古代の日本と加耶

 
田中俊明という学者さんは非常に冷静で判断も概ね妥当だと思うんだが、京大出身のせいか「日本が朝鮮半島に影響力を持っていた」という主張に対する警戒感が強すぎて、本書ではそれに対するマイナス情報だけしか提示しない方手落ちになってしまっている。これじゃなんで広開土王碑に「倭が新羅百残を臣民とした」と書かれていたのかまるで解らない。
でも、その他の点についてはきわめて具体的で良いブックレットだ。(岩波と違って(笑))
   
それにしても以前から不思議なのはどうして三韓の王は”カーン”というモンゴル的な称号だったんだろう?カラというのはカーン・ナラ=王国という一般名詞から来た名称だという。伽耶加羅=カラ=韓。てことはクダラ=クダナラ、シンラ=シンナラなのかな?百済って書いてヒャクサイともクダラとも読むのは、扶余語と韓語に対応するんだろう。
モンゴル系名詞が影響するのはまだ扶余>高句麗百済ならわかるけど、新羅伽耶は違和感があるよなあ。
古代倭人が韓人=カラヒトという場合まず念頭に置かれたのはカラ人だったんだろう。
その後外国人一般をカラヒトと呼ぶことになる。唐人ね。
 
ところで、カラ諸国がどうして6世紀まで辛うじて独立できていたかと言えば経済力があったからだ。
なんで経済力があったかと言えば鉄鉱石がとれたので製鉄業で儲かっていたからなのだ。
するとカラ争奪戦は古代のアルザス・ロレーヌ問題というところか。
でも6世紀には日本で製鉄ができるようになってカラの重要性が下がっていていた。
カラ問題に対しての倭国のやる気のなさはそのせい。
百済を通じて支配できればいいや、てな感じである。
ここが田中先生はわかっていない。
カラを巡って倭は百済と対立していないのだ。
その代わり百済に派遣された倭人官僚がカラを支配して倭国に権益を還元した。
これが百済支配の後にカラ地方に前方後円墳がたくさん作られた理由だ。
だからこそ、百済(を通じたカラ)利権が危なくなると急にやる気をみせて派兵したわけだ。
しかし、それも利権を持っている大王家以外には迷惑な話だったら議論が分裂したんだけどね。(^_^)