「日本文明」を護れぬ者に政権を担う資格なし

   

   
副島隆彦さんは「日本文明なんてない!あるのは東アジア文明の亜種である日本文化だけだ」と咆えているが漏れもそう思う。でも兵藤さんは括弧付き日本文明という用法だから自覚あるのかも。
そして意外なことに兵藤さんは「政権交代」派なのだった。
    

「日本文明」を護れぬ者に政権を担う資格なし/軍学者 兵藤二十八
(『正論』2008年11月号)
     
民主党売国政策を憎むと同時に自民党の下野を切望する
    
 政治家が指導した経済政策がもし好結果をもたらさなかったなら、代わって次に選ばれる別な政治家が、政策を修正すれば良い。「郵政民営化」の会計上の損得が見込みとどれほど違っても、それで「日本文明」が亡びることはない。
 しかし、選挙で選ばれた政治家が「反支(アンチ・シナ)」の一本筋を狂わせると、日本文明(=日本国家)そのものが、持続不能に陥る。
 さらにもうひとつ。「しょせん代議士たちには、官紀を振粛する威力などない」と官僚がナメるようになっても、日本はシナからの間接侵略にやられ放題になり、同じ結果に逢着する。
(略)
 小泉氏が代議士引退を予告している今だからこそ、わたくしは叫ぼう。もしも小泉氏を超える「反支のヒーロー」が登板しないならば、愛国者自民党を勝たせても仕方がない。反支色を欠いた自民/民主のどちらの党が勝っても、日本は亡国(シナ・朝鮮人のエージェント化)の深淵へ近づくリスクがあり、そのリスクに二党で大差はない。どちらも「老人刹那主義」の発想に覆われていて、「次世代永続主義」の志操の背骨がひとつも通っていないのだ。だったらせめて、政・官関係に制度的な緊張を持たせるべきだ。
 シナ文明と日本文明は、平和共存は不可能である。近年、日本文明にとって悪いものは、すべてシナ文明圏から来る。ここで念を押すと、朝鮮半島はまったくシナ文明圏である(S・ハンチントンの諸書を見よ)から、反支であることが同時に、反韓・反鮮であることも意味する。政治上の志操が「アンチ・シナ」に出来上がっているなら、当人の先祖や前半生がシナ人だろうと朝鮮人だろうと、わたくしは気にしない。反支政策とは日本文明の持続努力そのものなのであり、レイシズム民族主義)と混同されてはならぬ。
(略)
 理屈を整理しよう。もし日本国が近代民主主義国家であるとするならば、「マック偽憲法」に何と書いてあろうがなかろうが、日本国民には「国防の義務」と「納税の義務」がある。この二大義務と選挙権がセットになっていなければ、国民国家は消滅するからだ。
(略)
 日本国籍を持たない「在日」は、日本国有事のさい、シナ軍や北鮮軍と戦争する日本軍に従軍する義務はない。よって日本国政府が彼らに選挙権を付与しないのは、シナ文明からの独立を選好する近代国民国家として、当然の措置にすぎない。
(略)
石器時代から日本文明とシナ文明は「天敵」である
  
 七世紀の天武天皇と八世紀の聖武天皇は。帰化人文化をそっくり維持していた官僚群にこの日本国を乗っ取られてはならぬと思い、エキセントリックでしかもラディカルな宗教戒を採用した。すなわち、上流インテリ社会の表向きから「肉食」を追放せんとしたのだ。
 これが聖武天皇以降に実際に普及・定着を見たことにより、日本文明はシナ文明から切り離された。(略)
 そもそも縄文時代から続いている日本文明の美質とは何なのか?壮年者が若年者のために苦労を買って出る――という「持続のマナー」であった。これはシナ文明の真逆である。このゆえに日本文明はシナ文明と決して相容れないのだ。
 聖武天皇は、日本を持続させるために苦労してシナの間接侵略と戦った。だから追号に「武」の字が贈られている。
(略)
 半世紀以内に死に絶える老人の福利だけを考えたなら、外国から元気な下層労働者を何千万人でも入れたらいいわけである。己の党に投票しそうな外国籍人に参政権を与えればいいし、役所の窓口にイヤガラセにやってくる「在日」やヤクザたちに、法の下の不平等に他ならない特権を約束して帰ってもらえば自分一代は楽だろう。
(略)
 高所得者やインテリの一部は、日本が完全な階級社会となるなら、常に上流とだけつきあうようにするから、巷間、シナ文明圏人が何千万人に増えようと、厭な目にも遭わずに暮らせると期しているのだろう。この楽観は必ず現実の失望と後悔に圧倒されるだろう。
(略)