ヘイトスピーチに反対する会


 
この会は2009年の在特会に対抗して開催された「ヘイトスピーチは許せない!『行動する保守!?』にどう向き合うか」集会(主催者側発表200人)を母体として昨年7月に発足したそうです。在特会絡みだからかやたら在日朝鮮人擁護の一方的な主張が多いですが、漏れもグローバルスタンダードに適合しないヘイトスピーチを垂れ流す排外主義には反対なのでその点からは支持しています。
 
ところが日帝憎けりゃなんでも相手が正しいと思い込む心理的傾斜は如何ともしがたいようで、無条件に中国側主張を支持しています。
しかしその根拠は「井上清」だけ(笑)
「世界人民に共有されています」とかお里が知れる特殊用語ですなあ。
日本領有の根拠が弱いとお怒りですがそんなこと言ったら中華民国やら中華人民共和国だって同じです。それに歴史的因縁があれば領有できるというロジックはイスラエルによるパレスチナ占領、中共による西蔵ウイグル占領を無条件に正当化できてしまうんですがいいんでしょうか?
それで心配だったのか持ち出した奥の手は「無主地先占原則は帝国主義だから無効」論(笑)
国際法全面否定です。さすが共産主義者は言うことが違う!
   
それにしてもサヨクの論理にありがちなのは

「一方的事実認識」→「善悪判断」→「道義的アクション」

という図式なのですが、この事実認識が間違っていたらどうなってしまうのか他人事ながら気になります。
この場合で言うと、

尖閣は本当は中国領」→「日本が悪い」→「中国人へのヘイト行動やめろ」

と主張しているのだけど、漏れは最初の2つは認識が違うけど、最後の「ヘイトやめろ」だけを支持したい。
でもサヨクって前提の認識を含めてじゃないと「意識が低い」とか言って認めてくれないんだよねえ(笑)
そしてその論理だと「尖閣は本当は中国領」の部分が崩れると対応不能になってしまう。
中国側に非があったら中国人へのヘイトを認めて良いのか?
そんなわけねえだろ!
ナチがポーランド侵攻したからって直接関係ないドイツ人を迫害してよいハズがない。
だから最初の部分は外して、あるいは別立てで論理を建てるべきなのです。
そういう簡単な想像力さえ働かせないで「日本が悪い」に全面依拠しちゃうからサヨクはカルトだと言われるのだ。
これこそ戦後サヨクの最大の病気だと思うんだけど若い世代でも改善の兆しが見えないのが痛いっす。(´・ω・`)
  
追記)
それにしても「ヘイトスピーチに反対する会」もまた代表も住所も連絡先も不明なのだった。
ショボいブログがあるだけ。
まあ公安にマークされて就職活動に支障あったらイヤなのかもしれないけど、普通の社会人的感覚からしたらマトモにつきあえないと思ってしまう。
副島隆彦さんがいうように匿名希望の活動はマトモな輿論の俎上に載らない。
だいたい個人名がないから文章も書きにくい。(^^)
 
集会で自称200名なら実態100名。その有志が結成というからせいぜい数十名。動員可能は10名前後というところだろう。どうせメンバーは似たような団体を2〜3件掛け持ちしていると思われる。だから匿名で大きく見せたいのかもしれないけどね。
 

釣魚台/尖閣をめぐる日本の国ぐるみの排外主義に抗議します
http://livingtogether.blog91.fc2.com/blog-entry-63.html
周知のとおり、9月7日におこった、釣魚諸島/尖閣諸島の近海における中国漁船と海上保安庁の船との「衝突」および海保による漁船の拿捕(だほ)以来、日本では「反日の活発化」や「中国の脅威」などといった言辞がとびかっています。いまや日本のメディアや論壇は、左右を問わず、ほとんど国ぐるみの中国バッシングに傾倒しているといっていいような状態です。

(にゃんこのコメント)
左右を問わずって、左にもそんな原則的なメディアや論壇があったっけ?

そしてこの風潮が、実社会での排外主義に直結していることもまた、いうまでもありません。各種の右翼団体や市民排外主義団体が、とんでもない差別発言(後述)を街頭にまきちらしながら「日本の領土の危機」を街頭でうったえています。中華学校への脅迫など具体的な迫害もおこっており、とくに神戸では実際に逮捕者がでるほどまでに脅迫が活発化しています(「中華同文学校、脅迫の疑い 芦屋の男逮捕 生田署」神戸新聞10月12日)。
 
ところで、この一連の流れについてなによりまず確認すべきは、
尖閣は日本固有の領土」という前提じたいがまちがいだ
ということです。というのも、いまの日本政府の釣魚台/尖閣にたいする「実効支配」そのものが、近代日本の侵略主義、植民地主義の歴史の延長線上にあるからです。順に見ていきましょう。
 
日本の外務省によれば、日本は「1885年以降」に釣魚台/尖閣の「現地調査」をなんどかやって「これが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないこと」をたしかめてから、「1895年1月14日」に「閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとした」とのこと(外務省リンク)。これは国際法上の「無主地先占」のルールにのっとった手続きである、というのが「尖閣は日本のもの」派にとって第一の前提です。
 
しかしこの「無主地先占」論は、すでに1972年、井上清という学者の論文『「尖閣」列島―釣魚諸島の史的解明』によって、完膚なきまでに突きくずされています。しかも、この研究はウェブ上で全文が文字起こしされ、世界人民に共有されています(井上清『「尖閣」列島―釣魚諸島の史的解明』、またmedia debuggerさんが内容を要約しています)。そして見たところ、それ以降の尖閣=日本論は、この論文を無視して、あるいはこの論文が指摘している問題をねじまげることによって成立しているにすぎないようです。さてそれでは、この研究を中心に参照しつつ、釣魚台/尖閣をめぐる歴史上のおもなポイントを年表でおさえておきましょう。
 

明(14c-)・清(17c-)時代  釣魚台、中国と琉球諸島の境界をはさんだ中国の島として、複数の文献に登場。
他方、琉球や日本では「中国の文献から離れて独自に釣魚諸島に言及した」文献はひとつもなかった(井上論文)。
海流の問題で、琉球との実際的なかかわりも、当時はうすかった。

(にゃんこのコメント)
はい、知っていた=領有していた論ですね。このロジックがあるからスプラトリー諸島も台湾も"中国"のモノということになるんですね。そもそも王朝交代と領土変動を繰り返した国家の領有についてはめんどくさい議論がありますがそれはいいとして、認識があるということと領有意識があるということ、領有の事実があるということは全て別のことです。井上論文でも最後まで領有していたという事実は出てきません。知っていた→だから領有意識があったに違いない、てな程度です。「中国領の島として文献に登場」と書けないのはそのせいでしょう。他方日本側文献にも出てくるので対等でしかないと思うのですが、日本の文献では「中国の文献から離れての記載がない」から駄目らしいです。ヘイトさんが書いているようにこの島は潮流の関係で漁場としてあまり使われなかったので日本側は中国との往来の道標に使っていました。したがって日本側で言及あるときに中国に絡めるのはごく自然だと思うのですが、どうして駄目なんでしょうね?

1871年  いわゆる明治維新(1868年)以後の日本は、廃藩置県のどさくさで、それまで「日清重属」であった琉球を近代日本の排他的領土にしたと宣言する(いわゆる第二次琉球処分のはじまり)。この時点でも日本は、釣魚台/尖閣琉球の一部として認識していない。
1885年  内務省沖縄県庁に釣魚台/尖閣の調査を内命(このころになってはじめて、日本は釣魚台/尖閣に目をつけたようす)。このときの調査では、沖縄県庁は「いや、あそこは清国領だからまずいんじゃ」といった具合に報告。
1890年  こんどは沖縄県知事が「尖閣を日本の沖縄県としてあつかってくれ」と内務省に上申。というのも、この時点で沖縄県知事は、内務省出身の国家主義者にかわっている。

(にゃんこのコメント)
つまんないことだけど最近は日清重属っていうの?日清両属と習ったけどなあ。
それはそうとして「廃藩置県のどさくさで琉球処分」って論理的におかしくないか?廃藩置県なんて内政問題でしょ?国際関係はどさくさしてないと思うんだけど。。。
で、その頃は日本に領有意識がなかった、17年もたってから調査している、と批判しています。清国はいつ調査したんでしょうねw
竹島もそうだけどまだ近代国家のできたての時期なので近代的領有意識で島をみたことがなかったから混乱しているだけと見るのが自然でしょう。
そんなの竹島でも小笠原でもいろんなところであったわけで、だから日本領じゃないってことにはなりません。
沖縄県官僚が即答できなかったのも無理はない。「清国領だからまずいんじゃ」じゃなくて正確には「清国領「かもしれない」のでまずいのでは?」と心配しただけの話です。
ここでもヘイトさんは誘導していますね(^^)
で5年後に調査したのは知事が「悪い国家主義者」になったからだって(笑)
1890年というのは明治国家の完成期ですよね。近代的国家体制の仕上げの時期に手つかずだった遠隔地の領域を確定しようとしたと、どうして普通に考えられないのでしょう。
知っての通り数年後に日清は干戈を交えるわけですが、尖閣諸島朝鮮半島での戦争にはぜんぜん役に立たない島です。それに戦争することが分かっていたならこの時点で無理矢理領有する意味もありません。

1895年  日清戦争に勝った日本は、4月17日締結の下関条約で、台湾を支配下におさめる。それに先立つ1月、どさくさまぎれに、釣魚台/尖閣の領有を閣議決定(その内容は1952年まで公開されず)。また、その後も日本政府は、釣魚台/尖閣が何年何月何日から沖縄県の一部にくみこまれたのか(というのも1871年時点ではどの公文書にも沖縄の一部として登録されていなかったのだから)を、いかなる法、政令、文書等においても明記していない。「すなわち、釣魚諸島は、台湾のように講和条約によって公然と清国から強奪したものではないが、戦勝に乗じて、いかなる条約にも交渉にもよらず、窃かに清国から盗み取ることにしたものである」(井上論文、強調引用者)。

(にゃんこのコメント)
竹島の場合は公告が出ていました。日韓両国の間にある島だったからです。
しかし尖閣諸島の場合は直ぐ後に台湾も領有することになったために島の両側とも日本になったのでわざわざ知らせるべき相手がなかったのです。
沖縄県に施政を指令するだけで事は足りたわけです。

1900年  日本、例の閣議決定から5年もたったあとで、釣魚台/尖閣を正式に「尖閣諸島」と呼ぶことに決定。
1945年  アメリカが日本に戦勝したが、釣魚台/尖閣も「琉球」あつかいでアメリカの統治下におかれる。1952年のサンフランシスコ講和会議でも問題とされず(そもそも当事者の中国が呼ばれていない)。また、いくつかの島をアメリカは軍事訓練場として使っている。

(にゃんこのコメント)
当事者の中国って国府中共
中華民国について言えば日華条約でサンフランシスコ講和条約を踏襲しているので無問題ですね。
中華人民共和国について言えば「交戦国」でもないうえ、そもそも台湾と日本の間の島には関係ありません。
ただマオイスト井上先生の立場から言えば中共講和条約に呼ばれていないのが不満なんでしょうけど。でも1949年にできた国が大東亜戦争の講和を結ぶのは無理だって(笑)

1970年  いまだ沖縄返還以前の段階である同年9月、日本政府は「海上自衛隊をして、この海域で操業中の中国台湾省の漁船団を威嚇してその操業を妨害させた」(井上論文、強調引用者)。またこの時期から1970年代いっぱいにかけて、日本メディアにおいて釣魚台/尖閣論が活発化。
1972年・その1  いわゆる沖縄返還。これにともなう釣魚台/尖閣の処遇について、米国務省は「同列島〔釣魚台/尖閣〕が含まれる西南諸島の施政権」を日本に返還するが、その「領有権をめぐる紛争については、当事者間の話し合いによるか、あるいは当事者が希望する第三者によって解決するのが望ましい」と立場表明している(山本剛士「尖閣の日中近代史」、『世界』1996年12月号、257-62頁所収)。とりあえずアメリカは、1952年の講和会議からは中国をハブっておきながら、いまさら「当事者間でよろしく」と逃げを打ったということでOKでしょう。

(にゃんこのコメント)
OKじゃありません!
だいたい中国ってどっちのことやねん!ハッキリかけというのに。
台湾は前述のようにサンフランシスコ講和条約と連動した日華条約を締結しているのでハブってはいません。
アメリカは同じ同盟国である日台間で「領有権を巡る紛争」が争われたら困るので上記のコメントになったのでしょう。中共なんてアウト・オブ・眼中(笑)
じっさい中共との紛争では介入するって何度も表明しているでしょ。
こういう自分達に不利な側面を隠して糾弾するからサヨクって信用されないんだよ。

1972年・その2  いわゆる日中国交正常化が成立。これに先立つ日中の交渉過程で、釣魚台/尖閣の問題については「棚上げ」とすることで両国が同意したとされる。
1978年  日中平和友好条約が締結される。このさいにも、1972年時の「棚上げ」が確認されている(山本、前掲)。ところがこの年には、日本青年社なる住吉会系の右翼団体が諸島内の魚釣島灯台を設置した、というできごともある(同灯台は2005年、日本政府に委譲されている)。

(にゃんこのコメント)
ああ、めんど。
この頃は未だ狂信的拡張主義的軍国主義全盛です。実際翌年ベトナム侵略したしね。
いくら訒小平でも基地外軍部を刺激するのはやばいので棚上げしたわけです。

1990年代  日本メディアにおいて釣魚台/尖閣論が再び活発化。ただし1970年代にもまして、ほぼもっぱら右からの議論である。この傾向は現在までつづいている(国会図書館の雑誌記事検索をかけてみるとよくわかります)。
2008年  海保は台湾漁船とも「衝突」している。このときには海保は台湾漁船を沈没させている(「魚釣島沖で巡視船と衝突の台湾船が沈没」「尖閣沖の台湾船沈没事故、日本側が船長に謝罪」AFPニュース)。

(にゃんこのコメント)
経緯は別としても実態として日本領である以上経済水域内で違法操業する漁船を拿捕するのは当然の職務ですね。沈没までさせちゃったのは悪かったと日台間系を考慮して表明しただけの話です。こんな話が領有となんの関係があるというのでしょうか?

2010年  海保の船と中国漁船の「衝突」および中国漁船の拿捕。ちなみに日本政府は、中国漁船から海保船舶に激突したのだとしているが、現場で撮っているはずの証拠映像を公開していない。←イマココ

 
このような歴史的経緯を見るならば、日本は「無主地先占」といういちおうの国際的ルールにすらのっとることなく、近代化によって獲得した軍事力にものをいわせて、釣魚台/尖閣も清国からぶんどったと結論づけるべきでしょう。

(にゃんこのコメント)
「無主地先占というルールすらのっとることなく」なんて話は出てきた?ちゃんと説明してください。
もしかして知っている=先占とか思ってる?
だとしたらさぞかし中華民国は怒ったろうね。抗議したろうね。でもそんな話でてこないね。
それどころか、尖閣諸島で遭難した漁民救助で日本政府に感謝状を贈っているよね。
少なくとも中華民国に領有意識がなかったことは確かみたいだね。

もちろん、かりに井上論文の論拠が今後くつがえされ(※注)、日本の釣魚台/尖閣占有がいちおうは「無主地先占」のルールに妥当することになったとしても、なお日本の侵略性という問題はかわらずのこります。「無主地先占」というリクツそのものが、近代国家の巨大な力にものをいわせた土地の排他的占領を意味するものであって、それは国際社会における強者のルール、つまり近代帝国主義による植民地獲得競争のためのルールです。このルールじたいが恥ずべきものであって、それに依拠して釣魚台/尖閣の占有を正当化することなどもってのほかです。

(にゃんこのコメント)
清国やら中華民国やらの先占が証明されない以上無意味な問いですが、それにしたって「無主地先占」を否定したら国際関係は崩壊しますね。あ、その方が良いのか。

※ いちおう井上清の論文の実証性、妥当性についてもひとことつけ加えます。国際法が専門の奥原敏雄という学者が、いくつかの史料をつかって、井上の議論をくつがえそうとしていたようです。しかし井上じしんが批判しているように、釣魚台/尖閣が明治以前に「無主地」であることをまったく証明できていません。また、釣魚台/尖閣は昔からずっと台湾漁民の漁場であり、現代でもそうだという論点にたいして、日本が釣魚台/尖閣を領有した当時は、台湾漁民も「日本人」だったから漁ができたのであって、いまは日本人じゃないから台湾漁民の漁は不法だなどという、むき出しの帝国主義植民地主義の論理をふりかざしています(奥原「尖閣列島問題と井上清論文」、『朝日アジアレビュー』1973年第3号、88-92頁所収、など)。こうしたことからいって、奥原の井上批判の論理は、井上じしんがいっているように「居直り強盗の論法」であり、まともにとりあうべきものではありません。また奥原以外に、史料をつかった実証的な井上批判を書けた学者もいないようです。つまり井上論文はその後、その実証性にもかかわらず、まともな批判もなしに専門家たちからスルーされてきたわけです(一部のジャーナリスティックな記事では取り上げられていますが)。
前編(歴史編・先に読んでね)をふまえつつ、現状を見てみましょう。釣魚台/尖閣をめぐる日本の国ぐるみの排外主義については、批判すべきポイントがおもに3点あるとかんがえます。

(にゃんこのコメント)
台湾漁民は尖閣諸島で近代以前からそんなに漁をしていたんでしょうか。
日本に併合されて近代漁業が盛んになったので漁が増えたのです。
その後残念ながら日台は分離されたので国籍が違う以上経済水域も分かれざるを得ません。
台湾人から日本国籍を取り上げたのは中華民国自身ですね。

 
1. 日本政府の釣魚台/尖閣への「実効支配」そのものが不当である
2010年9月の「衝突」は、けっして問題のはじまりではありません。前編(歴史編)からわかるように、いまの日本政府の「実効支配」そのものが、近代日本の琉球、台湾周辺にたいする植民地支配の延長線上にあります。今月11日の5カ国国防相会談について、産経は「北沢防衛相の「尖閣は日本の領土」に全面賛同なし」と報じましたが、そりゃあたりまえだろとしかいいようがありません。
 

(にゃんこのコメント)
尖閣は台湾の領土」「尖閣は中国の領土」の証拠は何一つ見せてもらえません。5カ国ってベトナムインドネシア、オーストラリア、タイ、シンガポールだそうです。みんな「領土問題」抱えています。なので様子見しているだけです。こんなアホな説明を納得して賛成していないわけじゃありません。

 
いまの民主党政権は、ことし8月、韓国政府にだけ植民地支配の白々しい「おわび」をしていました(白々しいというのも、内容は1995年の村山談話から進歩しておらず、また元「慰安婦」などへの個人補償の責任もスルーしたままなので)。そして実際には、この新政権もまた、日本の植民地主義についてはまったく実質的な反省や改善の意志がないことが、ここでもはっきりと露呈しているわけです。むしろ、自民党時代には、海保に中国や台湾の漁民を逮捕させてはいても、すぐに送還という措置をとるのがいちおうは通例となっていましたから、この件にかんして民主党政権はより強硬派になったといえるでしょう。また、漁船拿捕(だほ)のあと、さっそく尖閣への自衛隊設置をとなえる民主党議員も出てきましたし、今後ますます民主党は批判の対象とされていくべきでしょう(「尖閣自衛隊常駐を 民主党有志12人が声明」9月27日産経)。
 
2. 左右同根の言論状況・その1「中国が悪いんだ」論
media debuggerさんがいちはやく批判しているように、主要一般紙やその他の主要メディアなどは、左右問わずこの件について「中国が悪い」という見解を一致して示しています(「尖閣諸島=釣魚諸島の歴史的経緯は?」、「続:尖閣諸島=釣魚諸島の歴史的経緯は?」)。右についてはいちいちあげるのもめんどくさいですが、左の代表格は日本共産党でしょう(「日本の領有は正当 尖閣諸島 問題解決の方向を考える」赤旗ウェブ版)。
 

(にゃんこのコメント)
あ、左って共産党ね。なるへそ。

 
しかしながら、前述の歴史的経緯をふまえれば、今回の「衝突」について「中国が日本の主権を侵害した」などとはけっしていえません。釣魚台/尖閣は近代日本が侵略したんだろという批判にたいし、日本政府はいわば「アーアーキコエナーイ」と耳をふさぎながら、ぶんどったものをいまだに抱えこみつづけているのであって、そのような状況のなかで今回の件もおこったわけです。そうした日本の侵略主義についてほおかむりしているかぎり、いかなるメディアも、左であろうが右であろうが関係なく、侵略主義の支持者にほかなりません。
 

(にゃんこのコメント)
まったく納得させてくれない「理由」を根拠に上から目線で説教されても困ります。
自分の言っていることが本当に人を納得させられる内容になっているのか、むしろ穏健な右派とディベートでもして検証したらどうでしょうか?
頭がわるいくせに自分が優秀だと思っている・・・サヨクに対する一般的イメージはここまで悪化しています。
普通にヘイト反対で論を貼ればいいのに、稚拙な歴史解釈をぶったうえに独りよがりな「正しい歴史認識」までセットにするから誰もついて行けなくなります。
お仲間どうしで趣味でやっているには無害なので良いですけど、それで良いのでしょうか?

 
もう一点、この「中国が悪いんだ」論において見のがせないのが、今回の件をきっかけに中国や台湾でおきた反日デモの参加者を、中国共産党の手先やあやつり人形であるかのようにかたる論調です。それらの反日デモには、1970年代からの保釣運動の活動家もいれば、今回あらたに参加した市民もいたことでしょうが、かれらが中国共産党の思惑とは関係なく動いていることは、陰謀論をとらないかぎりあきらかです(中国政府はむしろデモを警戒している、たとえば「漁船衝突、中国各地で抗議デモ 日本公館前で」9月18日共同)。他方、中国の「反日」デモはほんとうは「反日」ではなくて、いまの中国では表現しにくい体制への不満が、たまたま日本への批判というかたちで噴出しているだけだ、という主張もあるようです(これもmedia debuggerさんがとりあげていますが、たとえば田畑光永丸川哲史など)。これは「中国が悪いんだ」論へのカウンターのつもりかもしれませんが、はたして実際にそうなりえているでしょうか。「悪い」といわれている「反日」が「ない」と主張しているだけで、その「反日」が批判として引き受けねばならないものだという可能性をはじめから排除しているだけだし、なによりこれは民衆の主体性の軽視です。
 

(にゃんこのコメント)
それを考察するならまず中国が自由にデモの出来る国かどうかから初めて欲しいものです。中共穏健派は訒小平路線に反する反日やら排外主義やらを警戒しているのは当然です。でも西蔵解放やら劉暁波釈放やらのデモはすることさえ出来ません。それに日本人へのヘイト洗脳が行われてる国の民衆の主体性なんて言われてもしらけちゃいます。それに民衆の主体性を言うなら沖縄を中国に返せというデモ隊の主張についても評価をお願いします。

 
中国や台湾の民衆の日本にたいする怒りは、そういうものとしてきちんととらえねばなりません。日本政府は政権がかわっても、結局は侵略主義、植民地主義を改める気はないのであり、それが今回の件でも露呈しているのだから、中国や台湾の民衆が怒る理由はごく自然に推測がつくはずです。1990年代にはまだ、日本でもそうした点をある程度は配慮した報道もありましたが(たとえば前編(歴史編)で参照した山本剛士「尖閣の日中近代史」など)、もはやそうした指摘が日本の主要メディアからきこえてくることはなさそうです。
 

(にゃんこのコメント)
一般日本国民は理解できていないけれど優秀なるサヨクの方は中台人民の本当の気持ちを分かるんですね。そうですか。
サヨクは常に正しいのに、バカな日本民衆は右傾化して日本の侵略主義・植民地主義を反省しなくて困ったモノです。
おなじ民衆でも中国民衆は主体性をもって反日を叫んでいるのに、日本民衆は没主体的に反中に扇動されちゃっていけませんねえ。。

  
3. 左右同根の言論状況・その2「日中どっちもどっち」論
もちろん、2よりは冷静で穏健な意見も見られますが、しかしそれでもせいぜい「日中どっちもどっち」どまりの言論でしかありません。もっとも典型的なのは、1972時点での日中両政府が確認した「棚上げ」路線にもどろうという議論です。左右の中道路線はここに落ち着きそうです。ただしこうした議論もまた、けっきょくのところ日本の実効支配そのものを問うところまではいきません。あくまで問題は、領土をめぐる諸国間の国益対立ではない(少なくともそれだけではない)のであって、日本の実効支配が過去からの侵略主義に支えられていることが、なによりまず確認されるべきです。さもなくば、けっきょくはより穏健な国益主義の支持者となるにすぎないでしょう。
 

(にゃんこのコメント)
だから〜誰もあなたの説明じゃ侵略主義だって納得できないだけだって。自分の説明が悪いのに賛意が得られないと逆ギレする上司みたいですよw

  
他方、一見してよりラディカルな主張もあります。釣魚台/尖閣を日中(or日中台)両属にしようとか、南極のように領土主権化されない領域にしようといった議論です。主唱者は、中国研究者の天児慧(早稲田大)や加々美光行(愛知大)ですが(天児「中国漁船拿捕 「脱国家主権」の新発想を」、9月25日東京新聞・加々美インタビューなど)、左派市民運動よりのブロガーや革新派の地方議員なども、こうした議論を肯定的にとりあげています(じょんのびblog「隔ての島から結びの島へ! 「無主」「両属」としての尖閣諸島(釣魚島)の構想を!」、漢人明子・小金井市議の10月4日づけ「意見書」など)。
 
まず前提として、こうした「両属」論や「脱領土化」論は、ある土地をある国家が排他的に支配することをやめようという一般論のレベルにおいてならば、「最終的には」正しいということに同意できます。釣魚台/尖閣の近海で漁をいとなむ人びとのくらしを、領土国家の論理でふみにじるべきでないのはたしかなことです。ただしそうだとしても、この「最終的には」という留保はやはりはずせません。現状では日本の釣魚台/尖閣への侵略(いわゆる「実効支配」)がつづいているからです。この侵略行為も改め(させ)ることなしに、日本(政府であれ民衆であれ)が中国や台湾にたいして、釣魚台/尖閣を「共有物にしようよ」とか「脱領土化しようよ」とかもちかけるのは、なんともおかしな話ではないでしょうか。この釣魚台/尖閣問題について、日本と中国とは「どっちもどっち」の主体ではありえないのです。
    
さらにいえば、こうした「両属」論や「脱領土化」論は、それがもし「どっちもどっち」的前提を手つかずのまま残すとすれば、2の「中国が悪いんだ」論を批判できないだろうし、あるいはそれにとりこまれてしまう危険すらあります。日本による「実効支配」=継続中の侵略という点を点をすっとばした「両属」「脱領土化」論に、中国や台湾(政府であれ民衆であれ)が納得するはずがないでしょう。この点を理解しないかぎり、中国や台湾が「強硬」姿勢であるとか「自国の利益を優先している」といったバッシングには対抗できなくなるでしょう(現にできてないけど)。
 

(にゃんこのコメント)
よくわかんないんだけど、実態として両属になれば中国・台湾としては万々歳だと思うんだけど何が不満なの?
いままでの「侵略主義」を日本に反省させられないのが不満なの?
それって結局実益より心理的満足にこだわるというサヨク小児病となんか違うの?

    
他方、いわゆる東シナ海のガス田問題をとりあげて、中国の国益主義を非難する論調も、かなり以前から強くあります。また最近では、中国が同海域の海底に中国旗を立てたことがビジネス系コラムでとりあげられ、ネット右翼のバッシングのタネになっています(「海底に国旗を立てて領有権を主張する 中国に日本はこんなに無防備でいいのか」Diamond Online 9月22日)。こうした点についても、「どっちもどっち」論を温存したままでは批判的に見ていくことができないでしょう。たしかに中国政府もまた、主権国家間のパワーゲームの論理にのっとって行動しています。しかしその主権国家間のパワーゲームは、ヨーロッパが世界に広め、そして東アジアにおいては日本が強力に貫徹させた(させている)ものです。もし中国の国家主義を批判し改めさせたいなら、なによりまず日本の国家主義、侵略主義、植民地主義を徹底的に批判すべきでしょう。さもなくば、最終的には、それこそ主権国家間のパワーゲームにおいて、日本の国家主義の支持者になるしかありません。
 

(にゃんこのコメント)
ほう、中国もパワーゲーム(ようするに帝国主義ね)を闘っているけど、それは日本が東アジアに貫徹させたのだから仕方ないと。
中国が帝国主義を放棄するにはまず日本が先に帝国主義を止めるべきだと。
日本の帝国主義は悪い帝国主義。中国の帝国主義は良い帝国主義
どっかで聞いたことあるなあ・・・この台詞。
米国の核兵器は汚い核兵器。中国の核兵器は綺麗な核兵器
日本の民族主義は悪い民族主義。韓国の民族主義は良い民族主義
サヨクの大好きな「正しい歴史」から来るダブルスタンダードですね、わかりますw

 
さて、こうした視野をもつことによって、在日中国人への迫害を扇動する排外主義者への正しい批判も可能となります。
 

(にゃんこのコメント)
いや、だから、そういう”こうした視野”なんかヘイトに反対するのに必須じゃないから!
変な思い込みまで強要されるからサヨクと共闘するのがイヤになるのだよ。どうして単純にヘイト反対!じゃだめなの?うんざり。

 
一例として「頑張れ日本! 全国行動委員会」(田母神俊雄や「チャンネル桜」の水島総などを中心に組織された新興の保守団体)発行の「月刊国民新聞」とやらを見てみましょう。この新聞を「頑張れなんたら」はビラとして渋谷の街頭で配っていたのですが、大筋では、中国共産党がこの釣魚台/尖閣問題を機に、民間人をあやつって、あるいは民間に政府の特殊部隊をまぎれこませて、いっきょに日本を侵略しようとしている、といったことが書いてあります。しかしだからといって、またウヨはとんでもない被害妄想をまきちらしているなと、笑ってもいられません。そのなかには、中国本土からの「侵略」にあわせて、在日中国人が「戦闘」を開始し、原発が破壊され、飲み水には毒が混入され、放火や略奪がおこるなどという、とんでもない流言がふくまれています。90年前の関東大震災において、こうした悪質な流言をつうじて朝鮮人虐殺が煽り立てられたことを、つよく連想させられます。そして、前編(歴史編)でとりあげたように、いまだ虐殺ではないにせよ、在日中国人への実際の迫害は実際に起きているのです。
 
こういうあからさまな排外主義の扇動者はごく一部にすぎない、まともにとりあうよりも放っておいたほうがいい、という人もいるでしょう。たしかに、こうした極右議員、言論人や在特会のような排外主義市民は、活発化したとはいえ、まだ右派の本流ではありません。しかしながら、こうした排外主義極右を日本においてのさばらせるのは、いったいなにでしょうか。それは警察や政治家だけでしょうか。むしろ、前述の2のような論調を作っている人びとこそ、こうした排外主義の土壌づくりのあきらかな共犯者であるし、またそれを3のような立場において容認あるいは軽視する人がいるとすれば、それもまた排外主義への共犯性を免れられないのではないでしょうか。
 
したがって、わたしたちは、釣魚台/尖閣をめぐるこの国ぐるみの排外主義に対抗するための立場を以下の明確にするとともに、より多くの人びとが以下のような見地から日本の政府やメディアを批判することを呼びかけます。
 
1. 日本による釣魚台/尖閣の実効支配は、明治期に日本がはじめた東アジア侵略の延長線上にある。よって、日本政府はまずこの実効支配をやめ海上保安庁を釣魚台/尖閣近海からひきあげさせるとともに、釣魚台/尖閣を清国からうやむやのうちに奪った事実を認めよ。釣魚台/尖閣の帰属の問題について日本の側からものをいうのは、その後のことである。

(にゃんこのコメント)
え〜何気なく尖閣諸島を放棄せよと主張しています。
そこまでいうならそれを主題にするべきですね。
中国人差別をやめろ!じゃなくて、尖閣諸島は中国のものだ!さっさと返還しろ!とデモるべき。
それはそれで興味深い情景だと思います。

 
2. 2010年9月の中国漁船と海保の「衝突」を機に高まった日本の排外主義は、1の見地から全面的に批判されねばならない。「日本も中国もどっちもどっち」などの見地からあいまいな態度をとることなく、在日中国人への実際の迫害にたいして断固とした反対の立場を表明すべきである。