竹島、韓国の反論(あんたも好きねぇ)

    

      
無駄に上から目線なのがいかにも韓国的ψ( `∇´ )ψ
折角だから漏れの感想をつけてみた。
   

竹島】 日本の減らず口を閉じさせる「独島、10のポイント」〜日本外務省の主張に反論する★2[07/19]
1 :蚯蚓φ ★:2008/07/20(日) 00:56:55 ID:???
    
日本政府の独島領有権主張は外務省ホームページに載せられた「 竹島問題を理解するための10のポイント」によく現われている。韓国語、英語版まで付いたこの小冊子を北東アジア歴史財団は自家撞着と我田引水でいっぱいの減らず口と批判する。北東アジア財団資料を通じて日本主張の間違いを考えてみる。
   
?代表的な日本地図改訂日本輿地路程全図(1779年)など日本は昔から独島の存在を認識していた。
●改訂日本輿地路程全図は私撰地図で、1779年原本では鬱陵島と独島が朝鮮本土とともに色づけされないまま警衛度線の外に描かれて日本領域外の島と認識している。なおかつ日本海軍省「朝鮮東海岸図」(1876年)のような官撰地図は独島を韓国領土に含ませている。
     
(漏れのコメント)地図対決では日本側の圧勝だったはず。なかには竹島を色づけしていないものもあるだろうが、そもそも竹島の正確な位置形状を記した朝鮮地図は存在しない。海軍省の地図は領域図なので領有表示を意図していない。韓国領土に含ませているのではなく、韓国沿岸図に出てくるだけ。描かれているのが領有を意味するなら山東半島はどうなっちゃうのかと。
    
?韓国が主張する于山島が独島という根拠がないし于山島は鬱陵島の他の名前か仮想の島だ。
●東国文献備考(1770年)、万機要覧(1808年)などには「鬱陵島と于山島はすべて于山国の地で于山島は日本人が言う松島」記録されている。韓国の古地図は官撰でも私撰でもいつも東海に鬱陵島と独島を一緒に描いて、独島の存在を明確に認識してきたことを見せてくれる。
    
(漏れのコメント)于山島は朝鮮側の記録に詳しく載っており、その描写はあきらかに鬱陵島。だから于山島の記述を以て朝鮮領の証拠とするすべての言説は無効。于山島=松島(竹島)説は空島政策をとった近世になって訳が分からなくなった朝鮮官僚が後付で言っているだけで古代からの認識ではない。だいたい地図では于山島はほとんど常に鬱陵島の西に書かれていることをどう説明するのか。。
     
?江戸初期幕府は漁夫たちに鬱陵島渡海兔許を与えたし、人々は停泊場や漁採地として独島を利用し、遅くとも17世紀中葉に領有権を確立した。
●渡海兔許は内国島に行く時は必要ない文書なので、むしろ日本が鬱陵島、独島を領土と認識していなかったことを立証する。日本の古文で隠州視聴合記(1667年)は「日本の北西方の限界を隠岐島にする」と記録した。1887年、日本国家最高機関太政官は17世紀末、韓日交渉の結果を土台に「竹島(鬱陵島)外一島(独島)の件に対して日本は関係ないということを肝に銘ずること」と日本領土ではないことを認めた。
    
(漏れのコメント)渡海免許は鎖国令が出ている状況下で遠洋航海時に外国に行くのではないことを証明するための免許。そもそもたかが漁民に海外渡航免許を与えていたとしたらそっちの方が大発見だ。「竹島他一島」の話と組み合わせているのは薄々論拠に乏しいと感じているからではないか?「竹島他一島」の件は別エントリーに書いたけど、そもそも外交文書ではないうえに、東京の政府が西洋地図で混乱させられたときのもので(架空の)アルゴノート島と誤認して判断しているだけ。
     
?日本は独島を領土だと考え、17世紀末、鬱陵島渡航を禁止したが独島渡航は禁止しなかった。
江戸幕府鬱陵島渡航を禁止した時「竹島(鬱陵島)の外に鳥取藩付属の島があるか」と問うた時、鳥取藩は「竹島、松島(独島)はもちろん、その他に附属した島はない」と回答して独島が鳥取藩の島ではないことを明らかにした。大谷家文書など日本資料に出る「竹嶋内松嶋」「竹島近辺松嶋」記録は、独島が鬱陵島の付属島嶼と見なされたことをよく見せてくれる。したがって鬱陵島渡航禁止は、当然、独島渡航禁止を含むものだ。
     
(漏れのコメント)事実として竹島渡航は禁止されていない。そもそも鬱陵島=「竹島」に渡航禁止されたけど、竹島=「松島」には渡航できたから竹島の名前が元松島に付けられたのに。ただ鳥取藩が自藩の付属地と考えていなかったのは事実だろうし、竹島鬱陵島にゆく目印としてセットで考えられていたのは事実だろう。だけど別に韓国の島と考えていたわけではないのは渡航免許の件であきらか。韓国の主張は「日本が明確に自国領だと認識していない」=「朝鮮領だと認識していた」というのが多いが、両者は全然レベルが違う。幕府はたかが岩礁をわざわざ自国領と認識していなかったかもしれないが、朝鮮領とも思っていなかった。だから鎖国に触れずに渡航できた。
    
?韓国が引用する安竜福の陳述は、自分の不法渡日罪を正当化するために誇張したもので、日本の記録と符合しない。
鬱陵島近海操業中の日本漁船を追い出し、日本へ渡って謝罪までもらって来た安竜福事件に前後して領土問題が頭をもたげると、江戸幕府は1695年鳥取藩に鬱陵島・独島の帰属時期を聞き「鳥取藩に属さない」と言う回答を受けた。幕府が1696年1月に下した渡海禁止令はその年8月、鳥取藩米子に伝達したので安竜福が5月、鬱陵島で日本人に会ったのが偽りという日本側の主張は妥当ではない。
         
(漏れのコメント)安福龍の証言が日本の記録と一致しない点は多岐にわたる。もっとも重要なのは鳥取藩主が安福龍に会って領有を認めたという点だが、それが事実でないのは記録から明らか。安福龍が鬱陵島で日本人に会ったかどうかなどどうでもいいこと。たぶん事実だろうが、本論とは何の関係もない点を持ち出して議論をすり替えられても困る。
     
?日本政府は1905年、独島を島根県編入して独島領有意思を再確認した。
島根県編入は露日戦争中で韓半島侵奪過程で行われた。それに先立って1900年、大韓帝国勅令第41号を通じて独島の行政区域を再編するなど、すでに確立された韓国の独島領有権に対する国際法上の不法措置だ。当時、独島編入請願書を出した隠岐島住民中井養三郎は独島が韓国領土ということが分かって初めて日本政府を通じて韓国に賃貸請願書を出したが、海軍省、外務省役人たちが領土編入請願書に変えるように糸を引いた。当時の内務省井上書記官は「外国の多くの国に日本が韓国を併呑しようとする疑心を持たせることになる」と反対した。
      
(漏れのコメント)1900年に韓国が領有を主張したのは鬱陵島とその付属島嶼である石島。石島が竹島であるという証拠はない。また1905年の日本の領有宣言時、その後も韓国が抗議した形跡もない。中井養三郎は竹島が韓国領かどうか確認しただけで別に韓国領との認識があったわけでもない。井上の懸念は韓国領かどうかとは関係ない。
         
?サンフランシスコ平和条約に日本が独立を承認してすべての権利、権限及びクレームをあきらめた「朝鮮」に独島は含まれなかった。
●独島は戦後の聨合国決定によって日本から分離して米軍統治下にある途中、韓国政府が樹立されると他の島々とともに朝鮮半島付属島嶼として返還されたし、サンフランシスコ条約はこれを確認したものに過ぎない。日本政府が1951年、この条約を根拠にして衆院に提出した「日本領域図」には独島が韓国領域と表示されている。
        
(漏れのコメント)まったく反論になっていない。日本政府は独立回復時に竹島を自国領と明確に認識している。サンフランシスコ条約では竹島を日本領域に含めている。拒絶されたから李承晩が慌てて軍事占領に走ったわけだし。(「日本領域図」は直接みてないので保留) 
  
追記)「日本領域図」って毎日新聞がSCAPINの解説として載せた図らしい・・・なんだよ私企業が防衛識別圏について描いただけじゃん。領土問題とはまるで無関係。こんな稚拙な嘘をつくとは( ゚д゚)ポカーン
http://toron.pepper.jp/jp/take/sengo/donga2.html
        
?駐日米軍は1952年独島を爆撃訓練区域に指定して日本領土と扱った。
●米空軍は当時、韓国の抗議を受けて指定を解除したし、その事実を韓国政府に公式に知らせた。独島はその頃設定された韓国の防空識別区域内に、日本の防空識別区域外にあった。
         
そりゃ李承晩に配慮しただけでしょ。あと防空識別区域と領有正当性は関係なし。これは明治の頃の海図と同じこと。
         
?韓国は独島を不法占拠しており、日本は厳重に抗議している。
●日本が独島領有権確保を意図したのは1905年の措置を通じてであって、韓国はその前にすでに独島に対する領有権を確立していた。
                 
まったく根拠を示さずに繰り返されても反論になりません。
たしかに日本政府が明確に日本領を宣言したのは1905年だけど、韓国がそう宣言したのは戦後です。その前云々は1900年の石島のことを言っているなら既述のとおり、根拠レス。
               
?日本は1954年以後、独島領有権問題を国際司法裁判所に回付することを提案しているが韓国は拒否している。
●日本は中国と台湾が領有権を主張する尖閣諸島やロシア領北方四島に対しては国際司法裁判所回附を拒否する矛盾した態度を見せている。独島は日本帝国主義朝鮮半島侵略過程で侵奪されてから取り戻した韓国領土なので、裁判所に回付しなければならない何らの理由がない。
          
問題は暴力的に「取り戻した」ことだろう。だから紛争として提起している。「韓国領土だから裁判に出る必要なし」なんてまるで堂々巡りでまったく反論になっていない。韓国がそれだけ証拠に自信があるなら裁判に出てこいよ。あと一部で裁判所に訴えるのは日韓条約違反だとかいうアホがいるけど、そもそも日韓条約では紛争があれば協議するのが義務。それを拒絶している韓国のほうが条約違反。だから仕方なく裁判所回付を提起しているのだ。(尖閣北方四島について回付拒否はよく知らないので保留)
         
追記)
少なくとも北方四島については嘘らしい。
「72年にはソ連(当時)に北方領土問題の付託を提案した(先方拒絶)」
http://www.mofa-irc.go.jp/link/kikan_info/icj.htm
         
http://news.hankooki.com/lpage/world/200807/h2008071902434522510.htm

と、思ったらネラーがスレで答えていた・・・

■日本を黙らせようとした韓国の減らず口を逆に閉じさせる「竹島、10のポイント」

【日】?日本は昔から竹島の存在を認識していた。
【韓】1779年の日本の地図等では独島は朝鮮色に塗られ、警衛度線の外だった。
【日】まず、法律文書以外の私地図は領有の根拠にならない。また、日本領である
   沖永良部島青ヶ島沖ノ島などと同様に、地図上で小さい島には色が
   塗られてないだけ。ほぼ同時代の拡大地図には日本領として描かれている。

【日】?韓国主張の「于山島=竹島」に根拠なし。于山島は鬱陵島の別名or架空の島。
【韓】韓国古地図に「于山島は韓国領であり、日本人の言う松島」とある。
【日】韓国の「干山島=竹島」主張は、島の特徴・位置が竹島と一致せず否定されてる。

【日】?江戸幕府鬱陵島渡海免許を出し、17世紀には竹島を領有・利用していた。
【韓】渡海免許は日本が鬱陵島・独島を「外国」と認識してた証拠。日本の太政官
   17世紀末、竹島鬱陵島)外一島(独島)は日本領ではないと言っている。
【日】江戸時代の通行手形は国内の移動にも出された主権行為。また、17世紀には
   既に日本が「竹島を国内と認識し主権を行使していた事実」に対し反論がない。
   また当時の竹島の名「松島」ではなく「竹島鬱陵島)外一島」としたのは、
   鬱陵島の附属島を意味するからに他ならず、現在の竹島と同一ではない。

【日】?日本は17世紀末、外国である鬱陵島と違い竹島は国内ゆえ渡航を禁じなかった。
【韓】日本の資料で独島は鬱陵島の付属島嶼ゆえ鬱陵島渡航禁止は独島渡航禁止を含む。
【日】?に同じ。当時は島名が違う。ちなみに1779年の日本地図にも日本領と明示されてる。

【日】?不法渡航を正当化する韓国の安竜福の陳述は、日本の記録と符合しない。
【韓】鬱陵島で日本人に会ったのが偽りという日本側の主張は妥当ではない。
【日】?に同じ。そもそも安竜福は漁民であり領土問題に影響がない。

【日】?日本政府は1905年、竹島島根県に再編入して領有意思を再確認した。
【韓】隠岐島の住民・中井養三郎は独島貸借を望んだが、時は露日戦争中で、
   日本の海軍省・外務省役人は韓半島侵奪のために貸借でなく編入に変更した。
【日】本件に影響しない。併合前の編入ならば戦後の条約で日本領と確定する。
   また韓国勅令41号の石島(sokto)=鼠項島(ソコト)は、鬱陵島の附属島である
   観音島のことで、本件と無関係。仮に石島を竹島に置き換えても、日本と違って
   主権の行使をしてない韓国が、宣言だけで領有を確立することはできない。

【日】?サンフランシスコ条約で日本が独立承認した「朝鮮」に竹島は含まれていない。
【韓】独島が米軍統治下にある時に韓国政府が樹立され独島は朝鮮半島に返還された。
   1951年、日本衆院に提出された「日本領域図」では独島は韓国領域。
【日】韓国は領土を定める権限なしと明示されたSCAPINを根拠に李承晩ラインを
   一方的に主張しているに過ぎず、領土編入は誰にも認められていない。また、
   ラスク書簡にあるように、領土分割する戦勝国側である米の竹島認識は
   「朝鮮には竹島領有の根拠なし」。日本領域図は52年の私企業による編纂。

【日】?駐日米軍は1952年、竹島を爆撃訓練区域に指定して日本領土と扱った。
【韓】米空軍は韓国の抗議で指定を解除した。竹島は日本の防空識別圏の外にある。
【日】防空識別圏は全領域をカバーする必要はない。領土問題とは無関係。

【日】?韓国は竹島を不法占拠しており、日本は厳重に抗議している。
【韓】日本が領有を意図したのは1905年の措置から。朝鮮はそれ以前に領有権を確立。
【日】1905年時点で朝鮮の竹島領有は世界の誰にも認められてない。また、当時の
   朝鮮と現在の韓国は後継国家には当たらないため歴史的領有の主張そのものが
   領土決定に対して何ら意味を成さない。

【日】?日本は1954年以後、国際司法裁判所回附を提案してるが韓国が拒否してる。
【韓】中台露が領有主張する尖閣北方四島国際司法裁判所回附を日本が拒否する
   のは矛盾した態度。韓国には独島を裁判所に回付しなければならない理由がない。
【日】完全な嘘。まず中台からは国際司法裁判所回付の話がない。あれば勝てるので
   日本側は国際司法裁判所の「強制管轄」も承認済で、裁判拒否の可能性は皆無。
   ソ連(当時)対しては72年に提案したが、ロシア側がこれを拒否している。