映画「クロッシング」は何故公開が遅れたのか?[桜H22/4 /26]
漏れはむかし四方田犬彦が好きだったが、李鳳宇にえらく追従しているのを読んで何かヘンだなあと当時も思っていた。
その後の李鳳宇の展開は明らかに親北鮮で、とても北鮮と決別しているとは思えない。なのに四方田はなにも言わない。それどころか、追従が昂進(笑)
結局甘チャンのとっちゃんサヨク坊やだって分かってしまった。┐(´д`)┌ヤレヤレ
文化サヨクってやっぱ政治センスがないよなあ。
でも、こういう封殺に抵抗する人が日本人にもザイニチにもいる。それが嬉しい。
アジア映画社って知らなかったけど、朴炳陽さん気骨あるなあ。危ない発言たくさん。
生姜先生を北鮮の工作員だって断言しているwww
でも、著書をみれば北鮮支持は明白なのに、そのWeakPointを誰も責めようとしないマスゴミ空間の異常さよ。
そして、そういう怪しい人物を専門外の番組にまで起用してヨイショするNHKの異常さ。
(てか、そもそもNHKって左右以前にお坊ちゃんのナルシシズムリベラルぶりがキモい)
映画靖国も配給。NHKもトップランナーで李鳳宇を呼んでしきりに持ち上げていたし、
日経トレンディのヨイショ記事から。このあと直ぐに"倒産"(笑)
李鳳宇(リ・ボンウ、이봉우、Lee Bong-woo、1960年 - )は、映画配給会社シネカノンの代表で、映画プロデューサー。
(wiki)
来歴
1960年、京都市生まれ。京都府京都市南区東九条出身の在日韓国人(朝鮮籍より変更)。北朝鮮から支援を受ける朝鮮大学校(東京都小平市)外国語学部卒業。
父親(1987年に死去)は朝鮮労働党に身を投じ、京都では朝鮮総連の京都・南支部の副委員長を務めていた[1]。74年に脱退したことになっている。映画「パッチギ! LOVE&PEACE」の父親のエピソードは、李の父親の実体験を基にしている。なお母親も、朝鮮総連のスパイ養成所と指摘される幹部学校中央学院で缶詰教育を受けた幹部だった。
大学校卒業後、1983年朝鮮新報社に入社。朝鮮労働党員と同一資格を取得。1984年、フランス・ソルボンヌ大学留学。二年間を過ごす[2]。帰国後、徳間ジャパンにて映画プロデューサーの道を歩み始め、1989年配給会社シネカノン設立。
1992年、北朝鮮当局監督下「朝日映画輸出入社」との日朝合作映画『バード』(リム・チャンボン監督)を製作。同年九月、平壌で開催された「第三回平壌映画祭典」で「朝日合作の話題作」として上映。李鳳宇は、四方田犬彦ら日本の映画評論家たちを「同行(招待)」している。
1993年初プロデュース作品『月はどっちに出ている』で50以上の映画賞受賞[3]。他に『のど自慢』『パッチギ!』などを製作。
配給作品は、北朝鮮映画「我が家の問題」シリーズ三部作。韓国映画『風の丘を越えて -西便制-』『シュリ』『送還』『スキャンダル』はじめ、欧米作品を含む130本以上[4]。
「親北派・対日文化工作」について
以下は、『新潮45』 2010年3月号「脱北映画『クロッシング』は何故、封殺されていたのか」から抜粋構成。李鳳宇は、朝鮮総連幹部から、韓流ブームに対抗して「朝(北朝鮮)流ブームは起こせないか」との相談を受け「日本社会をきちっと分析し、段階を踏んでやればできる」と応じた(コリアNGOセンター・ニュースレター№1「韓流から新しい東北アジアの創出を」より、2004年発行)。こうして製作されたのが『パッチギ!』(2004年)、『パッチギ! LOVE&PEACE』(2007年、ともに井筒和幸監督)の2作である。
この2作で、主題歌的な存在として登場する曲が《イムジン河》(原題《臨津江》)である。「《イムジン河》は、「朝鮮民謡」ではなかった。実態は、北朝鮮国歌を書いた朴世永の作詞、高宗漢の作曲で、1957年に北朝鮮で発表されたプロパガンダ歌だった。そのプロパガンダ歌を「素朴に朝鮮民謡と単純に思い込んでいた(『少年Mのイムジン河』7ページ、松山猛、2002年木楽舎)」松山らが事実誤認で作った日本語版「イムジン河」の歌詞を転用、『パッチギ』における「イムジン河」の歌詞は、北から韓国への侵略戦争の事実を隠蔽し、史実を知らない観客をミスリードした。
2006年は、韓国のドキュメンタリー映画『送還日記』(2003年、キム・ドンウォン監督、原題『送還』)を配給公開した。北朝鮮から「祖国統一のために」韓国に入国したのに「スパイ扱いされて」逮捕された「非転向長期囚」たちと、彼らを北朝鮮に送還させる運動を追った「親北」映画であるが、李鳳宇は、この映画の中の、日本人にとって最重要部分を削除して公開した。オリジナルには、何と辛光洙が登場していたのである。そんな重要犯罪者が、「被害者」「英雄」として母国へ送還される挿話があったのだが、日本公開では見事に削除した。
「李鳳宇は工作員ではない」と 彼の擁護者がよく挙げる話に「彼は金日成バッジを持っているのに絶対に付けようとしない」「韓国に転籍している」というのがある。先述した平壌での映画祭でも「死んでもバッジは付けない」「北朝鮮はどこかおかしい」と、盛んに言っていたそうだ。だが、北朝鮮が、自国に有利な人物にはあえてバッジを付けさせないのは有名な話だし、韓国に転籍している金親子崇拝者や親北者など、数多くいる(そのほうが日本で活動しやすいからだ)。
なお、2008年、北朝鮮民衆の悲劇を描き、ハリウッド映画祭グランプリ受賞、2009年米国アカデミー賞外国映画部門韓国代表作品、脱北映画の傑作『クロッシング』の日本公開を「封殺」したとして批判され、問題となった。
数々の金銭トラブルや『クロッシング』の封殺失敗などの理由で、2010年1月東京地方裁判所に民事再生手続を申請、シネカノンは事実上倒産した。
著書
『「月はどっちに出ている」をめぐる2、3の話』(1994年、社会評論社)ISBN 9784784509171
『先に抜け、撃つのは俺だ』(四方田犬彦との共著。1998年、アスペクト社)
『日本映画は再興できる』(2003年、ウェイツ)ISBN 9784901391368
『パッチギ! 対談編』(四方田犬彦との共著。2005年、朝日新聞社)ISBN 9784022598745
『愛、平和、パッチギ!』(井筒和幸との共著。2007年、講談社)ISBN 9784062140355
『パッチギ!的-世界は映画で変えられる』(2007年、岩波書店)ISBN 9784000244398
NHKと李鳳宇と井筒和幸
http://www.tamanegiya.com/rioou21.7.10.html
平成21年7月6日月曜日雨のちくもり
私はテレビを見ないので知らないのですが、NHKが「韓流シネマ 抵抗の軌跡」、その第一回「それはアリランから始まった」(四月二十八日放送)というのがあったそうです。この番組について「激論ムック NHKの正体」(オークラ出版 平成二一年)に但馬オサム氏が「『韓流シネマ 抵抗の軌跡』に一言」(神話化される元祖・韓流映画)として文章をP110〜111に掲載しています。 我が国統治下の大正十五年の朝鮮半島において作られた毎日新聞の記事にあったこの伝説の「アリラン」という映画についてです。 解説を務めたのが李鳳宇氏シネカノン代表だそうです。そして、李氏は「アリラン」を植民地支配下の韓国人映画人の抵抗と苦悩の象徴であるとし、同作品を韓国人意識を持った韓国人監督の手による元祖韓流映画であると位置づけた。
としているそうです。
この李鳳宇氏とは、あのどうしようもないバカ監督の井筒和幸氏の親分であり、井筒氏にあの反日ウソ映画「パッチギ!」「パッチギ!LOVE&PEACE」を作らせた男です。 この李氏および「パッチギ!」について、自らも朝鮮系日本人である浅川晃広氏は著書「『在日』論の嘘」(PHP 平成十八年刊)において下記のように書いています。まず映画の起源は、李が井筒に松山猛『少年Mのイムジン河』を薦めたことである。 (略) この松山の逸話をもとに映画化する運びとなり、井筒が羽原大介と脚本の作成に入ったが、井筒によると、「そういえば彼(=羽原、引用者注)、『在日』の歴史から生活感まで、李プロデューサーからそうとうみっちりとレクチャー受けた言うとったよ」(「パンフ」)とのことである。
さらに、井筒は「李さんに朝高時代の体験談をぜんぶ棚卸ししてもらって、どんどん脚本にブチ込んだ。だからアンソン、モトキ、チェドキの人物像には、李さんや同級生、先輩・後輩たちの経験がいろいろ入っているんだよね。映画の冒頭にでてくる『銀閣寺バス転覆事件』のエピソードも教えてもらったし」(「パンフ」)とも述べており、李が在日、朝鮮学校関係の原案設定を事実上行ったといえるだろう。(「『在日』論の嘘」 P108〜109)続いて、「井筒は北朝鮮の共犯者か」として
このように、映画で描かれているものには、ある特定の在日朝鮮人の個人体験や、その意志、意図、思考様式が色濃く反映されているのである。
李は「一九六八年という時代に朝鮮高校に通っていた男の子の日常といえば、これはもう間違いなくケンカでしょう」(「パンフ」)と述べており、(略)こうした製作経緯からも明らかなように、そもそも映画は、李のような朝鮮高校出身者の過去における暴力行為(たとえば、冒頭の「銀閣寺バス転覆事件」はもとより、アンソン等による、赤電話十数個を破壊し、内部の硬貨を略取した上で、空地においてガソリンを振りかけて焼却する行為など)の回願・美化という視点が根底にあり、総連・北朝鮮に対する批判的な視点など、当初からありえないことは明白だ。
それゆえに、当時の関係者が北朝鮮の問題点を現在の視点から噛み締め、自己の行為を反省し、贖罪するなどというものではとうていない。依然として、帰国運動等の北朝鮮による恐るべき犯罪行為と、自らの暴力行為を半ば肯定し、そして自己満足・正当化するという大きな制作意図があるのだろう。(略)
その意図は、「帰国事業」や「拉致」を始め数え切れない人々の命を奪い、塗炭の苦しみを与えている北朝鮮体制の本質の隠匿であり、そこに関与した人々の免責であり、また、井筒のような「社会派」を自称する人間が「日本人に虐げられてきた在日」を描き出す映画を作る事で事実上の北寄り発言権を獲得する目的もあるのかもしれない(P109〜P111)井筒氏は自らの著書「民族の壁どついたる!」(河出出版 平成十九年刊)において朝鮮人の暴力性について下記のように擁護しています。
植民地政策によって祖国を奪われた移民たちが、宗主国に住みつ、子供が生まれ、孫が生まれ・・・・と世代を重ねていくうちに、「俺たちの祖国はどこなんだ!」、「自分らの民族性を隠して暮らすのはもういやだ!」という反抗がもとで、テロや暴力、武力闘争に発展していくんです。(p110)
まあ、ここまでアホも少ないと思いますが、我が国に住み着いている朝鮮人は自らの意志できたのであり、それは戦後も一番の不法滞在外国人が朝鮮人である事からも明らかです。 今現在、他国における移民としての日本人と朝鮮人の一般的評価の違い等を井筒氏は考えようとしないし、理解しようともしない。そんな考え方を持った李氏が解説を務める番組ですから、但馬氏が
番組は当然の事ながら、羅雲奎監督の強い民族意識に対する賞賛と抵抗史観にもとづいて話が進められており、おそらくこれを見た日本人は韓国に対する新たな贖罪意識を植え付けられたことだろう。
と書くような番組だったようです。
ただ、但馬氏も指摘されていますが、韓国人が好んでいうところの「人類史上類例のない過酷な植民地統治」下でどうしてこのような反日映画の製作・公開が許されたのだろうかということだ。 それに関して、番組では時代背景を含めた一切の説明がなされてないのである。
考えてみてほしい、チベット人が中国共産党の圧政を告発する映画を作り、中国国内で上映することが可能だろうか。はたして、北朝鮮で体制批判の映画が生まれるだろうか。
GHQは日本占領時、表現活動のことごとくを検閲しチャンバラ映画でさえこれを禁止したではないか。それに比べ、この時代の朝鮮総督府の検閲がいかに寛容だったかわかろう。この但馬氏の言葉がすべてを語っていると思います。NHKや朝鮮人がウソをついて、我が国においての戦前、戦後の悪行を隠匿し、被害者面していかに歴史を歪めてきたか。またそれを続けようとしているかのよい例だと思います。この映画に対して李鳳宇氏が使った「元祖韓流映画の原点」というのは、どこかで読んだ事がある思って、探したら、この「アリラン」について報道された時に毎日新聞が使用しています。下記はその数年前の毎日新聞の記事です。
(韓流の原点)傑作映画「アリラン」は? 伝説の収集家死去
映画人の間で「伝説のコレクター」と呼ばれていた東大阪市の映像収集家、安部善重(よししげ)さんが9日、亡くなった。その中に植民地時代の朝鮮でつくられた傑作映画「アリラン」が眠っている可能性があり、南北朝鮮の映画関係者が争奪戦を繰り広げてきた。収集家に身寄りはなく、文化庁が調査に乗り出すことになった。韓流映画の原点は見つかるか? (略)「アリラン」は、夭逝(ようせつ)の天才映画人といわれる羅雲奎(ラウンギュ)が監督、主演した無声映画。1926年に製作された。日本の植民地支配に抗議する三・一独立運動の際に拷問にあった大学生が故郷に戻り、家族を苦しめている地主をかまで殺害、警察に捕まるという筋書き。連行されていくラストシーンで、観衆は日本人にもなじみのある主題歌「アリラン」を涙ながらに歌ったといわれている。(略)
映画評論家でもある文化庁文化部長の寺脇研さんは「日本で見つかったとしても、それはアジアの宝、世界の宝。必要なら韓国の専門家にも協力を仰いで調査したい。韓流映画のルーツですからね、発見できればうれしいですが……」と話す。(略)
(毎日新聞) -平成17年 2月11日3時2分更新まあ、植民地と書いてあるのは毎日新聞だからしかたがないかなと思いますが、このニュースで我が国の併合時代に朝鮮人映画監督、主演により反日映画が作られて上映されていたという事実について毎日新聞も何も書いていません。それが許されていた日本統治時代だったということです。過酷な統治とはどういうことなのでしょう。
「家族を苦しめていて殺害される地主」というのは朝鮮人という事も書いていません。実際、朝鮮半島において当時の地主のほとんどは朝鮮人でした。朝鮮人にとっての「過酷な統治」とは、餓死者が激減し、人口が倍に増え、帝国大学も作り、識字率もアップし、奴隷がいなくなったという不思議な統治。あほらし