経済教室 「平成検地」で農地行政刷新

日本経済新聞 2009年8月27日(木曜日)29面
経済教室 ニッポンの農力 再生の方向 >>下
「平成検地」で農地行政刷新
地権者偏重から脱却
運用段階での骨抜き許すな
 
神門善久 明治学院大学教授

ポイント
・農地の不適切な利用放置こそが真の問題
・法改正で農地不正使用さらに増加の恐れ
・農地転用の政策決定透明化し、台長作成を

 一般に、農地所有者というと、「米作を中心に生計をなす昔ながらの純朴な農家」をイメージしがちである。遊休農地も、担い手不足や農産物価格の低迷のために泣く泣く耕作放棄していると思いがちである。残念ながら、それらの印象は、現実とかけ離れている。
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 日本に稲作農家は200万戸以上あるが、稲作所得を主な収益源にしている農家は8万戸にすぎない。残りの圧倒的多数は、省力技術の発達した稲作で細々と耕作を続けるものの、真の狙いは農外転用などによる「濡れ手で粟」の収入であり、いわば「偽装農家」といっても過言ではない。さらに、元農家の子息で、農地を相続したものの、都会暮らしですっかり耕作意欲を失った「土地持ち非農家」も120万戸もある。不動産業者や産業廃棄物業者などがダミー農業生産法人を設立して、転用目的での農地取得を画策する例も後を絶たない。さらに、仮登記という取引を使って、宅地開発業者などが、転用目的で農地の事実上の買い取りをしている。
 国土が狭いわが国では、農地にはさまざまな農外からの潜在的な需要がある。巨額の農業補助金で整形された農地は、住宅地や商業施設の建設の絶好の候補地である。また、産業廃棄物処理場が慢性的に不足しており、不法な投棄の対象としても農地が狙われている。
 農地の不適切な利用をとがめる法制度は数々あり、しかも、毎年のように追加される。しかし、問題なのはどの法制度も、運用段階で骨抜きになっていることだ。末端で農地行政を担う農業委員会が、地権者の意向におもねるあまり、機能不全に陥っているからである。
 産業廃棄物を農地に投棄しても、地権者が施肥や土地改良と言い張れば、農業委員会は、しばしば黙認してしまう。同じように、地権者がすぐにでも耕作可能だと言い張れば、非農地化した元農地でも農業委員会は農地と認めてしまう。面倒に巻き込まれたくないという行政の責任回避ともいえる。残念ながら、専門家なども法律の条文の文言を論じるばかりで、農地行政の運用の杜撰さをほとんど論じない。
 「偽装農家」や土地持ち非農家、ダミー農業生産法人は転用機会に備えるため、農地の貸し出しよりも耕作放棄を選択する場合が多い。
 優良農地は相続税が安い。今般、農地の貸し出しを促すために、相続税の納税猶予が小作地にも適用可能になった。しかし、都市化した地域で小片の農地を所有する者の恩典になるだけで、一般の優良農地の利用にはほとんど影響はない。
 一般には規制緩和がないと農業は多様化できないといわれている。しかし、少数だが、先進的な農家・農業生産法人は、何十年も前から、稲作に固執せず、輪作も取り入れながら多様な農作物に取り組み、加工・流通・観光業といったさまざまなビジネスも展開している。
 契約栽培などの形態で、これまでも企業は自由に農業参入してきた。企業の農業参入の歴史は長く、成功例も失敗例も数多い。青果店コンビニエンスストアに衣替えする例でもわかるように、家族経営が企業経営にとって代わられるのは社会全般にみられており、農業でもこれからも企業の参入が進むだろう。しかし、これまでも企業は事実上、自由に参入できており、わざわざ政策的な後押しをする必要はないのではないか。参入規制や担い手不足が日本農業を停滞させているのではない。農家であれ、企業であれ、非営利目的での農地の所有や利用がまん延していることこそが真の問題である。

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 その点で、農地を原則として誰でも自由に借用できるようにすることを目的に、今年6月成立した改正農地法は大きな問題があるといえよう。
 不正な農地利用を防ぐため、違反転用の罰金の上限を引き上げ、農業委員会は不適切な農地利用を警告し、警告に従わない場合は利用権を取り消しできる。また、「所有と利用の分離」の方針の下、農地利用の増進は図るが、所有権については従来どおり農家・農業生産法人に限定して、転用目的での農地所有には歯止めをかける――。農林水産省はこう説明する。一般にも、この方向は規制緩和地方分権に即しているとして好意的にとらえられている。
 しかし、農水省の説明は説得力が乏しい。以前から、農業委員会にはさまざまな権限が与えられてきたが、違反転用を見て見ぬふりをしたり、摘発しても反省文を書かせて事実上のおとがめなしとしたりすることが圧倒的であった。今回の改正後に、農業委員会のそうした消極姿勢が変わるとは思えない。
 政府の規制改革会議は2008年度中の農業委員会の改革着手を求めていた。また昨年来、農業委員会の機能不全を指弾する報道が相次いだ。しかし、農業委員会改革の兆しはない。これでは、「不作為の作為」によって農地転用や耕作放棄などを農水省が促進しているといわれても仕方がない。今回の農地法改正で産業廃棄物業者や不動産業者が、堂々と農地の利用権を手中に収められるようになり、ますます農地の不正利用が進むおそれが強い。
 今回の改正で近い将来、農地規制の全面撤廃も視野に入ったと見るべきだろう。農業法の権威、原田純孝中央大学教授の国会証言などが示すように、農地の賃貸借を自由化しながら農地の売買のみ規制するのは、法律論的にかなり無理があるからである。
 農水省の真の狙いは、転用であれ、耕作放棄であれ、地権者のなすがままに放任することではないかと筆者は見ている。コメは慢性的な生産過剰であり、このまま低米価が続き、農家からの圧力で政府がコメの買い支えを拡大させざるを得なくなれば、農業予算の4割を占める公共事業の削減に追い込まれかねない。それこそが農水省が最も危惧するシナリオだろう。それだけに転用でも耕作放棄でも、「偽装農家」が自発的にコメ作りをやめてくれるなら、農水省としては大助かりである。
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90年代から続く長期経済不振によって日本社会には閉塞感があるせいか、一般には農家をことさら「美化」する傾向があることを筆者は危惧する。しかし、農業の実像は、地権者がエゴを隠さず農地利用者がモンスター化し、農地行政もそれを見て見ぬふりをする悪循環に陥っている。しかもここ数年、農地利用は筆者にいわせれば悪い方向へ暴走している。この現実を直視しなければ、農業の衰退のみならず国土全体の荒廃を招く。
 まずは現状把握に傾注すべきである。すなわち、真っ先になすべきは、”平成の検地”である。日本には農地利用を記録する法廷台帳が存在しない。このため、田や畑がどこに存在するのか、誰が所有ないし利用しているのか、いつどういう事情で転用したのか、課税評価額がいくらなのか。といった単純な情報さえ未整備で、幾多の行政部署が連携もせずにめいめいに不正確で断片的な情報をあつめているにすぎない。こういう情報管理の不備が違法脱法行為の温床になっている。
 ”平成の検地”は個々の農家の財産を詮索することになり、関係者の抵抗は大きい。過去の違法脱法行為をあぶり出すには、期日を限って自己申告者へは処罰を緩和するなどの大胆な処置もやむを得ないであろう。
 転用など農地利用の変更にかかわる許可・届け出事項は、細部に至るまで詳しく理由を付してインターネットなどで公開し、恣意的な制度運用をしないよう、市民に監視させるべきである。目下は、農業委員会は情報開示に消極的で、市民があえて面倒な手続きをして情報開示請求をしない限り記録が閲覧できないし、その記録も不備が目立つ。
 将来的には、農地・非農地を一体化し、市民の主導による土地利用規制の設計と運用をすることが望まれる。市民が行政参加の義務を忌避しているかぎり、土地利用の秩序回復はない。
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ごとう・よしひさ 62年生まれ。京大卒、同博士(農学)。専門は開発経済学、農業経済学

 

ずさんな農地行政が農業の自壊を招く
  

 
神門善久
明治学院大学経済学部教授。農学博士。1962年、島根県生まれ。京都大学農学部卒。著書に『日本の食と農―危機の本質―』(NTT新書)。『本質を見抜く力―環境・食料・エネルギー―』(養老孟司・竹村公太郎、PHP研究所)の第6章「日本農業、本当の問題」で養老氏、竹村氏と鼎談。(写真:菅野 勝男、以下同)


吉田鈴香
ジャーナリスト。1958年生まれ、法政大学大学院修士課程修了。スウェーデン国防軍国際センター民軍協力コース修了。広告代理店、出版社勤務を経てフリージャーナリストとして独立。1989年より国際協力の取材を始め、現在では世界の紛争地に赴くかたわら、発展途上国の開発・援助政策、コミュニケーション戦略を作成する。主な著書に『アマチュアイラクに入るな』(亜紀書房)、『紛争から平和構築へ』(論創社、共著)など。日経WOMAN.netで「国際協力最前線」を連載。ウェブサイト「吉田鈴香が見る世界」も公開中

 耕作放棄や違法転用によって、消えていく農地。機を見て農地を売り抜こうとする「偽装農家」。それを見て見ぬふりをする農業委員会と農林水産省――。明治学院大学経済学部教授、農業経済学者の神門善久氏は、これらの問題を早くから指摘してきた。今回から2回にわたり、著者の吉田鈴香神門善久教授に話を聞く。
  
吉田:このところ、農業が注目を浴びています。金融危機後に「次は農業」というブームのようにもなっています。
 
神門:農業はよくも悪くも注目されていますが、注目されたことが、むしろ悪い方に作用していると、僕は非常に憂いています。今農業についてあれこれ言っている人は、本当の農業はどうでもよくて、農業のことでイメージを膨らますことを楽しんでいる。この数年で、いいかげんな農政提言が出るたびに、農業は間違いなく悪くなっています。農政論議が華やかですが、簡単に政策提言が書けることに大きなワナがあるのです。
  
吉田:どんなワナでしょうか。
   
神門:農政提言のワナは、大きく3つあります。第1は、「規制にしがみついているJA(全国農業協同組合)と農水省をやっつければ、農業は活性化する」というもの。2番目は「農業には秘められたビジネスチャンスや、世知辛い現代社会が忘れた価値があり、農業の新たな価値に目覚めた人が確実に増えている」というもの。そして3番目は「食糧危機が来るかもしれないから、皆で自給率を上げよう」というものです。この3つの提案は論理が単純明快で、読者にもウケる。ただ3つに共通している致命的な欠点は、事実と異なることなのです。第1に、農水省もJAも規制にかじりついたりしていません。何が起きても「投げっぱなし」の状態です。最近、農地を狙う産廃業者が増えていますが、マスコミが規制緩和を強調するたびに、彼らは“漁夫の利”を得ます。
   
吉田:産廃業者は、土地所有者に了解を得ているのでしょうか。それとも?
   
神門:皆「自分は知らなかった」と言いますね。地権者は「善良な業者だと思っていた」、業者は「地権者の言う通りにやった」と言う。行政も「気がつきませんでした」と。皆が無責任な状態なのです。農水省もJAも、これらを規制しようという気は全くない。精神論だけは言いますけれどね。3つのワナの2つ目、「農業のビジネスチャンス」についてですが、この『食糧』(注)という本を見てください。今から約20年前に出版された本ですが、目次を見れば、今でも通用することが分かると思います。農業の抱える問題については昔から語られており、状況は変わっていないのです。

(注)『食糧』 農産物摩擦、コメの減反に見られる場当たり政策、飼料の全面輸入に頼る畜産、大型機械のローン返済に苦しむ農家、農薬依存の田畑など、生産、流通の現場で起きている不合理の数々を指摘し、日本の農業生産のあり方を問うた書籍。朝日新聞社刊。

 例えば、ワタミも農業事業を始めて話題になりましたが、縮小しました。企業の農業参入は、実は40年ぐらい前から行われています。契約栽培という形ですね。今、「農業の新しい動き」と大げさに報じられるたびに、実質的にどこが新しいのか、僕は首を傾げてしまいます。
 実際、ある週刊誌の記者からは「新たな動きと紹介したいのだけれど、どこが新しいのか解説してください」という相談を電話で受けたことがあります。「あなたが分からないのに、読者が分かるのですか?」と私は逆質問しました。
  
吉田:ユニクロファーストリテイリング)も農業事業を始めましたが、撤退しました。
  
神門:ビジネスには、試行錯誤がつきものです。ワタミユニクロが間違っているとは思わないし、うまくいかず事業から撤退しても驚いたりしません。むしろ、彼らが農業事業に参入した時に「新ビジネス」と言ってメディアが大騒ぎすることが問題です。人々の心の中に、農業に対する憧れやノスタルジーがあり過ぎるのでしょう。
   
3つ目の「自給自足率を上げる」については、昨年雑誌でも書きましたが、食料自給率を上げても消費者に安心をもたらすとは言えません。ここ数年の穀物価格の急騰も、歴史的に見ればよくある短期変動の範囲内に過ぎません。だいたい8年前には、穀物価格下落が問題になっていて、「向こう20年近く農産物価格は下落基調を維持する」と国際機関が予測していたぐらいです。
 
 また世界全体では食料の絶対量は足りています。自国の食料危機のみを問題にするのは、先進国のエゴなのです。
  
 それよりも重要なのは、今、大変な不正が起きているということです。農業の最大の問題は、農地と労働で違法・脱法行為が急拡大していることです。転用規制も税制も、法律の条文はどんどん無視されます。
  
 耕作放棄して雑種地になっていても、農地と称して相続税を逃れる。いかがわしいダミー農業生産法人が農地を買い漁っても歯止めがありません。農地法の規制が新規参入を阻害しているというのは、私には信じられない話です。問題の本質は、農地規制を骨抜きにする者がトクをして、真面目に農業をするものが報われないということです。
  
吉田:「3つのワナ」に陥るよりも、実態に目を向けよということですね。昨年から報道されていますが、先生は以前から「消える農地」「偽装農家」を指摘してこられました。
 
神門:優良農地は違法転用などによって住宅地や商業施設にされ、地権者が「濡れ手で粟」の利益を得ています。農地扱いだから相続税の丸逃れをしてしまうのです。
 
 耕作放棄も蔓延している。稲作で農業の体裁を整えながら、機を見て農地を売り抜けようとしている「偽装農家」も多く、農業委員会も農水省もこれを看過しています。農地の“錬金術”に騙されてはいけません。そして、産廃業者の流入。これらには農政部や政府、農業委員会も絡んでいるでしょう。
 
吉田:新幹線の車窓から見える田んぼや畑にのどかな農村の様子を感じていましたが、実態は違うのですね。

神門:日本社会の圧倒的多数は「のどかな農村」「農村はいいところ」という幻像を持っています。だからそれに反するようなことを僕が言うと、悪者にされてしまうのですが…。

 しかし、農村は変わってきています。例えば農村には「都市部とは違って、昔ながらの集落機能や規範がある」と思うかもしれませんが、実際にはそうでもないのです。既に、農村にもミーイズムやモンスター化が来ている。
 
 こうした現象が起きた時、ひょっとしたら都市部よりも農村部の方が壊れていく速度は速いかもしれません。そして、集落機能が壊れた時の反動はかなり大きいと思います。これだけ耕作放棄や違反転用が起こるというのは、集落機能の低下が遠因とも言えるでしょう。
 
吉田:例えば収穫物を夜のうちに盗まれた事件もありましたが、もしかしたら内部の犯行かもしれず、それも集落機能の低下の1つかもしれません。
 
神門:多分そうでしょう。僕がこのように、農村の実態をあえて発言しているのは、自分が島根の田舎の出身だからなんですよ。雨漏りするようなオンボロな家で、五右衛門風呂と真空管ラジオはあっても電話がない生活で、子供の頃は田んぼの中で遊んでいました。だから、誰よりも僕は農地に対する愛着は強いんです。
 
 学生時代も、全国各地の農家で働きました。北海道の農場で牛を追いかけていたこともありますし、和歌山で自然農業を手伝ったり、京大の高槻農場、園部の牧場にも行きました。
 
吉田:実際に、農業の現場を見ていらっしゃったわけですね。
 
神門:ただ体力的な点などで、農作業が向いていないと分かりました。十勝の農場でアルバイトしていた時、僕の世話の仕方が悪くて牛が2頭ストレスになって死んでしまったことがあり、それが悔やまれます。長い年月を、野良で働いてきた人たちにはいつも敬意を持ちます。
 
 そういう立場の僕だからこそ、「農村にノスタルジーを描き過ぎてはいけない。実は農家も、都会と同じようにミーイズムの横行やモンスター化が進んでいる」と言い続けなければいけない、と思うのです。
 
神門:40年前の消費者は、自分たちから一生懸命生産者の方へ近寄っていきました。しかし今の消費者は、「王様」になってしまった。生協の食品偽装問題が起きたのは象徴的です。
 
 実は1960年代には、中身と表示の違うジュースや缶詰などが「うそつき食品」として問題になり、偽装や毒物混入が話題になりました。この頃消費者は「自分たちも流通にコミットすべきだ」として、生協活動が盛り上がったのです。
 
 ところが今や生協は、単なるスーパー、単なる宅配業者になってしまった。でも、スーパーや宅配を本職にしている業者には、生協はなかなか勝てません。大手スーパーには勝てないが、自分たちの雇用を守るためには何とかしなきゃいけない。肥大化した生協の組織を維持しようとすると、コストダウンへの無理な圧力がかかる。それが、ミートホープジェイティフーズの提供する安価な食料品に飛びついてしまう原因です。だから、生協でああいう事件が続いたんです。
 
吉田:その結果、消費者、生産者、流通業者の関係が希薄になり、お互いを考えなくなっているということですね。
 
神門:消費者は「王様」になった結果、生産現場の人たちが何に悩んでいるかは分かっていません。
 
 ちょっと臭い肥料をまいたら「馬糞のようだ」と苦情を言われ、それでいて「有機食品じゃないと困る」と不満を言われる。最近消費者は、農業生産の現場の苦労を無視して、トレーサビリティー(生産履歴の追跡)ばかりをうるさく言います。生産現場は、それに対応しなければいけません。製品の細かい表示をするために、ペーパーワークが増える。大手スーパーと取引をするには、資料をたくさん提出しないといけないんです。昼に農作業して疲れ切っているのに、夜にまたペーパーワークですよ。消費者は「生産者の顔が見える関係がほしい」とか言いますが、こういう農家の実態にこそ、きちんと向き合ってほしいです。
 
流通業者も困っている。何かの拍子で、自分たちが扱った食品に予想以上の農薬が出たら悪評が立って商売がつぶれてしまう、とびくびくしています。良心的な流通業者はつぶれそうな目に遭っています。
 
吉田 農水省の発表では、農業の生産の約6割は中山間農業地域にあるということですが、耕作放棄地は、平野より中山間農業地域に多いのでしょうか。
  
神門:6割まではいかないでしょう。むしろ、今の耕作放棄の拡大速度から言うと、平地や都市的地域の方が速いくらいです。
 
吉田:平野部の耕作放棄地は、3%から6%になったとも言われています。
 
神門:実際には、6%では済まないかもしれません。公式統計というのは耕作放棄地の調査漏れが多いですからね。しかも、耕作放棄になっているのに関係者が農地だと言い張っているところがたくさんあります。平地農業地帯というのは本来、収益を生むはずの農業地帯です。そこで耕作放棄が発生しているのは、担い手不足のせいにはできません。「偽装農家」による非営農目的での農地所有や、農地の転用期待こそが、平地農業地帯の耕作放棄の主たる原因です。
 
 中山間農業と平地農業は、別に議論すべきだと思います。高齢化した中山間農業の耕作放棄地の映像だけ見せておいて、「高齢化が耕作放棄の主要原因」というストーリーを作るのは、平場の優良農地で発生している農地の無秩序化から目をそらす方便です。
 
吉田:農水省は人々の目を「偽装農家」から逸らし、「中山間農業地域の高齢化問題」に目を向けておきたいんですね。
 
吉田 JAの機能も低下し、法律も機能していない。この状況で、農地政策や農業の振興を市場ベースで活性化していくには、どうしたらいいでしょうか。
 
神門:社会全体が農業について拙速な解決を求める傾向があるのも、私の憂慮していることです。人々が農業の実態から目をそむけて虚構の農政論議に花を咲かせているうちに農業問題がどんどん悪い方向に向かってきたのですから、これを逆方向に持っていくのは大変なことで、早い解決を求めずじっくりと取り組むべきです。
 
 土地転用だけでなく、減反論議もそうです。目下の減反論議は実態と乖離した抽象論になっています。その結果、産廃業者と偽装農家ばかりが“漁夫の利”を得かねない状況です。解決を求めるには、実態をきちんと見るところから始めなければいけません。
 
 まずは、どれぐらいいいかげんなことが行われているかを洗いざらい出すべきです。農地だと、農地基本台帳と実態が全然合っていない。農地パトロールがいいかげんである。「5年以内で耕作放棄地解消」と言っているけれど、これは違反転用の追認に使われる可能性が高いんです。農外転用も、耕作放棄地解消策の1つとして農水省が容認しているからです。
 
 コメに関して言えば、減反についても、誤解が蔓延しています。コメの生産調整は2004年に選択制に移行し、同時に生産調整の基準は作付面積ではなく生産量に切り替わっています。つまり、実は文字通りの減反制度は終わっているんです。
 
吉田:なくなった制度を議論すること自体、変なのですね。
 
神門:現在もコメの生産調整は行われていますが、それはコメの生産量を基準にしています。農家の自由意志で生産調整に参加した場合、稲作以外の作物を水田に作付けることに対して助成金がもらえる代わりに、過剰米の発生を防ぐためにコメの出荷制限を受けるという、従来とはまったく異なったやり方に転換しているのです。こんな基本的なことすらも知らないまま、減反撤廃を訴える人が多いのには驚かされます。
 
 現下のコメ政策の最大の問題は、農水省が運用の仕方をコロコロ変えてしまうことです。例えば、食糧安全保障以外の目的での食用米の政府買い入れはしないと宣言していたのに、2007年に「米価が低すぎるから」という理由で制度を反故にして、価格吊り上げの目的で食用米を買い上げてしまった。あまりにもコロコロと変えられてしまうので、もはや当初の政策設計が良かったか悪かったさえも検証できない状態です。
 
 農業政策では、こういう類の「前言撤回」がどんどん出る。まずはこれらを告発するのが先決です。マスコミや識者は、「企業の農業参入」「食育」「減反反対」などとスローガンを唱えるより前に、農水行政をきちんと理解し、その運用をしっかり監視するべきなのです。
 
 コメの流通はルールをコロコロ変えられるので、真面目に農業をする人たちが悲鳴を上げます。農業機械の購入や作付けローテーションなどは何年も先を見越して計画するものなのに、農水省の前言撤回のたびに振り回されるのです。結局のところ、政治力が強い偽装農家ばかりが利益に浴することになる。そういう不公正がまかり通っていることこそ、マスコミや識者が告発すべきことです。
 
 実態を詳らかにし、皆に意見を求めるというプロセスがなければ真の改革ではありません。立派な為政者なり識者なりが「天の声」のように改革をするのでは、真の改革とは言えないのです。
 
吉田:先生は前回、まず生産者や流通の実態を知るべきだとおっしゃいましたが、日本の農業には未来はないのでしょうか。
 
神門:経済協力開発機構OECD)でトータル・サポート・エスティメイトと言いますが、現時点では間接的な補助も入れて、農業に対する補助額が農業の付加価値額より大きいと言われています。つまり今の日本は、農業がなくなるとGDPが増えるというくらい悲惨な状況なのです。
 
 しかし本来、農業は非常にポテンシャルの高いものだという確信を持っています。日本だって、デンマークのようになれると信じています。農業改革でGDP国内総生産)が飛躍的に増えることも十分にあり得ます。
  
 GDPはこれまでマイナスだったものですから、今、農業就業人口が4%くらいなので、それに見合った付加価値を生めば、GDPが5%ぐらいは増える。さらに国土が適切に利用されるようになれば、経済全体が活性化します。
 
吉田:農業はダメなのではなく、可能性はあるということですね。

神門:可能性を確信しています。さらに素晴らしいことは、日本農業を良くすることは今後のアジア太平洋地域の発展につながるということです。これだけ交通や情報が発達していますから、アジア太平洋地域で共通経済圏ができるのは必然です。その時、共通農業政策をどう設計するかということで、もめるでしょう。その時こそ日本がリーダーシップを取って、アジア型共通農業政策を提言すべきなんですよ。
 
 金融、労働、教育などは米国や欧州にモデルがある。しかし農業については、他国にモデルがない。それは、自然条件が違うからなのです。また日本の水田はすごい。日本ではパディフィールド(paddyfield)で、コメを1000年作っても連作障害は起きない。これは欧米では、考えられないことなのです。
 
 例えばハンガリーでは逆農業改革のおかげで、ブダペストの人間が土地を持つことになったため、土地をほったらかして耕作放棄している。「大変ですね」と言うと、ハンガリー人はけろっとしていて「これで土地が休むから、土地が肥える」と言うんです。そのうち、デンマークの資本が買いに来るだろうからクローバーか何かをまいておいて、放っておけばいいんだと。
 
吉田:海外と日本では土地の条件が全然違いますね。
 
神門:欧米と異なり、日本はじめモンスーン・アジアの多くでは、限られた平地をめぐって都市的利用と農業的利用がまともに競合します。だから、独自のアジア型の共通農業政策をつくらないといけない。このチャレンジは、我々がなすべき平和的貢献なのです。
 
吉田:何か具体策はあるのでしょうか。
 
神門:僕が提言しているのは、土地利用計画の策定や運用に「参加民主主義」を取り入れること。その糸口として土地の転用権の入札(注1)を考えています。「お任せ民主主義」と揶揄されるくらい、現在の日本社会は行政への甘えが強いです。しかし、そこから脱却する覚悟さえあれば、僕の提言は実現できます。
 
 「参加民主主義」では、市民が行政に関与する責任を負います。しかし現在の日本はその真逆で、どんどん「行政に投げっぱなしモード」になっている。これは深刻な問題です。
 

(注1)農地の転用権の入札
 1年間に農地を転用できる面積に上限を設定し、その枠を入札によって割り振る制度。入札参加者には事前審査によって倍率を設定し、入札に採択された場合は入札額にその倍率を乗じたものを国庫に納付させる。優良農地の農外転用には高い倍率を課し、農業用の集積ほか地域振興に役立つ優れた計画には低い倍率を課す。上限や倍率の設定基準に市民参加を求める。

吉田:転用権入札構想のポイントは、「住民の合意形成が図れる」「税収が上がる」「適正価格にその土地が落ち着く」といったところでしょうか。
 
神門:おおむね正しいですが、より長期的には、これによって日本農業が海外に向けてオープンになるという効果が大きいです。これからの日本社会は、好むと好まざるとにかかわらず混住化、多様化していきます。その点で、農村は先を行っています。
 
 マスコミはあまり取り上げませんが、今、農村部でも外国人労働が常態化しています。例えば農家の外国人妻も増え、さらには、離婚問題なども起きている。
 
 離婚問題になると資産分割や相続の問題も出てくるから、そういう意味でも土地問題も重要になる。しかし僕は、農業での外国人受け入れは、十分に考えるべきことだと思います。相互理解にもなりますし、社会全体の活性化も期待できます。
 
 地域の土地利用計画の策定・運用・監視を、市民の責任分担で実行するという先行事例となる市町村が育ち、それを模範として全国に伝播していってほしいです。
 
吉田:「モデル農村」のようなものでしょうか。
 
神門:モデル農村と言ってもいいでしょう。モデル的な自治体とも言えます。例えば、箱根の近くの開成町は先進事例になり得ると期待しています。地方分権改革推進委員会のメンバーである、露木順一さんが町長をしています。
 
 もともと開成町は河川敷地帯で、よく川が氾濫したため、江戸時代に堤防を作り、川の流れを変えました。歴史の浅い町ですが、その分、地権者関係が割と簡単なんです。また河川敷地帯ですから、水田の基盤整備も最小限に留めてある。それほど肥沃な農地ではなかったので、周囲に注目され過ぎなかったのがよかったのです。
 
 さらに、土地に不動産開発業者が何軒かバラバラに入り込むと面倒なことになりがちですが、この一帯は、小田急グループが町と協力しながら計画的に不動産開発してきました。
 
 こういった条件の土地に、富士フイルムの研究所や明治ゴム化成日本製紙クレシアなどの企業があり、町の雇用や経済を支えます。町の歴史や環境への意識の強い住民が多く、町長のイニシアティブがある。快適な町づくりの素地があります。
 
吉田:「山間民主主義」の原型のようなものがあったのですね。このようなモデルケースがもっと出てくると、波及効果が出てくるでしょう。
 
吉田:私は以前、記事で、「中山間地域を維持するコストを考えると、農地は皆で管理をして、集団で都市部または平野に移り住み、農地に通うようにしてはどうか」と提案しましたが、これについてはどう思われますか。
 
神門:提案というより、現状といえますね。既に、少なからぬ都市住民が相続などで中山間地域の農地を所有していますよ。過疎地対策と農業問題は峻別するべきです。提案も大事だけど、まず農地の権利関係や利用実態について基礎的なデータを整備しなければなりません。
 
 例えば不在地主については、一応「農林業センサス」(注2)などのデータはありますが、捕捉率が低いです。不在地主の中にも、本当に通って農業をやっている人と、相続で農地を持っているだけの人もいて、内実がはっきりしません。
 

(注2)農林業センサス
 日本の農林業、農山村の実態を総合的に把握するため、農林水産省が5年ごとに行う調査。詳細なデータは、こちらを参照。

 中山間農業地域でも、農地基本台帳と土地の現況が食い違うケースは多々発生しています。農地基本台帳のデタラメさは、都市近郊も中山間農業地域も変わりません。
 
吉田:農水省がきちんと調査をしていないのでしょうか。
 
神門:直接的な業務責任者は、農業委員会です。ただ、農地基本台帳が法定化されていませんから、責任の所在が曖昧です。マスコミはすぐに規制緩和地産地消などの提言をしたがりますが、まずはこういう実態把握の必要性を指摘してほしいですね。
 
 農地基本台帳ですら実態と懸け離れているのでは、農業振興を語る以前の状態です。まず、腹を据えて農地基本台帳をきれいにしないといけない。その際、過去の違反転用や相続税逃れをどう処分するか、やっかいな問題も出てきますが、だからといって先延ばししても解決にはなりません。
 
吉田:主導権を握ってそれらを制度化するには、どこが責任を持つべきでしょうか。
 
神門:直接的には、農水省と農業委員会でしょう。彼らはあれだけ食料自給率とか、多面的機能とか言っているわけだから、それを逆手に取って「その通りです。でもそれをやるには、実態調査が必要ですよね」と言ったら、反論できないでしょう。
 
 ただ、市民も行政任せを脱し、地域の土地利用のルールは自分たちで決めて自分たちで守るという体制を作らなくてはなりません。
 
 消えた年金問題」も国民世論があったからこそ、あそこまで洗い出そうということになった。農地利用規制が有名無実化していることを、もっと世論が問題にしていかないといけない。農地の違法転用、資金のおかしな動き。こうした不正の告発が改革の第一歩になるでしょう。
 
吉田:不正は、増えているのでしょうか。
 
神門:開発が進んでいる市町村を回れば、悪い事例は必ず見つかります。例えば昨年、所沢市で農地が無許可で野球場に転用されたケースがありました。

吉田:市の農業委員会が「すぐに畑に戻せるから違反転用ではない」とした例ですね。
 
神門:あれはひどい例です。農業をやらない人は勘違いするのですが、耕運機を入れても、すぐには農地には戻らないのですよ。
 
 なぜなら、水は入れるよりも抜く方が技術的に難しいんです。長い間農業をやっていない土地は、水を抜く設備が完全にやられてしまっている。雨が降っても水がはけず、どろどろの状態になってしまうんです。
 
 こうしたケースは、探せばいくらでも出てくると思います。農業委員会も、今はまともなところを探す方が難しいくらいです。これらの不正を明らかにしなくてはいけない。
 
吉田:それを始めるには、内部告発も必要になるかもしれません。インターネットのブログなどでは、「優良農地2ヘクタールの広大な土地に下水処理場を作る計画を、農業委員会にも話さずに計画し今工事にかかっている」といった告発も出ています。
 
神門:結果的にはそうなるでしょうね。ただ、少し心配なこともあります。こうして「偽装農家」を告発することにより、善良な農家まで「土地転がし狙い」と言われることです。
 
 農業政策提言が最近ブームですが、政策提言をする怖さを知らない人が多いと思います。提言を実行することで死に追いやられる人も出るかもしれない。僕のような一研究者が、何百万戸という農家の利害関係に口出ししていいものかという怖さは、いつも感じています。結果責任を背負い込むという覚悟のうえで発言しなければ、政策提言とはいえません。
 
 「減反解除で米価が下がるだろうが、それは大規模農家に限定した所得補償をすればいい」というような教科書的な提言なら、誰でも考えつきます。立派な精神論なら誰でも言えます。
 
 でも政策提言というからには、規模拡大の促進とか担い手育成とか、もっともらしい看板の下で、ちゃっかり「偽装農家」を利してきたという、これまでの農政の実態をきちんと指摘し、そういうカラクリが起こるメカニズムへの具体的な対策もセットにしなくては無責任です。
農商工連携というのも、相当危ない。税金の無駄遣いが増えるだけです。あんなものをもてはやす発想が、おかしいですよ。農商工連携を言うのなら、漁業、看護、金融、医療と連携してもいいはずです。
 
 農商工連携では、地域の商工組合とJAが補助金を取る口実を求めているだけなのです。あれでは、発意がなくなってしまう。「農商工連携で発意を引き出す」と言っていますが、発意を引き出すのではなく、むしろ押しつける発想になっています。
 
 土地やコメ、食肉の問題は、荒療治をしないといけない段階に入っています。食肉の問題も、不正の多い巨大な暗闇です。例えば差額関税問題ですね。
 
吉田:低価格の豚肉ほど高率の税がかかるため、不正輸入が頻発していますね。食肉卸販売業者が、脱税で逮捕されました。
 
神門:現場の人間の方が、はるかに物をよく知っている。いかに現場の人間が発意を発揮できる状態に持っていくかです。現時点の問題は、農地でもコメでも食肉でも、規則があまりにも複雑で不透明なことです。何をすれば違法になり、何をすれば摘発されるのかさえ曖昧で、これでは正直者が報われません。この状況だったら何をやっても効果はありません。
 
 大事なのは、ルール作りと監視を公明正大にすることです。ルールさえ透明であれば、現場の人たちの発意から、自然と農業の担い手が生まれてきます。
 
吉田:農家全般は非常に補助金が多い分野ですけど、補助金というのはあまりなくてもいいのでしょうか。
 
神門:最終的には少なく、とは思っています。ただ、今の補助金というのは農家に出しているんです。農地に出しているわけじゃない。そこを変えないといけないのです。
 
 何年もかけて設計したコメ政策が、参議院選挙で自民党が負けた途端に、一部の政治家と官僚が内輪で相談して、瞬時にしてまったく別のシロモノに変えてしまった。こんな「前言撤回」がまかり通るようでは、どんなに素晴らしい政策を設計したとしても無意味です。どんな補助金であろうと、政局次第で簡単に全部変わるのでは話になりません。
 
 補助金を人に払っている限りは、「票を買う」ことにつながりかねない。他方、土地利用に対して補助金を出すことにすれば、例えば外国人がやってもいいことになる。政治的な動きから、切り離されることになります。
 
 2007年に導入された新しい補助金制度は、従来のバラマキ型から戦略的支給へという大転換であると農水省はさんざん吹聴しました。でも実態は、実質的に偽装農家を利しています。
 
 政策提言をする時、「基本方針のアイデアを出すから後は行政が良きにはからえ」では無責任です。立派な表題のもとで巧妙に内実ではいかがわしい癒着を続けるというのがこれまでの農政です。
 
 日本社会の「お任せ民主主義」を参加民主主義へと移行させ、政策の設計・運用・監視のシステムを変えない限り、農政の欺瞞は増長し続けます。転用権入札構想など、僕がこれまで発してきた提言では、参加民主主義への誘導を意図した“仕掛け”が組み込んであります。
 
吉田:農地への補助金について、詳しく教えてください。
 
神門:移行期の問題は置いておくとして、理想像から話しましょう。まず、地域ごとに農地利用計画を作ります。「例えばこの田んぼの一画は、蛍がいるから農薬をまいてはいけない」というふうにする。「その代わり、ここで水田をする人に対しては面積当たりいくらの補助金を出します」と。このような利用計画とセットにしていくわけです。
 
 移行期にはいろいろと問題も出てくると思いますが、先ほどの開成町のような場所なら、かなりやりやすいだろうと思います。
 
吉田:土地の特徴を考えて、付加価値が生まれやすい土地の利用方法、利用計画を立て、それに沿った補助金を出すということですね。
 
神門:そうですね。そして私的価値と公的価値の部分の差を補填することです。それはお金でやってもいいし、そのほかのことでやってもいい。例えば、労務でもいいでしょう。今、学校などでもいろいろなボランティア活動をしていますから、「この部分は小学校のボランティア実習に割り当てましょう」とか、そういうことをやってもいい。
 
 僕が主張する参加民主主義のいいところは、そういうアイデアが広がるというところです。そこを僕は信じているからこそ、研究者やマスコミが、あるべき農業像をあんまり言わない方がいいと思うのです。
 
神門:ここのところ農水省は、「前言撤回」を繰り返しています。むちゃくちゃですよ。しかもいろいろなところが不透明で、例えば補助金の算出根拠となるコメの価格が歪んでいる可能性がある。まず市民参加で行政を監視する仕組みを作らないと、個々の法律をいじっても無意味です。
 
 今、不用意に規制緩和だとか企業参入だとか言ったら、“思うつぼ”です。スローガンだけ拝借して、ちゃっかりと内実では偽装農家や産廃業者の都合のよいように捻じ曲げられかねません。
 
 具体的な問題は、農地、ミニマムアクセス米、そして食肉の差額関税。この3つは巨大な暗闇です。農水省をはじめ、関係者は実態をうやむやにしようとしています。
 
 でも悲観することはない。農業はものすごく大きいポテンシャルがあるし、土地利用をよくすれば、我々みんな幸せになれる。そういう国民的なうねりになってほしいです。
 
 とにかく、日本の農業がよくなってほしいというのが、僕の最大の望みなのです。そのためには、真実を把握しなければいけない。僕も含め人間は弱いから、ついつい現実を直視する勇気と努力を怠りがちです。でも一番重要なことは、真実に対する畏怖の念を持つことだと思います。
 
吉田:「偽装農家」という言葉の生みの親である神門先生は、農業を本当に愛しておられますね。誰かを悪者にする批判ではなく、現場の農民自身にすでに農業再興のためのアイデアがある、それを発露させ、そのための制度を作りたいとの熱意が伝わってきました。
 
 また、参加民主主義の概念に基づき「農業をどうするか、自分のこととして考えよ」と私たち国民に倫理観を問うておられ、背筋が伸びる思いがしました。アジアの範となる農業をめざして、「世界の中のニッポン」も頑張りたいと思います。今日はどうもありがとうございました。