:朝鮮日報(韓国語) "日,大将金に沸き返えながら明成皇后弑害は分からなくて"
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2009/04/15/2009041501767.html
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で、何故「酒井法子」がそんなに特別なのかと申しますと・・・
要するに彼女は閔妃暗殺の実行犯の「禹範善」の奥様で「キムチの恩人」の母の酒井サカの末裔だからです。朝鮮系反日勢力の方々にとっては特別な存在なんですよ彼女は。特にカルトチックな方々にとってはある意味反日工作のシンボル。(爆w
で、その「キムチの恩人」こと禹長春さんの4女が京セラの稲盛和夫会長のところに嫁いであられるわけです。稲盛朝子夫人と酒井法子は遠い親戚じゃまいか?(w
そして稲盛和夫さんと小沢一郎さんがツーカーの仲なんですんね。これはもう定説ですね。(w