春期皇霊祭

   

   
ええと偶々昭和天皇論をエントリーした今日は春期皇霊祭なわけで、俗に言う春分の日ですね。
春分の日秋分の日は太陽に対する地軸の傾きがなくなる瞬間なんですね。
だから日の長さというより真東から日が昇り真西に沈む日というのが本義です。
この特別な日にはお天道様の道が真っ直ぐ西=アノヨに向かって続くわけで、そこでご先祖様をお祀りする日となっているわけです。
皇霊というけれど、結局お天道様をお祀りする日なわけですね。もっともご先祖が太陽神である天皇陛下にとっては同じことですがね。
で、大事なことはこの風習は日本オリジナルで仏教より古いということです。
古来神道ではアノヨが西方の彼方に観念されていたのは間違いありません。
地下世界=黄泉なんてのは支那思想の後付けでしょう。
だから漏れは古事記根の国を黄泉=地下世界と捉えることに反対です。
古代ペルシャ人以外の人類にとっては死後の世界はこの世の延長のずっと遠くにあると考えられてきた時代のほうが長いのです。
イザナギの死後世界巡りの話は地下に降りてゆくなんて書いてありません。
坂で隔てられていた、と書いてあるだけです。
つまり山奥に境があってそのまた向こうが常世の国=根の国なのです。ニライカナイと同じです。
だいたいオリジナル仏教では輪廻と言っているだけで死後世界という待合所なぞ想定されていません。
西方浄土という段階ですでにお釈迦様オリジナルじゃなくなってます。
古代アジアでは西方=日の沈む彼方に死んだ先祖が暮らしている、という考え方が普遍的だったんでしょうね。
  

  

Wikiより)
彼岸会法要は日本オリジナルであり、現在では彼岸の仏事は浄土思想に結びつけて説明される場合が多くみられる。
浄土思想で信じられている極楽浄土(阿弥陀如来が治める浄土の一種)は西方の遙か彼方にあると考えられている(西方浄土ともいう)。
春分秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりである。
もとはシルクロードを経て伝わった、生を終えた後の世界を願う考え方に基づいている。心に極楽浄土を思い描き浄土に生まれ変われることを願ったもの(念仏)と理解されているようだ。
しかし後述のように、天皇の詔として始められた行事であったが、いつの時代も人として、生を終えた後の世界への関心の高いことは同じであり、いつの間にか生を終えていった祖先を供養する行事として定着するに至った。
彼岸会の「彼岸」は、「日願(ひがん)」から来ているとも言える。日本に限らず古来から、太陽や祖霊信仰は原始宗教の頃からつきものなのである。仏教語の彼岸は後から結びついたものであるという説(五来重による)もある。

  
追記)
で、なぞなのが盂蘭盆会=お盆です。
春と秋に先祖に連絡が取れる日があり、夏の真っ盛りに一時帰国する、そういうことなんでしょうか?
この先祖が帰って来るという発想はどういう経緯があるんだろう?
もとからあったのかなあ?
それと欧州で西方浄土思想があまりないのは、キリスト教で上書きされちゃったから?
ドルイド教ではどうなん?
いつかちゃんと調べよう。