日経どうした?

♪カネのためなら矜持もすてるぅ〜
 
と言われる日経が、なぜか中国様に批判的な記事。ちょっとびっくり。
   

風見鶏 人権感覚のたそがれ憂う (09年8月16日2面)
 
 日本の非政府組織(NGO)ヒューマンライツ・ナウが「人権で世界を変える30の方法」という小さな本を出した。世界中で起きている人権侵害を中学生にわかるように説く。
 人権は、本来は政治を超えた問題のはずが、しばしば政治的に扱われる。
現実はそうでもないと断った上でいえば、人権運動は「左」の運動と思われがちだ。仮にアブグレイブ刑務所での米軍による捕虜虐待に怒り、中国や北朝鮮の人権状況には関心を向けないのなら、それも幾分か当たっている。
 一方で「右」の人権派の関心は、中国や北朝鮮などの状況に傾きがちだ。例えば冷戦時代の米国は、ソ連など東側の人権状況を批判したが、途上国の独裁者とは、彼らが反共であれば手を握った。
 人権状況に党派性があるとすれば、冷戦構造が背景にあった。政治利用できるからこそ政治指導者たちは人権に関心を向けた。
 冷戦が終わり、党派性は薄れた。超党派になって運動は強まるはずだった。そうはならず、皮肉にも政治指導者たちの人権感覚を鈍化させた。それを感じさせたのが、特に昨年来のG8の議論である。
 2008年7月の洞爺湖サミットの政治討議で最も時間を使ったのは、ジンバブエ情勢だった。当時それが「今そこにある危機」だったからだ、とされた。
 4ヶ月前に起きたチベット問題は全く触れられなかった。過去の問題と考えられのか。G8サミットは危機管理システムでもあるとすれば、それもやむを得ない、と当時は思えた。
 しかし今年7月のラクイラ・サミットは、それでは説明がつかない。
 あの時点で現在進行形の危機だったウイグル情勢に言及した首脳が、ひとりもいなかった。中国の胡錦涛主席が急いで帰国したほどの事態なのに、である。
 何が起きているか正確にわからないにせよ、あるいは、わからないからこそ、真相の究明を中国に求めるのが普通である。原因を問わず、暴力が発生した事態に憂慮を表明するのも民主主義を価値として共有する諸国の指導者の基本動作のはずである。
 冷戦末期、1989年のアルシュ・サミットを思い出す。天安門事件のほぼ1ヶ月後もフランスで開かれた会議である。「人権に関する宣言」や「中国に関する宣言」が採択された。90年のヒューストン・サミットでも欧州諸国による中国批判が強かった。
 隔世の感がある。中国の嫌がる議論は控える。それがいまは作法らしい。
 この20年間、中国自身にも変化があった。市場経済の進展による経済成長である。だが人権状況に目立った改善はない。逆に、人権派が意識的にビルマと呼ぶミャンマー、さらにスーダンなどの抑圧国家を支援する。そこにウイグル情勢の急展開である。
 にもかかわらず、G8首脳は発言しなかった。世界同時不況からの脱出のために中国経済に依存するからか。下世話に言えば、オバマ米大統領ですら、腹が減って戦ができなかった。花より団子が欲しかった。
 中国はいずれ経済力で米国をしのぐ。軍事力でも世界一になり、北京の価値観を全世界が受け入れざるを得なくなる。G8サミットや米中戦略・経済対話を見ていると、杞憂とは思えない。
 マルクスではないが、下部構造(経済)が上部構造(政治)を規定するのか。人権問題はたそがれる。夜のとばりがおり、闇が広がる……。衆院選挙が18日公示される。何人の候補者が気づいているだろう。(編集委員 伊奈久喜


  
伊奈久喜 Ina Hisayoshi
日本経済新聞社 論説副委員長。1953年生まれ。
1976年、早稲田大学政治経済学部政治学科卒。同年、日本経済新聞社入社。東京本社政治部に配属。首相官邸、野党などを担当。その後、ワシントン支局勤務等を経て1993年、東京本社政治部編集委員、1994年、論説委員兼務となる。1999年には「98年ボーン・上田記念国際記者賞」を受賞。2006年、論説副主幹兼編集委員(のちの論説副委員長兼編集委員)となる。(財)平和・安全保障研究所理事、同志社大学大学院法学研究科非常勤講師兼務など、多方面にて活躍中。

著書/A New Multilateral Approach For The Pacific : Beyond The Bilateral Security Network (Johns Hopkins University, 1993)

共著/新時代の日米関係(有斐閣、1998年) 新しい世界像(世界平和研究所、1998年) ジャーナリストの20世紀(電通、2000年) 「新しい戦争」時代の安全保障(都市出版、2002年)その他多数

中外時評 「中国問題」に揺れる豪州 不透明な司法に不信感 論説委員 飯野克彦 (09年8月16日11面)
   
 「西側で初めて中国語を流ちょうに操る指導者」。2007年12月、オーストラリアで11年9ヶ月ぶりに労働党政権が誕生した際、中国メディアはラッド新首相をこう形容した。外交官として中国に駐在したことのあるラッド首相への期待感が感じ取れた。(略)
 それから一年余りが経過した現在、中国と豪州の関係は近年になくぎくしゃくしている。一つは亡命ウイグル人組織「世界ウイグル会議」のラビア・カーディル主席の豪州訪問を巡るあつれきだ。(略)
 中豪間に起きているもう一つのあつれきは、英豪資源大手リオ・ティントの上海支社の社員4人を「国家機密を窃取した」「中国企業の幹部にわいろを贈った」として中国当局が7月初めに拘束した問題。(略)
 豪州にとり中国はいまや日本に匹敵する最有力の貿易相手。それだけに親中派と目されたラッド政権が中国の主張をはねつけていることに意外感を抱く向きもある。(略)
 超大国・米国に対する最大の債権国となるなど、中国経済の実力は飛躍的に高まっている。その分、不透明な司法システムが国際的な摩擦につながる可能性も強まっている。揺れるラッド政権の姿は、世界が共有する課題を浮き彫りにしているようにみえる。
飯野克彦氏、1960年生まれ。
   


  
飯野克彦氏、1960年生まれ。
1983年に京都大学法学部卒業、日本経済新聞社に入社。東京本社商品部、神戸支社、東京本社国際部とつとめ、1990年に北京支局記者、1995年にバンコク支局長となる。その後、東京本社アジア部副部長、東京本社産業部副部長などを経て2004ー2007年に中国総局長をつとめる。2007年、東京本社編集局ベンチャーキャピタル市場部部長、2008年3月から現在まで論説委員をつとめる。