民主党中村議員のDV問題

   
ゴシップめいた話はこのブログでは取り上げたくないし、他人の家庭内や下半身のことは興味ないのだが、気になった点があったのでメモ。
まぁ、4年前の事件がこのタイミングで報道されるんだから野党によるネガキャンでリークされたんじゃないかと思うんだけど、早稲田準ミスでイケメン細野議員の秘書をしつつ不倫の果てに現行犯逮捕されたドロドロの女の人と結婚。国民新党の義父コネで大阪経済法科大学に講師のアルバイト。最後に妻を実家に返して宗教施設に籠もる、と。そんな人が法務大臣政務官。。。
1989年に高校を卒業し、1992-1995は父の秘書、その後都庁勤務、2000年から細野議員の秘書になったと思ったら翌年に噛み付き事件・逮捕・解雇。2003年に中村議員とケコーン。しかし中村氏は2005年に落選して妻にあたる。わずか8ヶ月後に妻は飛び降り自殺。(´・ω・)カワイソス
細野も坪井嬢のバックグラウンドを知って採用したんだろう。関西トルコ・サラ金王の韓国人と昵懇の衆議院議員の娘を秘書にしたのは、民主党がパチンコ屋さん、つまり在日朝鮮韓国人の資金で立ち上がったという世評と符合する。細野は足抜けしたが、そんな彼もいまや副幹事長・組織委員長兼企業団体委員長。一方、中村くんはすべてを知った上で結ばれたはずが、やはり打算だったのか、落選の怒りを妻に向けるという典型的なダメ男。いったい彼が逃げ込んだ宗教施設ってどこなんだろう?やっぱり○○○会かな?気になる・・・
  
鳩山内閣は「身体検査」をやらないのだろうか?
 
漏れが気になるのは、「細野豪志」「大阪経済法科大学」「宗教施設」のあたり。いや「くされマンコ」も気になったけど(笑)
 

 民主党議員の妻自殺のウラに壮絶DV
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 2006年4月8日、民主党議員の妻が大阪市鶴見区のマンションの15階から飛び降り自殺した。
 その議員とは民主党の元人権・消費者問題調査会副会長で現法務大臣政務官中村哲治氏(目が笑っていない)
 
    
飛び降り自殺した妻は元参議坪井一宇の三人姉妹の長女であり元準ミス早稲田大学民主党一の美人秘書といわれた瑞枝さん。
 しかし精神的に不安定だったようでストーカーで逮捕歴もあった。
 
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 元ミス早稲田が京大卒エリート官僚の妻に噛み付く
 
 警視庁新宿署は26日までに民主党細野豪志衆院議員の政策秘書、坪井瑞恵 容疑者(30)を傷害と住居侵入の疑いで逮捕した。
 坪井容疑者は24日午後2時ごろ、東京都新宿区大久保3の国家公務員住宅 に侵入し、
 経済産業省職員の妻(41)の右手に噛み付き、約2週間のけがをさ せた疑い。
 妻が玄関ドアに油性ペンで「このくされマンコ」と落書きをしている坪井容疑者を発見、
 逃げる瑞恵を数十メートル追いかけて取り押さえたところ、瑞恵が妻の右 手の甲に噛み付いた。
 坪井容疑者は元自民党参院議員坪井一宇氏の長女で、早稲田大学在学中は 準ミス早大にもなった美人で、
 明るく行動的な性格で知られ、ラジオのDJをやっ たこともある。
 被害者の夫は京大卒業後に旧通産省に入省、現在は大阪府に出向している エリート官僚で、今回の事件は不倫の末のトラブルとの見方が有力。
  
  
 
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 不倫相手のキャリアは山田宗範。当時大阪府の副理事だったが事件後停職1カ月の懲戒処分を受けている。
 事件より数年後副理事を退職、経済産業省大臣官房付となっているがそのウラには路上で痴漢行為があり停職という2度目の懲戒処分を受けていた。
 不祥事まみれだがさすがキャリア。
 その後の愛知万博では事務総長補佐を勤めるなどし、現在はJETROバンコクセンター所長、関西大の客員教授で在タイ。
 太田知事のアレだったというウワサもあったという。
 
 
  
 前科とメンヘラを知りつつ、民主党議員1年生の中村議員は結婚したのだが、その結婚生活は壮絶なDVの嵐だった。
 中村議員は平成17年9月の選挙では高市早苗に負け落選。
 原因は瑞恵さんにあると責め、第3者の前でも土下座を強要。
 その8ヶ月後に瑞穂さんは自殺したが中村議員は「カネがない」と8ヶ月間で生活費を2万円しか渡していなかった。
 実際には民主党県2区支部長として月収50万円が民主党より支給されていたが、事実を隠し、義父坪井氏のコネで大阪経済法科大学に就任していた。
 民主党より生活費が支給されていなかった坪井氏は「5万程は渡してくれ」と頼んだが、これが中村議員の逆鱗に触れた。
 瑞恵さんを実家に帰るよう命令、自分は宗教施設に1年引きこもった。
 
 民主党公認、義父の地盤と引き換えに地雷女を押しつけられ、双方とも愛のない結婚だったからDVが常態化、悲惨な結末になったのだろうか。
 
 現在関大には瑞恵奨学金制度があるという。
 http://www.kansai-u.ac.jp/gakusei/sys_img/s_information00046.pdf

衆議員落選の責任を妻の瑞恵さんに転嫁し、執拗に責めたほか、充分な所得がありながら自殺するまでの8ヶ月間、生活費はわずか2万円しか渡さなかったという異常な夫婦関係が続いた。自殺した瑞恵さんは、弁護士を目指して法科大学院に入学したばかりの5日目に自らの生命を絶ったという。
自殺した瑞恵さんの父親、坪井一宇氏(70歳、元自民党参議員)は、「自殺に追い込んだ中村氏から、4年たった今もきちんとした謝罪の言葉もない。人間として失格。決して許すことはできない」。 
民主党中村哲治は、2005年9月の郵政選挙で落選したのだが、この鬱憤を自宅マンションで瑞恵さんにぶつけたという。瑞恵さんの出身大学である早稲田大学OBの応援が足りなかったせいだ、毎日、執拗に責められたと、友人に吐露していた。
また生駒市中村哲治の実家に行った際も、姑も息子の哲治と一緒になって、瑞恵さんを責め続け、瑞恵さんに土下座までさせたといわれる。
そして落選した中村哲治は、瑞恵さんを無理に大阪の実家に帰らせ、自身はある宗教団体の施設にこもった。このため2006年2月まで瑞恵さんは生駒市の自宅マンションには戻れず、別居状態が続いた。そして瑞恵さんが自殺するまでの約8ヶ月間に、中村哲治が渡した生活費は何と2万円のみだったという。
瑞恵さんの父親が、娘の死後、民主党に確認すると、中村は民主党支部長を務めていたことで、月額50万円の収入があったことが分かった。
一方、瑞恵さんは「浪人中の夫を少しでもサポートしたい」と周辺に語り、弁護士になる為に、関西大学ロースクールの受験に打ち込み、その参考書など受験に必要な費用の一切を自身の貯金の中から出し、晴れて合格をものにした。また父の坪井氏も、自身が教授であった大阪の大学に中村哲治客員教授として迎えるよう推薦し、その甲斐あって採用になった。これで坪井氏は、中村の就職が決まったことで「娘に月5万円だけは渡してくれ」と頼んだという。しかしその夜、中村は、入学式を終えて帰ってきた瑞恵さんに「ぶち切れて激しく責めた」といい、このことは友人らが証言している。そして、その5日後、瑞恵さんは、実家近くの15階建てマンションの屋上から飛び降りて自殺してしまった。
http://blog.goo.ne.jp/takejj_1953/e/86ebd716157767f0c22d25a2e2319569

平成元年大阪府立大手前高校卒業、早稲田大学第一文学部に在学中の平成4年8月〜平成7年3月、父親の公設第2秘書、平成7年4月から東京都庁に勤務、教育庁学務部、生涯学習部を経て、昨年5月に退職。政治の道が忘れられなかったのか、都庁時代の平成7年秋、政策秘書の試験を受け、資格を取得していました。昨年平成12年7月、同年6月の衆院選に当選した細野議員の政策秘書に採用され、以降、政策スタッフとして、議員立法、国会質問等、政策立案活動のサポートに従事してきたとのことです。在学中は「準ミス早稲田」にもなったことがあります(顔写真は同じくフライデー2001年4月13日号70ページに掲載されています)。現在は文京区内のワンルームのマンション(家賃約10万4000円)で1人暮らしだった、そうです。
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=12663&pg=20060930

2005年には郵政民営化政策に関する宣伝企画書にIQ層が低い層を対象に宣伝するという表現が含まれていることから、中村哲治は国会の質疑において、国民に対して失礼なことを書いていると非難した[2]。また、同企画書に対しては、他の議員、ジャーナリストも非難している。これに対して企画書を作成したスリードは、一方的な解釈のもとで発言が行われており、自社の名誉、信頼が著しく毀損されているとの立場を示した[3]。
   
2005年4月13日、「定住外国人地方参政権を実現させる日・韓・在日ネットワーク(共同代表=田中宏内海愛子朴慶南、金敬得)」主催の集会に参加「参政権付与は時代の趨勢」と在日韓国人等に参政権を付与するべきであると述べた。[1]
   
2005年の総選挙では郵政民営化に反対し新党日本より出馬した滝と自民党刺客候補として奈良県第1区より転出した高市早苗の争いに埋没し、落選する。2007年、参院選に一人区・奈良県選挙区より出馬し当選、国政復帰を果たした。
   
2009年の総選挙では、選挙前に民主党入りした滝の全面的に支援にまわった。滝は自民党公認高市早苗を選挙区で破る(高市は比例で復活)。
   
同年、政権交代により発足の鳩山由紀夫内閣法務大臣政務官に任命された。
    
エピソード
 
2006年4月8日に妻(当時法科大学院学生、坪井一宇(元参議院議員)の長女)が大阪市内のマンション屋上から飛び降り自殺をした。自殺の大きな要因が中村の度重なるドメスティックバイオレンスだったことが、遺族や友人らの証言で推認されていることを奈良日日新聞が報じ、さらに同紙は、中村は落選後も民主党から収入があったにも関わらず、衆院選に落選した17年9月から亡くなるまでの8カ月間、妻は中村からわずか2万円の生活費しか受け取っていなかった疑いも指摘している。[4]。義父の坪井一宇は「自殺に追い込んだ中村氏から、4年たった今もきちんとした謝罪の言葉もない。人間としても失格と言わざるを得ず、決して許すことはできない」と述べている[2]。また、坪井が中村に「○[5]は、君と結婚しなかったら長生きできたかもしれんな」と問うと、中村が「そうですね」と応えたことについて、坪井は「今でもこの言葉は許せないし、人間としても許せない」と述べている[3]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E5%93%B2%E6%B2%BB

北朝鮮付属大学”大阪経済法科大学の闇 (平成15年2月5日)差出人: 不明
 
《設立時から、広域暴力団との癒着が囁かれている大学》
《定員など無視し、入れるだけの学生を入れてアコギに稼ぐ金権大学》
《長らく三面記事に話題を提供してきた無法大学》
北朝鮮勢力に支配された、対南(対韓国)工作の拠点として使われている大学》
 
経法大の教員一覧を見ると、経法大には非常に多数の在日韓国・朝鮮人スタッフが含まれていることがわかる。
もっとも多いのが教養部で、専任教授から講師まで含めて六十八人中、実に二十四人が在日朝鮮人だ。
 
経済学部・法学部にも、他の大学と比較する限り、在日人士の進出が目立つ。
さらに文科系の大学にもかかわらず「科学技術研究所」、「コンピューターセンター」を持ち、こちらの客員研究員はなんと半数以上が在日朝鮮人、中国人(朝鮮族)だ。
在日が多いことが問題ではない。もしまともに運営されてそうなったのなら、それは非常に素晴らしいことだ。しかし、経法大の教員名簿に出てくるのは、ほとんどが朝鮮総聯に所属している人間である。経済学と法学の大学教育をするのに、こうも同じ組織に所属する者ばかりが必要なのか。朝鮮総聯が学術団体だというならまだしも、あくまで在日朝鮮人の大衆団体。
どう考えても変である。
 
実際、大阪の韓国領事館は経法大の動向に強い関心を寄せている。いやしくも一国の領事館が根も葉もない風聞だけでは動くはずがない。韓国領事館をしてそうさせるだけの根拠はある、ということだ。
 
現在、韓国領事館は、関西の各朝鮮学校よりも経法大の内情を把握する方に、力を注いでいる。その根拠は、第一に副学長の経歴である。
 
現・経法大副学長(教養部教授)の呉清達(オ・チョンダル)氏は、北朝鮮の現役工作員であり、「学園浸透スパイ団事件」(または、発表された日付をとって一一・二二事件ともいう)の首謀者でもあるとして、韓国当局に名指しで指弾されている。 呉氏は大阪大学工学部に学び船舶工学を修めた人で、後に工学博士となった。
学園浸透スパイ団事件は、七五年に摘発された。主に関西出身の在日留学生十八名が逮捕され、七七年三月までに三名の死刑を含めて全員の有罪が確定する(後に減刑)。規模の大きさから言えば、数あるスパイ事件でも有数のものである。『東亜日報』など韓国の日刊紙の報道によれば、逮捕された在日の青年たちは六八年からたびたび極秘に入北し、朝鮮労働党の党員となり、対南工作教育を受けていたという。彼らはその後、留学生として韓国に渡り、学生生活を送るふうを装いながら、金日成主義による反体制地下組織を広げていった。もちろん目的は「赤化統一」−−韓国政府を打倒し、北朝鮮主導の革命を起こすことだった。判決文には、彼ら工作員オルグ・教育に携わった黒幕として、朝鮮総聯活動家ら十三名の名前が挙げられている。これら「指導員」の筆頭であるとされたのが、他ならぬ呉清達氏なのである。
呉氏は、阪大在学中は朝鮮総聯の傘下団体である留学同(=在日本朝鮮留学生同盟)、卒業してからは同じく科協(=在日本朝鮮科学技術協会)に属した、総聯の第一線の活動家だった。
 
学校法人大阪経済法律学園・大阪経済法科大学は七一年に第一期生を入学させた。創立者は、在日同胞商工人のなかでも成功者として名高い金尚淑(キム・サンスク金沢尚淑)氏である。金沢氏は、教育産業の出身ではなく、風俗営業や債権取り立てなど、どちらかと言えばダーティビジネスの分野で財を成した人だった。「トルコの利益で大学経営−−身売り説もある大阪経済法科大学の“惨状”理事長、金沢尚淑さん『上六トルコ』の経営者」(『週刊新潮』七八年六月十五日号)マスコミの恰好の餌食にされたのも、金沢氏の特異なキャラクターによるところが大きいようだ。彼が、まったく畑違いの大学経営に乗り出そうとした動機については「新手の銭儲けだった」とする人が多い。
 
金沢自身は朝鮮総聯に所属していず、むしろ共産主義は大嫌いな人だった。ではなぜ付き合いがあったかと言えば、つまり朝銀(朝鮮信用組合)の関係。ありていに言って、彼は朝銀に隠し預金を預けていた。脱税の手伝いをして貰っていたわけだ。金沢氏が資金を拠出し、尹氏が理事になる人材をかき集め経法大は開学にこぎつける。理念自体は崇高だったとは言え、大学経営には素人だった金沢氏は、自己流すなわちダーティビジネスの手法で運営を進めようとする。信じられないでしょうが、初代事務局幹部には、佐々木組(後に一和会に属した広域暴力団)の人間が就任したくらいだ。そして金沢の子息の家庭教師をしていたのが縁で、大学に入ってきたのが、呉清達氏だった。金沢は八五年十月に亡くなり、以後、経法大の経営は子息たちが引き継ぐ。若い彼らに代わって実権を握ったのは呉氏である。
 
それから経法大は、在日同胞の財産ではなく、露骨に北朝鮮勢力に占拠されることとなった。金沢氏の死後、呉清達氏の影響力が強くなっただろうことは、例えば学校法人登記簿からも見てとれる。呉清達氏自身は、八一年二月に理事に就任しているが、創立者の死去前後からかつての教え子である二人の子息−−金俊行(キム・ジュネン 金沢俊行)氏、金俊孝(キム・ジュンヒョ 金沢俊孝)氏が理事に就任する(ちなみに、兄弟は他にもいる)。そして、それ以降、それまでの理事名簿には名前のなかった人物たちが相次いで登場してくるのである。半年後の八六年四月七日には、科協に所属し、呉氏の腹心と目される教養部教授の南正院(ナム・ジョンウォン)氏が理事に就任する。そして、九三年三月にはやはり科協出身で教養部教授の高博(コウ・バク 石山博)氏が理事となる。こうして実に、八人の理事中過半数の五人を、呉清達氏の影響が強い在日同胞が占めるようになった。
 
今年、大阪経済法科大学には千八十九名の学生が入学手続きをとった。これは、定員四百名(経済学部・法学部各二百名)の二倍強になる。水増し入学という表現では追いつかない、超・超過入学である。まさに、定員などあってなきが如しと言わんばかりだ。それも今年に限った現象ではなく、七一年の大学創立以来、一貫して続いていることである。実際、経法大は開学後しばらくは倍率一・〇倍、つまりは全入だったのだ。
 
なぜ、これほどの学生が必要なのか。教職員組合からも再三にわたって是正が要求されながら、経法大当局はいまだその根拠を明らかにしたことはない。副学長・呉清達氏をはじめ、朝鮮総聯人士が経営の実権を握る大学で、使途不明の大金が納められ続けている。故・金沢理事長の子息たちは韓民統青年組織の最高幹部だった。韓国の公安が経法大に対して警戒を緩めない根拠の一つは、呉清達氏らバリバリの朝鮮総聯活動家とともに、彼の影響下にある韓統連勢力の存在が、あるだろうことは疑いがない。朝銀には多額の隠し預金があり、教職員組合でも追求されている。だが、今まで経法大が経理内容を明らかにしたことはない。
 
金正男がニセパスポートを使って、たびたび日本に入国していたことは知られているが、経法大に行くのが、その主要任務だったことは意外と知られていない。
 
金正男はコンピューターなどハイテク担当だったが、経法大は文科系ながら「科学技術研究所」、「コンピューターセンター」があり、技術交流を頻繁にやっている。北朝鮮からの交流団が必ず立ち寄る箇所として公安当局がマークしているが、金正男は経法大でハイテク資料と裏金を入手していた。さらに経法大の留学生のための日本語教室で、知り合った中国人女性(朝鮮族)を愛人にしており、彼女に会うためでもあった。
こんなことがあった。金正男を迎えて呉清達らが一席もうけたある会合で、お調子者の石山博が写真を何枚か撮った。2001年5月に金正男の不正入国が発覚するや、大学当局は真っ青になって写真の回収に走っていた。
 
こんな大学を放置していると国家の存亡にかかわる。 今すぐ、呉清達一派を追放せよ。

大学関係者
 
藤本和貴夫(学長、大阪大学名誉教授)
橋本久(副学長)
前野育三 本学教授、関西学院大学名誉教授
武者小路公秀(アジア太平洋研究センター所長)
吉田康彦(アジア太平洋研究センター客員教授
澤野義一(法学部教授)
 
著名な出身者および在学生
 
細川茂樹 俳優
内山智之 元・福岡ダイエーホークス投手
吉本一義 元・福岡ダイエーホークス投手
藤原弘介 PL学園高校野球部前監督
朴智星 サッカー選手、中退
平阪佳久 男性デュオウインズメンバー
中村雅史 テレビせとうちアナウンサー
重森由佳 NIB長崎国際テレビアナウンサー
小堀裕之 お笑いコンビ2丁拳銃メンバー、中退
本岡しんじ 市民運動家、中退
島原啓 お笑いコンビつるせんねんメンバー
松浦有希 シンガーソングライター、作曲家、中退
高橋弥七郎[要出典] ライトノベル作家
百合翔吾 野球選手
村林新吾 三重県立相可高等学校食物調理科教諭[1]