中国新聞趣聞〜チャイナ・ゴシップス
日本人を文明人として描きすぎた? 台湾発「セデックバレ」は反日映画か
福島香織
2011年10月5日(水)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20111003/222975/?P=1
(略)
 中国では「日本軍の侵略に抵抗する共産党軍の英雄ぶり」を描き、南京事件などを題材とした残虐な殺戮シーンが延々と流される映画は何作もあるが、そういった映画に対し、「日本人を過剰に敵視している」「血なまぐさい英雄主義」といった批判はない。なぜセデックバレについてはこうした批判が中国メディアを通じて展開されるか。

 それは中国において戦争映画が、プロパガンダとして政治性を担う伝統を今も受け継いでおり、台湾映画についても、この手の映画を政治的文脈の中で解釈するからだと想像する。セデックバレについては、中国が何かしら不快を感じる政治的部分があるのだろう。

 おそらくその1つは、抗日事件を題材にしながら、日本人を文明人として描きすぎている点だろう。投降したセデック族の妊婦たちを日本軍の衛生兵が丁寧に診察している描写などは、女子供も無差別に殺戮する野蛮な軍隊として日本軍を描いてきた中国の抗日映画ではあり得ない。

 もう1つは、映画の中で描かれる原住民の信仰やアイデンティティ、被差別の問題は、中国の少数民族政策の矛盾を想起させずにはおられない点だ。日本や台湾にとって霧社事件は過去の歴史的事件であるが、中国にとっては今なお起こりうる事件である。チベット問題を想起させるとして、中国国内で上映が途中で打ち切りになったハリウッド映画「アバター」と似た部分がある。

 そして、映画のメーンテーマの一つの民族のアイデンティティの主張は、台湾の馬英九政権が進めている中国化政策に対する台湾人アイデンティティの主張と重なる、というのは言いすぎだろうか。
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