北斉のやきもの


 
どうも古代中国というと仏教絡みでインドとの関係を考えがちだが、西方の影響が圧倒的だったはず。
そしてそれは新羅とも関係ある。

中国・北斉のやきものへの関心高まる
(日経、11年06月21日)
 6世紀半ばに中国北部で栄えた王朝、北斉のやきものに関心が集まり始めた。鎌倉市の鎌倉国宝館の特集陳列「常盤山文庫の名宝」(7月3日まで)に出品されているほか、米ワシントンのフリア美術館は北斉文化のシンポジウムで取り上げた。北斉時代では仏教美術が世界的に有名だが、これまでやきものは顧みられなかった。
 鎌倉国宝館には6点が並んでいる。いずれも初公開の貴重な作品で、中でも三彩の四耳壺(写真)や瓶は華麗な造形が人気の唐三彩に先立つ最古の三彩。北斉時代に作られるようになった白い素地の上で緑と褐色が美しく発色している。手の込んだ装飾は西方の工芸品からの影響を物語り、北斉は国際性の面でも唐に先駆けていたことが読み取れる。
 北斉南北朝時代の末期、隋や唐の成立直前に30年足らずの短命で滅んだ。米国のシンポジウムに参加した常盤山文庫の佐藤サアラ上席研究員は、「北斉時代に白いやきものが誕生していたからこそ、隋の白磁や唐の三彩が作られた。北斉は後代の中国陶磁の基盤を形成した時代で、世界的に関心が高まっている」と話す。