俺は、君のためにこそ死ににゆく
- 出版社/メーカー: TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)
- 発売日: 2007/10/21
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”右翼”石原制作総指揮ということでなにかとお騒がせの作品。
先週末見に行ってきました。
行ったのは日曜午前の銀座でしたが、客の入りは4割というところ。
老人が多く若い女性が少ない。
日本はまだまだ右傾化してません。(*^_^*)
結論。
映画としては駄作。
しかし悪い映画ではなかった。
というか、ある意味「サヨク映画」と言っても良いほど特攻のダークサイドも描いていた。
悪い印象を受けなかったのは、制作意図がわかったからだ。
つまりこれは鎮魂の映画なのだ。
『男たちの大和』と同じだ。
劇中19歳の隊員がつぶやく。
「死ぬってどういう事なのかな。僕が死んだらみんな僕がいたことも忘れてしまうのかな。」
それに対して「忘れないよ」と言うためにこの映画ができたのだろう。
それが分かっただけでとりあえずは良かった。
僕が心配したのは、遺族や死んだ隊員たちが不快になるような描かれ方をしないかということだった。
その点に関しては、特攻を美化するわけでもなく、糾弾するわけでもなく、材料を提供するにとどめていたために、合格だった。
これは沖縄出身の新庄監督のバランス感覚が奏功したのだろう。
最も気になった大西中将の描き方も公平だったと思う。
参謀「それは命令ですかっ?」
大西「これは志願という名の命令だ!」
大西「負けるにしても負け方があるっ」
参謀「負ける!?(負けるとわかって死にに行かせるのか!)」
大西の計算も狂気や独善も読みとれる。
まぁこれはある意味当然で、
基本的にすべて実際にあったエピソードの再現なのだからウヨクもサヨクも自分の好きな読みとり方ができるのだ。
・・・ところで特筆すべきは戦闘描写の秀逸さだ!
日本の戦争映画では最高レベルだろう。
実はこの映画を見に行った直接の動機はVFXを見たかったからだ。
その期待にかなり応えてくれた。満足。
パンフ読んで納得した。
これは栃林秀さんの仕事だったのだ!
栃林さんはアマチュアから独力で世界最高水準の飛行機CGを作成するようになった凄い人だ。
新海誠さん大平貴之さんと並んで僕のもっとも尊敬する日本人の一人である。
http://www.k4.dion.ne.jp/~suppon/index.htm
これからもこの調子でどんどん作ってくれ!!
【1】
柳下の映画批評はかなり好きなのだが、今回は典型的に戦後民主主義的でいただけない。
・「負けるってわかってるんだったらできるだけ損耗を少なくして負ければいいじゃないか。」
どうも戦後世代は簡単にいってくれるが、それもこれも米軍の占領がそれほど酷くなかったという結果論からでしかない。
共産国に占領されたらトンでもないことになっていただろうし、米軍だって最初は日本を徹底して破壊する方針だった。
それがいくつもの偶然によって「ましな占領」になっただけ。
それに負けると分かったからこそ「反撃」が重要だったことも理解していない。
レイテ以降の闘いは講和条件を巡る闘いだった。
このために硫黄島・沖縄での決戦が試みられ、特攻が本格化した。
で、サヨクにとって都合の悪いことに、結局このもくろみは成功したのだ。
ポツダム宣言という日本に有利な講和条件は、硫黄島から沖縄までの反撃によって得られた。
これは米軍が日本人に絶対に知られたくない真実だ。
だからこそ占領中に、
「硫黄島・沖縄・特攻は無意味だった。米軍は圧倒的だった。適わない。」
という洗脳を必死に行ったのだ。
・特攻は無効な戦術だったのか?
特攻は純工学的に言うなら「有効」である。
特攻というのはつまり「人力による精密誘導弾」である。
だから当時にあっては効果があってあたりまえである。
パンフレットでも
「特攻が成功する確率は30〜10%。しかも戦域にたどり着けない確率も高かったから成功率は相当低かったと思われる。」
と書かれていたが、わかっていない。
この確率は練度の高いベテランの攻撃と同じくらいである。
戦争末期の練度も低い搭乗員による攻撃としてはかなり高いといえる。
また、特攻による米軍の死傷者は9000名といわれる。
これは特攻兵1人に対して1.5倍でかなり高い。
よく知られたように太平洋戦域でのキルレシオは
平均して日本兵10人に対して米兵1人くらいである。
敢えていうなら有効だと言わざるを得ない。
だいたいサヨクは貶し方が間違っている。特攻を有効無効で評価すべきではない。
「無駄だからやるべきではなかった」というなら「有効ならやるべき」なのか?
漏れは死亡確率99%でも100%とは決定的に異なると思う。
100%を強いたことに罪があるのだ。
なお、柳下がいうように、なんだか北朝鮮を想像させるシーンはあった。
民間人のおばちゃんを憲兵が殴ったり蹴ったり、
走るトラックの荷台で動員された女学生が歌っている風景、
死ぬというのに周囲の人が妙に淡々と見送っているようにみえたり。
本編は海外輸出されるそうだが、こういうシーンは欧米人の目には奇異に映るだろうな。そういう意味で柳下は欧米的。
ちなみに柳下もVFXは認めているな。(^_^)
【2】
『パッチギ2』はこの『オレキミ』をターゲットに作られた映画だったんだね。
「国のために死ぬなんて馬鹿らしい。みっともなくても逃げ回って生き残ることが大事だ。」
という戦後の正統派イデオロギーを主張しているらしい。
こういう映画バトルは面白いし為になるので歓迎だけど、これ日本でしか通用しない思想だな〜ψ( `∇´ )ψ。
井筒が韓国やイスラエルで「祖国のために戦うなんて馬鹿げている!自分が生き残ることが大切だ!」と論破したら認めるけどね。
朝鮮戦争で韓国人が逃げ回っていたら韓国はなかったもんな〜。
【3】
映画的には凡作だというのはそのとおり。
【4】
この三村っていうおじいさんの書いた『神なき神風』という本が漏れの特攻観のベースになっている。
彼は友人を多く特攻で失ったものとして特攻作戦を実行した人々をけっして許さない。
大東亜戦争の欺瞞もわかっている。
しかし靖國に対する誹謗もまた許せない。
なぜなら靖國がどういうものなのかには関わりなく、それが死んでいった人々との約束なのだから、という理屈だ。
同感だ。
約束は約束なのだ。
おまえらの後知恵なんか聞きたくない。
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【1】柳下毅一郎の映画評論家緊張日記
新城卓ってイマヘイの弟子なのね。イマヘイの門下生が慎太郎の指揮下でこんなキチガイ映画を作るっていうんだから世も末だな。
冒頭、伊武雅刀演じるところの大西中将が特攻作戦の意義を説明する。
「日本は負ける。だが日本の国体を守るためにはただ負けるわけにはいかない。
日本が白人の手から東南アジアを解放するために戦ったという信念を示すためには、
国家の名誉のために若い者に死んでもらわなければならない!」
これ意味わかる?
いくら考えても意味がわからない。
負けるってわかってるんだったらできるだけ損耗を少なくして負ければいいじゃないか。
だいたい特攻作戦が無意味だってことは最初からみんな知ってるわけ。
効き目があったのは最初だけで、新兵をボロ飛行機に乗せて飛ばすようになったら、
特攻はおろかひたすらグラマンに叩きおとされるだけになる。
飛行隊の指揮官は「あいつらは沖縄までも行きつけない。ただの犬死にです」って抗議するんだけど
「ともかく、一人でも多く散ってもらうことが肝心だ」
慎太郎的にも完全に犬死にだっていう描写なわけ。
でも特攻隊員は我先に死ぬ順番を争って「俺が先に行く!」と飛行機の取り合いをするは、
女子挺身隊員たちは歓び組のような満面の笑顔を顔に張り付けて「お国のために死んできてください!」って送り出す。
完璧に狂ってる。ていうか完全にキチガイの国っていう描写だよこれ。
北朝鮮にだって負けてないぞ。
死んだら神になれるって迷信を信じてどんどん自殺していくカルト国家。
これこそが特攻隊員の名誉を回復すると考えてる慎太郎閣下が書いてるんだから、すべて本当のことなんですよね?
ああ、こんな国に生まれないでよかった。
岸恵子が「今、世界では自爆テロの走りが日本の特攻であると混同する風潮がありますが、これは哀しいことです」と言ってるんだけど、
この映画を見るかぎりどう見ても宗教テロです。本当に(ry)
なお、CGはなかなか良くて、戦闘シーン(CGとミニチュアの組み合わせ)は迫力あった。『男たちのYAMATO』よりもいいんじゃないか?
URL:http://garth.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/2007_d8be.html
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【2】パッチギ! LOVE&PEACE(2007/日)
根本的に作品全体を観れば、各エピソードの繋がり方が乱雑であり、井筒作品としても高い評価を下すことは出来ない。
しかし、70年代から連綿と続く自己陶酔型戦争大作に果敢に挑んでいるという意味で、この作品は勇気ある挑戦作として認められる。
この作品の明らかなターゲットになっている、都知事制作・脚本の『俺は、君のためにこそ死ににゆく』という映画を自分は観ていないし、今後も大枚の金を払って見に行く気持ちはない。
理由は簡単、これまでに慎太郎原作、或いは脚本の映画を少なくとも5本は観て、その稚拙さと安っぽい思想に呆れ返ったからだ。
自分は井筒監督がこの映画について語ったという言説を見ていないのだが、もしそこに石原作品へのアンチテーゼが明白にあるのなら、監督としては責任をもって作品を目撃し、発言すべきだったとは思う。
しかしたぶん未だに多くの都民人気を集めている石原の大作に対し、この映画は安上がりな戦闘シーンしか作り出せるまい、との自分の諦めは見事に裏切られた。
そして、石原作品のみならず現代戦争映画をカリカチュアとすることなく再現した、『太平洋のサムライ』なる作品を、キョンジャは国民の「名誉」よりも生きる意味を大切にし、戦場を逃げ惑った父の思いを胸に真っ向から否定する。そしてその想いは、ピンポイントで見せてくれる迫力を充分に持ち、井筒は画面上でも立派に現代を指弾する。
自分はこれを支持したい。日本中の人々が右傾化の波に嬉々として乗り、あの戦争の犠牲者を「英霊」などと呼んで無責任に国家神道に立ち戻ってゆく様は醜い限りだ。『LOVE&PEACE』などとは今時気恥ずかしいサブタイトルだが、まさにそこに現代指弾の鍵があることを評価したい。作品として観るならば、これは在日朝鮮人を描きつつそこに異常なイデオロギーなどは存在せず、立派に現代の日本人の問題として敷衍していると感ずるからだ。ここには日本人の一面しか描かれていないという批判には、まさにその一面こそが数多の日本映画
に欠けていたものだ、という事実をもって反論したい。
URL:http://cinema.intercritique.com/comment.cgi?u=3093&mid=18944
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【3】保守おじさん特有の痛さが出まくり 40点(100点満点中)
(略)
大勢の隊員とトメさんの交流の話にくらべればウェイトは少ないが、特攻なんてモノがなぜはじまったのか、最初の隊員はどう選ばれたかなどいわゆる歴史解釈に属するような内容も含まれる。整備不足で出陣前に事故で無駄死にするなど、特攻の愚かしい面も逃げずに描いた点は、保守派の石原慎太郎による映画としてはなかなか公平だな思えるところ。
しかし、随所に感じられる「イタさ」はいただけない。まずなんといってもタイトルが痛い。
B'zの歌じゃあるまいし、このみっともない題名は何なのか。……と思ったらこの映画の主題歌はそのB'zであった。
歌ならいいが、映画にこのこっ恥ずかしい題名はない。
中身も痛い。無理して保守色を出そうとして、ことごとく失敗している。
たとえば流れからスッポリ浮いている「靖国で会おう」発言のわざとらしさ。
そして原作のハイライトでもある蛍が舞う場面あたりの演出センスの欠落振り、時代遅れぶりは目を覆わんばかりだ。
だいたい特攻隊員の内面の葛藤をメインテーマにした映画をタカ派の石原慎太郎が映画にする時点で間違っている。
隊員、すなわちミクロ視点で特攻を描けば、左翼だろうが右翼だろうが似たような悲劇になってしまうのは当然。
まさか「英霊たちはみな勇敢に迷わず自ら飛び立っていった」なんて嘘をつくわけにはいかないのだから。
むしろ石原氏のような保守派が特攻映画を作るなら、この映画があまり触れていない歴史解釈の側面、つまり世界史の中で特攻とはどう位置づけすべきなのかという点をメインにすべきだった。そうしていれば、「特攻は残酷なものだ、無駄死にを強制した非人道的な行為だった、でも各隊員らは任務をまっとうして立派だった。やっぱり戦争はよくない、やめよう」という馬鹿げたメッセージしか言えない左翼映画人に差をつけることができた。
いまや左翼的映画人の代名詞たる『パッチギ! LOVE&PEACE 』の井筒和幸監督は、露骨にこの映画と石原氏を名指しでライバル視し、相変わらずメディア使いがうまいなと感心させたが、映画作りのうまさにおいても今回は上回ったなと思わせる。どちらも決して洗練された現代的な映画ではないが、井筒監督のそれはパワフルで堂々としているのに対し、こちらはただ古臭いだけだ。マンション特攻の生き残り、窪塚洋介らがいかに見事な役作りを見せたとしても、その差は決してうまらない。
URL:http://movie.maeda-y.com/movie/00903.htm
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【4】三村文男 靖国か国益かは選択肢でない
靖国か国益かという選択肢は、本来成り立つものでない。前者は日本国民の心の奥底のこと、後者は政治経済の現実であるからだ。
(略)
ついにマスコミは靖国問題が「国論を二分する」とまで放言するに至つた。
戦前戦後を通じて靖国神社がこれほどまでに貶められるのを見たことが無い。
文化勲章受賞者の故森嶋通夫ロンドン大学教授は、昭和54年7月号「文芸春秋」「新軍備計画論」と題した論文を次の文章でしめくくられた。
ソ連来攻の危険が問題となつていた頃のことである。
「不幸にして最悪の事態が起これば、白旗と赤旗をもつて、平静にソ連軍を迎えるより他ない。34年前に米軍を迎えたようにである。そしてソ連の支配下でも、私たちさえしつかりしていれば、日本に適した社会主義経済を建設することは可能である・・・・・・私達があの廃墟の中で(あやまちは二度と繰り返しません)と死者に誓つたのは、このような絶体的無抵抗ではなかつたのか」。
小泉首相の不戦の誓いもこんなものだとしたら、英霊に対する裏切りではないか。
(略)
三村文男:
神戸市出身
満州帝国建国大学中退一高を経て東京帝国大学医学部卒業
開業医の傍ら著作、評論多数
『米内光政と山本五十六は愚将だった』(テーミス)
『神なき神風−特攻50年目の鎮魂−』(テーミス)など
URL:http://www.melma.com/backnumber_133212_2255054/