お釈迦さまは白人なのか?

nyankosensee2007-10-19

    
ゴーダマ・シッタルーダは孔子より後の人らしいがソクラテスとほぼ同世代らしい。
韓国人じゃあるまいしお釈迦様の生まれがなに人かなんてなんだって良いだろうと思うのだが、たしかにあまり意識されていないかも。
漏れはインド文明はペルシャ文明とセットだと思っているし、シッタルーダは王族なんだから当然アーリア人だろうし、てことは白人なんだろうなあと考えていた。なにか問題でも?

一方、スキタイ人の同族は、カスピ海アラル海の間にも勢力を振るっていた。
彼らは、ペルシア人からサカ族と呼ばれた。
スキタイといっても、サカといっても、それは呼んだ側の民族の発音によるもので、SKの語幹は変わらない。
         
サカ族の一部は、パルティア人となって、BC200年頃からAD200年頃まで、約400年間ペルシアを支配した。
ササン朝ペルシアが興隆する前である。
     
パルテイチア人がギリシア系のセレウコス帝国からペルシアを奪った同じ頃、サカ族の一部は、北西インドへ攻め込み、いくつかの王朝を立てた。
しかし、スキタイあるいはサカがインドへ侵入したのは、その時だけではなかったのではないか。
なにしろ、彼らはBC700年頃から大活躍しているのだ。
彼らの一部が、ごく初期の頃、インドへ侵入した可能性はむしろ高い。
そうなると、興味深いのは、釈迦が属するシャカ族である。
シャカは、サカと同じではないか。

インドはBC300年頃、カンドラグプタ.マウリアが統一国家をつくる前は弱小国家に分かれていた。
そんな状態では、少数でも武力に秀れたサカ族の一部がガンジス川沿いに侵入し、シャカ族になったことは十分ありうる。
    
URL:http://homepage3.nifty.com/sekiokas/Topfile/History/rekisinonaka/17~26/17.SKenig.html

いわゆる十六大国の中でも最も有力であったマガダ国ではナンダ朝が支配を確立していた。しかしナンダ朝シュードラカーストの中で最下位)出身であったことからバラモン教の知識人達によって忌避されていた。こうした状況下にあってマガダ国出身の青年チャンドラグプタがナンダ朝に反旗を翻して挙兵した。これに対しナンダ朝は将軍バッサダーラを鎮圧に当たらせたが、チャンドラグプタはこれに完勝し、紀元前317年頃に首都パータリプトラを占領してナンダ朝の王ダナナンダを殺し新王朝を成立させた。これがマウリヤ朝である。
    
こうしてガンジス川流域の支配を確立したチャンドラグプタはインダス川方面の制圧に乗り出した。インダス川流域はマウリヤ朝の成立より前にマケドニアの英雄アレクサンドロス大王によって制圧されていたが、アレクサンドロスが紀元前323年に死去すると彼の任命した総督(サトラップ)達の支配するところとなっていた。
    
URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%A4%E6%9C%9D

釈迦(しゃか、釋迦、シャーキャ、zaakya、生没年は仏教研究上未決であり、一説に前463年 - 前383年、前560年 - 前480年等)は、仏教の開祖の名の漢訳である。多くの異称があり、後述する。
URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6

ギリシャ哲学
    
・初期ギリシア哲学者(BC6C−BC4C)、   
 タレス(アルケ=水。星を見上げて穴に落ちる。)
 アナクシマンドロス (アルケ=無限)
 ピュタゴラス (アルケ=数)
 ヘラクレイトス (アルケ=火。生々流転。)
 パルメニデス、クセノパネス、そしてその他エレア派の哲学者たち(論理実証主義?)
 レウキッポスとデモクリトス(原子論)
 プロタゴラスソフィスト相対主義
BIG3
 ソクラテス  :BC469? - BC399
 プラトン   :BC427  - BC347(ソクラテスと42歳違い)
 アリストテレス:BC384  - BC322(ソクラテスと43歳違い)
http://logos.vis.ne.jp/philosophy.html

諸子百家  :春秋末期から戦国時代(BC5C-BC3C頃)
   
孔子(孔丘):BC551‐BC479
老子(李耳):BC5C?

春秋戦国時代
     
春秋戦国時代とは、中国において、紀元前770年に周が都を洛邑(成周)へ移してから、紀元前221年に秦が再び中国を統一するまでの動乱の時代を言う。この時代の周が「東周」と称されることから、「東周時代」と称されることもある。
紀元前403年に晋が、韓・魏・趙の三つの国に分かれる前を春秋時代、それ以降を戦国時代と分けることが多い。
     
URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E7%A7%8B%E6%88%A6%E5%9B%BD%E6%99%82%E4%BB%A3

法隆寺と薬師信仰などについて
(7)お釈迦様は、白色人種か?黄色人種か?

 筆者は、飛鳥の周辺・越智丘(現・高取町大字車木、斉明天皇御陵の山麓)に生まれて現在も同所に住んでいる。

一九二七年生まれだが二十歳を過ぎた頃、仏像に魅せられ特に二十四、五歳を契期に、自分の人生・死生観「元気に美的に百三拾五歳を突破する実践をして、自分の為五十%、社 会の為五十%の人生を生き、PPK(死の寸前まで、ピンピン(P・P)して、コロリ(K)と介護されずに…あの世へ。」の由来するところから飛鳥周辺は当然のこと、奈良県一円の社寺・仏像 等を拝観巡行し精神的修練を重ねた。

 その中で、北魏時代様式といわれる飛鳥仏には異国人的(モンゴロイド系・黄色人種・東洋人というより、彫の深いコーカソイド系・白色人種系の感触観)な、顔貌(がんぼう)をなんとなく感じとっていた。

しかしながら北魏時代様式ということで、そんなものかなア…、と深く追及して考えることもなく、お釈迦さまようの仏像は東洋人としての偶像として宗教的崇拝をし、精神的にも何 んの抵抗もない心の持ち方をして拝観観照をしていた。

 今般、法隆寺聖徳太子等の謎に、いどむつもりで、その仏教の原点・教祖としての「お釈迦さま」を、いろんな角度から勉強さしていただいていた。

いろいろの本を何十冊と読んでいるうち、 今年の三月頃か岐阜へ出張した時に「人と思想(世紀本・清水書院)」の本を四冊ほど買った。

その中の一冊に「釈迦(副島正光・佐賀大学教授・著)」があった。

五月に入り、ペラペラとめくっ て本を読んでゆくうち、同書の二十六頁に…「釈迦は、白色人種に属するアーリア人だと信じられている(しかし、一説には黄色人種であったという説もある)」。…とあり。

 これを読み、知った瞬間、私の脳裡は北魏様式の飛鳥仏(飛鳥寺法隆寺…)の顔貌などの疑問 が一度に噴出して、やっぱり「お釈迦さまは白人種であったのか?」と驚くと共に、自分の上辺だ けの知識の不明を情け無く思い、金槌で頭を殴られたような衝撃を受けた。

文字記述も妙なもので、 お釈迦さまはアーリア人だと…あれば、それほどのショックもなかったが、白人種のアーリア人と …記述されていたので、その白人釈迦が鮮烈にかんじたのであろう。

文章の書き方が、受け取り方 を左右するものである。

 それから毎日、白人とお釈迦さま、アーリア人とお釈迦さま、お釈迦さまが白人でも日本の仏教 にとって、日本人は得心するのだろうか、と心配になってきた。

妻に、そのことを話しすると馬鹿な事を言いなさんな、お釈迦さまが白人なんて言うと、貴男はみんなから笑われて軽蔑(けいべつ) されますよ。

と忠告を受けた然しお釈迦さまは真実・真理の探究をされていたお方だから、お釈迦が白人なら白人でいいんだ、その真実が判る方がいいんだ、と…私は私の胸に言い聞かせて、私なりの研究を始めました。

研究と言っても、釈迦やアーリア人関連の本を何冊も読むしか、いたしかたありません。

その結果、ある程度で打ち切り先づ問題点を列挙して、読者の皆様にも研究判断し て戴き、お釈迦さまは白人、いやそうでない、そんなことどちらでも良いのだ等のアクセスを戴ければ誠に幸いであると思いました。 (問題点等について)


(1) アーリアン学説は、歴史上の偉大な進歩は常に白人であるアーリアン人種によって成し遂げられたという学説で、西洋人の人種的優越を印象づける格好の理論として、植民地主義時代に世界を 風靡してきた。

今日インドでは、次ぎ次ぎ新しい考古学的遺跡が発見され、西欧や日本の学者達が出張してきた「アーリアン・インド侵入説」を裏付ける証拠は何も発見されていない。 今日、血液型分布を見ても、インドとヨーロッパ人は、世界の中でも最も遠い分類に属している。 (筆者・注、後出のGm型血液型では、むしろ、近い関係とも思うが?。)

…日本の場合、同じアジアにありながら学者達は、伝統的に「インド学」をインドの土地に於てでなく、イギリスのオックスフォード大学で学んだ。

ことに、アーリアン学説の唱道者マックス・ミュラーに日本の俊英が競って師事した。

その歴史的背景にも注目が要する。

…アーリアン学説を再検討することは、単に一学説の問題でなく…日本の西欧偏向学に、いささかの警鐘ともなれば幸いである。

…以上は「ア ーリアンとは何か(その虚構と真実)」、(一九九〇年十一月・人文書院発行、著者・津田元一郎 (一九二五年生まれ。東大卒、京都精華大学教授)の著書の巻頭の「はじめに」の文章を抜粋した文である。

同書は国立大学研究費の限定印刷本で橿原市図書館で貸出しを受けたものである。

スペースの関係で本文を紹介出来ないのが残念である。


(2) 仏典にはアーリヤという言葉がシャークヤ(シャカ)族出身者に用いられたことがある。

釈尊 ブッダは、自分の家系について、両親の系統も純粋で、七世代前まで逆のぼっても汚れていないことを述べた、と仏典は記している。

血統の純粋を誇るのはバラモンとかクシャトリヤに代表される アーリヤ人だし、シャーク族が血の純潔を誇るのはアーリヤ人であるからに違いない。といういささか軽率な判断もここにある。
(筆者・注、この著者は釈迦白人説を大変、気兼ねして書いておられるようにれるように思える。)

クシャトリヤ(王族、戦士)は、アーリヤ人の階級制度の上位の階級で、その中にいる以上、アーリア人であることは自明の理であろう、という考え方もある。

しかし、一九二〇年代後半著名なインド史学者、V・スミスは釈尊の蒙古人種説をとなえて学界に物議をかもし、さらなる展開をみせている。…。(筆者・注、Gm血液型によると南方型蒙古系民族 には白人種系も混じっている。インド・アッサムなど。 日本人の源流は北方型蒙古系民族で白人種はない。)以上は、「仏教史①−世界宗教業書②、一九九二年一〇月・山川出版社発行、奈良康明 (東大卒)著書」。による、橿原市図書館。


(3) 世界四大文明の一つのインダス文明の始まりが、約四千五百年前です。
(釈迦は、およそ二千五百年前に生まれる)。

インドとパキスタンに、またがるインダス川の広大な河谷にひらけた文明 です。

アーリア人は、西アジアやヨーロッパの諸民族と同じ系統の民族(インド・ヨーロッパ語族) です。

なかでも西アジアの民族と関係が近く、「イラン」の語源も「アーリア」です。

さて、その大河を「シンドウー(大洋)」とよび、これが「インダス」や「インド」の語源となりました。インダスの人々は「卍」お図形を護符としていた。

太陽と光を表すもので、のちに仏教のシンボルともなり、これを「スヴァスティカ」と呼び、勝利の太陽神シンボルとしたのがアーリア人で、初期 の経典で釈迦はよく「太陽の末裔」と呼ばれ、漢字では「日種(にっしゅ)」とあらわす。

太陽を神格化するのは農耕民の伝統であって、遊牧民社会では月が神聖なものとされている。

このことから、シャカ族は遊牧民アーリア人とは系統が異なるともいえる。

しかし、アーリアン人も農耕民として定着し次第に太陽神の地位が高まった。

 以上は、「ブッダ真理(ダルマ)に生きた聖者」一九九九年四月・PHP研究所発行、大角修先生(一九四九年生まれ、東北大学卒)の著書による。


(4) 釈迦族が、どの系統に属しているか古来から学者の間でも定説をみない。

釈迦族は、仏教文献 によれば、インダス河あるいはガンジス河上流に居住していたオッカーカ王の子孫であると伝えられ。

オッカーカ王はアーリア人系とされ、釈迦も一般的にアーリア人と推測されている。

だが、ア ーリア人は狩猟民族系で麦を主食としていたのに対し、釈迦族は農耕民族系で米食で、釈迦の父が 浄飯王(じょうばんのう)、その兄弟が白飯(びゃくばん)、甘露飯(かんろばん)という名前で、 釈迦族は、アーリア人でなかったとの説もある。

 然し、アーリア文化圏で成立した四姓のクシャトリア(王族・戦士)に記録されているから釈迦はアーリア人とする向きもある。

 また、釈迦モンゴル人説では釈迦の誕生地は現在のネパール領で、非アーリア系のチベットビルマ族、即ちモンゴル系なのである。

サカ族という説もあるが、いずれにせよ、釈迦の人種の真相 は、いまだに謎に包まれている。
(筆者・注、前出の通りGm血液型によれば南方型モンゴルであれば白人種もありうる。アーリア人即ち白人種。モンゴル系、非アーリア系即ち非白人種。の理論は通らないこともあり、過去の理論推測がGm型血液型の出現により大きく崩れることもありうる。)

   以上は、「釈迦の本第9号」(一九九八年八月・学習研究社発行、編集長増田秀光氏)による。


(5) アーリア人とは、もと「高貴な」を意味する梵語インド・ヨーロッパ語族の人々の総称。特に、インド・イラン語派に属する人が自らを「アーリア」と称した。

 以上は、一九九一年十一月、岩波書店発行、編者・新村出氏の「広辞苑(第四版)」による。
(筆者・注、アーリア人は即ち白色人種であるとのことで、釈迦がアーリア人か否かで大きな問題になる。特に黄色系東洋人としては、釈迦もキリストも白色人種であるとなれば、劣等感を受ける のは当然のことであろう。


(6) インドの四姓(カースト制度)とは。  バラモン(司祭者・祭祀者)  クシャトリア(王族・戦士)  ヴァイシャ(商人・農民)  シュードラ(職人・奴隷) ヴァイシャ以上の三階級が再生族と呼ばれて祭祀を行なうことができ、死後天界に生まれる。

このうち、バラモン階級が最高である。釈迦は、クシャトリアに族していた。

この四姓はアーリア人が「ヴェーダ聖典(英語のウイット、ウィズダムなどと語源が同じで、=知識の集成=という意味で、サンスクリットと呼ばれる聖なる言語で語られた。

サンスクリットはアーリアの古い言語をもとにしたもので、雅語として聖典のことばになった。

サンスクリットとは、 清める、洗練する、という意味の動詞、サンスクリから生まれた語。

ヨーロッパにおけるラテン語のような古典語として使われた。

仏教の経典も権威を高めるため、のちにサンスクリットで記されるようになった。

中国や日本ではサンスクリットを(梵語(ぼんご)または(悉曇(しったん)といい、その文字(梵字(ぼんじ)、悉曇(しったん))に霊力が宿るとして、護符や卒塔姿に記し。

また、仏や菩薩のイニシャルを種子(しゅじ)又は種字(しゅうじ)といい、絶大な威力をもつシンボルとしている。」ヴェーダ聖典にもとづき作った。

聖典を朗詠し、祭祀を司る階層の司祭者達成をバラモンとして最上位においた。

 以上は、大角修先生の著書による。


(7) 最後に筆者(薬剤師・喜多稔)が最も信頼を抱いている「Gm型・血液型」の法医学の権威者 ・松本秀雄博士(大坂医科大学名誉教授)の著書に、御登場を願い、科学的に「釈迦白人説?」を検証してみよう。

これはインドの、ある地域でのということで釈迦族や釈迦の特定の考察ではないので、あくまでも傍証参考的な知見でありますので誤解のないようにお願いします。

しかし、釈迦族や釈迦に特定して松本博士がGm型を使って、調査されれば、釈迦白人説、釈迦黄色人説の答え が出ると推察いたします。

この著書は「日本人は何処から来たか」のタイトルです、たまたまインド関係も記述されてあったので、参考にさせていただきました。

さて、前置が長くなりましたが、「Gm型は人種を識別できる血液型である。」と松本博士は述べられています。

つまり、抗体(IgG、IgM・IgA、IgD、IGEのように五種類の免疫グロブリンがある)の中のIgGと呼ばれる免疫グロブリンがもっている血液形遺伝子が、Gm型( ガンマー・マーカの略)と呼ばれる血液型で、現在までに十八個の型(アロタイプ)が発見されている。

これらの型は、必ず一定の決まった組み合わせで遺伝子を形成する。

メンデルの法則通り親から子供に規則正しく遺伝される。

……十二万年程前に、黒人クループから白人系と蒙古系が分化し、その後六万年前に白人種と蒙古系が分化した。そのことが判っている。

即ち、蒙古系人種は黒人種よりも白人種に、はるかに近い。
(筆者・注、本論からすると①の津田先生のインド人とヨーロッパ人は世界の中でも、最も遠い分類に属している。との記述に疑問をもつが、?如何?)  

世界の三大人種の間で蒙古系と白人種については、この二つの遺伝子を共有するが、黒人種とは全く共通の遺伝子がないというGm遺伝子の特徴は、よくこの検証の成績を裏づけている。

さて、 …専門的なくわしい説明はスペースの関係上、一部を除き省略して、このGm型で調査された「インド関連等」に関係する白人種等についてのGm遺伝子値を次の通り紹介しょう。

 「イランなどのモンゴロイド系民族と近隣の混血集団(同書、P168より)のGm遺伝子の血液型」についてイラン人の基本になるはペルシャ人で、これにアフガニスタン人やトルコ人が混血して生じたと いわれている。
(筆者・注、釈迦誕生地ネパールより西へ西へとなる、古代アーリア人がインドへ侵入してきた方面、やはりアーリア人は白人種。)

 これら検査した二つの部族は五つのGm遺伝子をもつ特徴があった。

白のfb1b3が73%とい う高さで、その基本は白人種であることを示している。

蒙古系も少しあり、シルクロードを通じて古代から東西の交流があったことを物語っている。

「インド、アッサム、バングラデシュスリランカの集団(同書、P170 より)」について。

 南インドのタミル族、スリランカ・シンハリ族の特徴は、インド人(白人)、(筆者・注、著者 はインド人を白人種としてとらえているようである。)では、青のag遺伝子の頻度が20%前後で あるのに、両民族では、いずれもこれば42%をこえること、白人種に特徴的な白のfb1b3遺伝 子は15〜20%であり、北方、南方系の蒙古型の遺伝子も少しある特異な民族集団である。
(以上は、 釈迦生誕地より、ずっと南のインドの地形・象の鼻の先の東側の島のスリランカである。)

 ……アホム、カリタス、ブラーミン(以上はインドのアッサム。釈迦生誕地の東、ブータンの下ガンジス河口の北の上で生誕地に近い東)この三つの民族は、いづれも白人種の白のfb1 b3遺伝子をもつことで特徴があり、特にカリタスとブラーミンは基本的には白人種に属する。

しかし、ブラマプトラ流域に分散するカチャリ族は白人種の遺伝子を全くもってない。

さて、白人種の白の遺伝子はアホムが十六%、カリタスが三九%、ブラーミンが五二%と、アッサムの南から西に向かって順次高くなっている。
(筆者・注、お釈迦さまの生誕地は、更に西になり、白人種の白 のfb1b3遺伝子は更に高くなる。)

 なお、ブラーミンでは南方型蒙古系遺伝子の赤を十三%もっている。

ブラーミンは蒙古系民族が 白人種由来の民族に混血し生じたものとみるべきで、社会的にも、カースト制度(四姓)の最上位にあるとされている。

 さて、これだけでは、お釈迦さまの白色や黄色の遺伝子の%率が特定できないが、ブラーミン(釈迦誕生地より東)、ネパール(釈迦誕生地)、ヒンズー(釈迦誕生地より西)などでは白人種 のfb1b3遺伝子が、それぞれ五二%、二五%、四三%とあり。白人と蒙古系が共有する青のag遺伝子が、それぞれ、一八%、二八%、三二%、とあり、同じく共有する線の遺伝子が、それぞれ、 〇.九%、一八%、一三%、である。

この三種の遺伝子をプラスすると、それぞれ七〇%、九%、七一%、八七%となる。

 白人種が基本となり蒙古系が混同しているが、この釈迦周辺地のGm型血液型の数値から「お釈迦さま白人説」を私見により推値すると「五十%前後の白人説」、「五十%前後の蒙古系人種説」 となる。

 ちなみに、松本博士は、原日本人は、バイカル湖畔から来た!と発表されている。

 以上は、「日本人は何処から来たか=血液型遺伝子から解く」(一九九八年二月、NHK発行、松本秀雄博士の著書)を、参考にさせて戴きました。

 ぜひ、皆々様方からの興味あるアクセスをお待ち申しています。
    
文筆者
  (社)奈良県薬剤師会
  名誉会長  喜 多   稔
   
URL:http://www.narayaku.or.jp/narayaku/narayaku/02_7.html