朝鮮民族のルーツはエヴェンキ?

最近2chの韓国がらみのスレにコピペされている話題。
というか、こんなの常識だと思っていたけど、国家機密ですか?w
まぁ一応正当な歴史的推論なんだけど、微妙にエヴェンキ人を見下したヘイトスピーチのような気がしないでもない。
・・・むかし知人の韓国人が「韓国の歴史学会にはタブーなことがあって誰も口に出来ない」と言っていた。
漏れは「李成桂女真人だってこと?」と聞くと違うという。
「僕も聞いたけど忘れちゃった」と笑ってた。
それがこの話だったのかな?
  
古代朝鮮半島は雑居地帯だった。(ここからして現代韓国・朝鮮人は認めていないw)
簡単に言えば、西半分は中国の植民地。東と南の海岸沿いに原住民が棲んでいた。
中国人は内陸系の交易民なので本国との交通路でない海岸は放っておいたのだ。
で、この原住民は大きく2系党あって、一つがツングース系、もうひとつが越系。
大雑把に言うと、越系は漁労採取民でツングース系は狩猟採取民。
このツングース系は更に扶余系・穢貊系の2種に分けられる。前者が内陸系で後者が海浜系だ。
このうち内陸系が扶余〜高句麗百済海浜系が粛慎〜挹婁〜新羅渤海に属した。
この新羅が朝鮮のルーツだ。
どうして「属した」なんて書くかというと、建国者と人民は一致しないことがあるからだ。
新羅を建国したのは中国人難民だが、人民は穢貊系で彼等が朝鮮文化の基調をなした。
その穢貊系の北方での末裔がエヴェンキ人だ。
エヴェンキというのはロシアに棲むツングース人の一派のこと。
その風俗は朝鮮と激似している。
だからエヴェンキ人が朝鮮人のルーツというより、古代ツングース人の末裔にエヴェンキ人や朝鮮人がいると言うべきだろう。

◆韓国人のルーツは、高麗人でも百済人でもなく別民族のエベンキ(エヴェンキ)族
http://hamusoku.com/archives/5384774.html
韓国では大真面目に国家機密扱いらしく、エンコリでこの関係のスレが立つと10分以内に運営によって消された。
余程都合が悪いらしい。
 
朝鮮民族ツングース系の代表民族であるエベンキ、エベン族とは共通風習、歌、言葉などから、「朝鮮民族」とは同じ流れと分かる。
馬を持たなかったエベンキ族の代表的な歌は、遠くの人々を懐かしむ「アリラン(迎える)・スーリ(感じとる)」。
朝鮮のアリランには「アーリアリラン、スールスーリラン」とそっくりな言葉が続く。節回しも酷似している。
アリランという言葉、スーリも意味不明と言ってるが、エベンキの言葉では意味はハッキリしているw
朝鮮とエベンキ、ワイ族には、棒を立てたソッテ、トーテムポールのチャンスンが共通。
朝鮮の神社にあたるものであるソッテって、こんなものなんだよねw
いずれにしても、森を大事にする神社とは似ても似つかぬもの。
これも、エベンキなどと同じ風習。中国や日本にはない。
チャンソンと呼ばれるトーテムポールの様な木像と同じで、エベンキ族と朝鮮でだけ見られる。

韓国のソッテという鳥のトーテム

エヴェンキ族の鳥のトーテム
 
朝鮮人は自分たちのルーツが実は高麗人でもなければ百済人でもなく他民族だったというのを隠したくてしょうがない。



 

挹婁(ゆうろう)
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/kanbun-yuuro.htm
 
三国志魏書』挹婁伝

 挹婁は扶余の東北千余里に在り、大海に沿い、南は北沃沮と接し、未だその北の極まる所を知らない。土地には多くの険山がある。姿形は扶余に似ているが、言葉は扶余や高句麗と同じではない。五穀、牛、馬、麻布がある。人の多くは勇猛で力がある。大君長はおらず、各々の部落に大人(部落長)がいる。山林の間に拠点を置き、常に穴居し、大きな家は九本の梯子の深さがあり、梯子の多いことを良とする。気候風土は寒冷で、扶余よりひどい。
 その風俗は、上手に豚を飼育し、その肉を食べ、その皮を衣にする。冬は豚の脂肪を全身に塗り、数回に分けて厚くし、寒風から防御する。夏は半裸になり、短い布で前後を隠し、身体を覆う。そこの人々は不潔で、中央に便所を作り、人々がそれを囲んで住んでいる。
 その弓の長さ四尺、威力は弩のごとく、矢には楛(こ=植物名)を用いる。長さは一尺八寸、青石を鏃とする。昔の粛慎氏の国である。射撃が巧みで、だれもが速射できる。矢には毒を施し、人にあてれば皆、死ぬ。赤玉を産出、良質のテンが獲れる。いわゆる挹婁テンとはこれなり。
 漢代以来、扶余に臣従していたが、扶余が責めたてる賦課が重いので、黄初年間(220−226年)にはこれに叛いた。扶余はこれを何度も討伐するが、人口は少ないけれど、場所が険しい山中で、隣国の人々もその矢を畏れるほどで、兵では帰服させることができない。その国は船で略奪をするので、隣国はこれを患いとしている。東夷は飲食のときに俎豆(そうず=お膳)を使うが、ただ挹婁だけは用いない。法俗は最も綱紀が無いなり。