青年マルクス

  

  
廣松渉先生・・・
そうか、池田信夫さんも廣松学徒だったんだ。
漏れもマルクス理解に行き詰まっているときに廣松氏を知り、生協で並べてあったすべての著作を買って帰ったのは懐かしい思い出だ。(30冊くらいだった)
たしかに池田さんが言うように物象化というのは廣松氏の解釈でマルクス本人の理解とは違ったろうなあと思う。
しかし廣松氏の路線でしかマルクスは救えないと思ったのも事実。
そして廣松氏の解説は(世評と違い)わかりやすかった!
もともと廣松さんは物理学徒だったので、極めて合理的理系的な整理なのだ。
その意味でおなじ元物理学者の大森荘蔵先生とも話があったようだ。
かわったところでは竹内薫とか宮台慎司も廣松学徒なのだった。
やっぱり理系に親和性があるみたい。
その後漏れはネオ赤一派も学んだけど、結局廣松経由の理解だったような気がする。
(廣松先生はソシュールぱくったとか言われていたのだ(漏れはそう思わないけど))
というか、廣松理解からすればネオ赤ってなんだか高級言葉遊びに過ぎない気がしていたし、結局いまもそう思っている。
漏れはほとんど「謦咳に接する」ことができなかったけど、暗い暗い哲学的迷妄からの道を示してもらった、漏れの中では第一の師匠なのです。
ところで廣松先生は活動家でもあった。『情況』とか荒岱介のグランワークショップなんかと関わっていたが、それには宮台慎司なんかも顔を出していた。
で、誰の話だったか、廣松先生は226の叛乱将校にすごく共感していたこと。白人を嫌って「露助」「アメ公」とか平気で言っていたこと(英語のYesの使い方が変だとかの突っ込み(笑))いろいろ話を聞いたモノだった。
     

動物行動学で「刷り込み」という現象がみられるが、人間の思考にも刷り込みがあるとすれば、
たぶん10代までだろう。学生時代からあとは、本質的な変化はないような気がする。私は著者の『唯物史観の原像』を高校3年のとき読み、大学1年のとき彼の科学哲学のゼミにもぐりこんで、圧倒的な影響を受けた。今でも、私の思考の「第1レイヤー」は廣松によって作られたと思う。
   
本書は彼の初期の作品の30年ぶりの再刊で、名大で全共闘と一緒に闘って辞職し、プータローだったころの本だ。このころ彼は、生活のために大量の原稿を書き、年に5冊ぐらいのペースで本を出していた。彼の読書と執筆のスピードは驚異的で、死去したときは400字詰めで1万枚の未発表原稿が残されていたという。
   
彼の代表作も、この浪人時代に集中している。『原像』も『マルクス主義の地平』も『マルクス主義の成立過程』も、このころだ。本書もその時期の著書だが、彼の「本流」の作品とは違うので、廣松を最初に読む人にはおすすめできない(主著は学部の卒業論文!)。ただ、また「疎外論」が悪い意味で注目されている昨今には、読む価値があるかもしれない。
   
いま読みなおしておもしろいのは、マルクス法哲学徒として出発したことだ。ヘーゲルの法=権利の哲学は、近代初期の社会科学を集大成して、その後のあらゆる分野に影響を与えた巨大なモニュメントである。それはカントの「定言命令」に代表される啓蒙的な自然法思想を否定して、「自然」な道徳などというものは存在せず、近代国家の法は「欲望の体系」としての市民社会の疎外態だとする。
   
これは法哲学という学問の否定で、法は経済システムの「上部構造」だという現在に至る社会科学の通念の元祖である。フォイエルバッハはこの大前提を認めたうえで、ヘーゲルの「絶対精神」を「類的存在」に置き換えた。『経済学・哲学草稿』のころのマルクスは、基本的にフォイエルバッハの枠内にあるが、社会主義運動の影響を受けて、フォイエルバッハの類的存在=人間の概念もヘーゲルと同じ観念にすぎないのではないか、と問題提起するところで終わっている。
  
このあとマルクスは「フォイエルバッハ・テーゼ」で、人間の本質は社会的諸関係のアンサンブルだという有名な認識にたどりつく。この転換を廣松は「疎外論から物象化論へ」と表現したが、これはいま思えば廣松哲学の読み込みだった(物象化という言葉もマルクスは使っていない)。マルクス唯物論(Materialismus)は、ヘーゲル的な大文字の主体(超越論的主観性)を否定して、具体的(material)な現実にすべてを還元することだったのではないか。この意味では、認知論的転回の元祖だったのかもしれない。
   
・・・などと際限なく最新の思想的ファッションに合わせて読み込みできるところがマルクスの特長だが、やはり彼は近代市民社会の亡霊性の背後に「労働」とか「共同体」という本質を措定していたというデリダの批判はまぬがれない。廣松の晩年の議論も形而上学的になって、行き詰まってしまった。それは「学問」として格好をつけるためには、生成の側面を捨てて完成されたコードの体系を見せなければならないというアカデミズムの限界だろう。彼の代表作が浪人時代に書かれたのは、偶然ではない。
  
脚注 (池田信夫)
  
2008-11-15 20:16:18
   
廣松氏の読書量も伝説的でした。英独仏・ラテン語ギリシャ語を母国語なみに読み、ゼミのテキストはすべてドイツ語。しかも授業で、ノートなしにヘーゲルヴィトゲンシュタインを引用して、細かい文献考証までやる記憶力に学生は圧倒されました。本郷の一般教養の授業なんか普通はだれも受けないのに、廣松の授業は大教室が満員でした。
   
それでいて、バカな学生の話もていねいに聞く。私が送ったサークル雑誌まで読んで、「池田君のあとがきはいいね」とコメントをいただいたのには敬服しました。東大教授という肩書きがきらいで、大森氏にまねかれたときも「非常勤講師でいい」と固辞し、退官したあとも「天下り」を拒否して河合塾(!)の研究員になった。
   
彼の本は難解だといわれますが、それは漢字がむずかしいだけ。発想は図式的なので、コツさえつかめば全部同じです。ただ彼があまりにも巨大だったので、後継者が育たなかった。講座の後釜はセクハラ親父の佐々木力ですが、比較にもならない。
   
TITLE:池田信夫 BLOG
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