また竹島問題か(飽き飽き)

    

     
漏れは元サヨだったので竹島韓国領派だったのだが、20年くらい前に念のために徹底して調べたのだった。
その結果、左翼本のソースが極限られていること、日本領派のほうが証拠が豊富であること、がわかった。
で、日本領派になったのだったが、それはサヨの間では言ってはならないことのようで困った。(^_^;)
とどめを刺したのは有名な2000年頃のYahoo掲示板での田中邦貴氏と朴炳渉氏(半月城)の論争だった。
韓国本国の竹島研究はレベルが低いので措くとして、日本国内の代表的韓国領派が朴氏だと漏れは思っていた。
ところが朴氏は田中氏の問いに全く答えられず、話題をすり替えて逃げ回り、漏れはすっかり氏の人間性に失望し、この問題は漏れの中では完全に決着済みになった。
いまの漏れの興味は、将来「よく考えたら日本側の主張に分がある」と韓国人が気付いたときなにが起こるのか?である。
これは金日成ソ連の傀儡に過ぎなかったことだとか、朝鮮独立軍は事実上何もしていないこと、などが暴露されたらどうなるのか、と同じ関心だ。
日本敗戦時のアキュートアパシーのようなものが再現するのだろうか?
真実をベースに一から自我を組み立て直さなくてはならないだろうけど、相当しんどいだろうと思う。
なんだか哀れな気がする。(´・ω・`)
    
追記)
なお、この問題は日本にいる韓国籍の人達の政治意識を図るリトマス試験紙になる。
日本では韓国と違って国定教科書で洗脳されることもないし、漢文史料を歪曲することもできない。解説書の出版も盛んだ。漏れ的には特別な信念がなく客観的にみればどう考えても日本領に思えると思うのだが、日本で生まれたにも拘わらず韓国領だと答える在日韓国人がいる。これが狂信的民族主義というやつか、と思うのだ。┐(´∀`)┌ヤレヤレ
       
追記)
ところで、上の写真をみて樹木など生えていないのになぜ竹島というのか疑問に思わないだろうか。
実はこのことに答えられるかどうかでその人の認識度がわかるのだ。
もともと江戸時代から争点となったのは鬱陵島である。そこで日本人は竹を採っていたのである。だから竹島。で現在の竹島鬱陵島に行くときの中継地・目印で、竹から連想して松島と呼んだ。(すると朝鮮半島は梅半島?)
ところがその後海外渡航が問題化し、江戸幕府鬱陵島竹島は朝鮮領なので渡航禁止とした。そのため、渡航限界の島であった竹島の名を以前の松島に再命名したという次第。(竹もないのに)
       

竹島問題】安秉直名誉教授、「日本側にも日本なりの根拠がある。韓国が騒ぐのは得策でない」などの『妄言』で物議 [07/16]
1 :犇@犇φ ★:2008/07/19(土) 09:40:10 ID:???
■ニューライトの安秉直、今度には「独島妄言」で波紋
    
慰安婦強制動員の証拠は無い」などの妄言で有名な、ニューライト財団の安秉直(アン・ビョンジク)理事長が15日、日本の独島挑発に関して、「実際には日本も、日本のものだと主張するに値する彼らなりの根拠を持っている」と主張し、波紋が広がっている。

問題の発言は、安理事長が15日夕方に放送されたCBSラジオ番組のインタビューの中で出たものだ。安理事長は日本の独島挑発について、「日本も韓国も、自分が領有権を持っていると主張する国として、相手が自分のものだと言えばもう一方が自分のだと言い返すのは当然のことだ。だがこれが世論化されて、日本社会や韓国社会で騒ぎになれば、独島が国際紛争地化する。国際紛争地化して我が国の得になることは無い」と、例の「静かな対応」を求めた。これについては独島本部がかつて、日本政府の工作で国内親日勢力が「静かな対応」を主張して日本の独島侵奪を手助けしている、と批判したことがある。
   
安理事長の問題発言は更に続いた。安理事長は、「なぜ得にならないかと言えば、独島を事実上実効支配しているのは我が国だからだ。そんな状況で、独島が歴史的に我が国の領土だと完全に証明できるのであれば我が国がしきりに主張すれば良いが、実際には日本にも、日本のものだと主張するに値する彼らなりの根拠を持っている」と述べた。
   
安理事長は更に一歩進んで、「そもそも現状で、我が国が日本よりも法律的・史料的証拠を多く持っているとは必ずしも言えない」とまで発言した。
     
これは解釈によっては、法律的・史料的証拠が多くないにもかかわらず我が国がただ「実効支配」しているだけだという日本政府の主張と脈を一にする主張とも見られる妄言だ。
    
安理事長は、李明博大統領の生半可な実用主義外交が今回の事態をもたらしたという指摘に対しても、「そうではない。冷静に考えれば、独島問題は韓日関係の幾多の問題のうちの一つに過ぎない。今後韓国が発展するにあたって日本と協調せねばならないことが多いのに、過去の政権は独島問題に嵌まり込んで、積極的な協調によって我が国の利益になることを成し遂げられなかった。だから今後は、我が国が国際的な協力のもとに我が国社会を良くしようとするなら、解決の見込みが無い問題をしきりにクローズアップさせて我が国の先進国化という大きな国政方向を誤るような愚かなことをしてはいけない」として、独島挑発にもかかわらず日本と協力を続けなければならないと主張した。
   
安理事長は、「我が国は日本との間に独島問題があり、中国も日本との間に釣魚島問題がある。両国で常に騒ぎになる。戦後ずっと騒いできたが、それでもどちらも解決を見ない。だから、それを騒いで両国が自分たちの発展のために国際協力をすべきことまでを放棄するか、それともその問題は窮極的な解決が難しいから当面棚上げして協力すべきことは協力するか、という選択の問題がある」として、重ねて日本との協力の必要性を強
調した。
   
安理事長は日本の今回の挑発についても、「我が国は今、独島が我が国のものだと主張している。我が国の教科書にも全て載っているでしょう。日本は独島が日本のものだということを教科書に載せたわけではなく、教科書の指導要領に表記するというだけの話だ」と日本の挑発の意義を矮小化したうえで、「それをもって我が国が大事件が起こったかのように騒げば、騒ぎに巻き込まれていってしまう」として、日本政府と同じく「冷静な対応」を求めた。

今年5月までハンナラ党の汝矣島研究所理事長を務めた安理事長は、「植民地近代化論」など植民地史観の代表的首唱者で、これまでも「慰安婦強制動員の証拠は無い」「日本の植民地時代に韓国が近代化された」と述べるなど、何度も親日妄言で物議を醸してきた人物だ。安理事長はまた、植民地史観に基礎を置いたニューライト教科書の製作でも、自身の高弟であるニューライトの李栄薫(イ・ヨンフン)ソウル大教授を通じて強い影響力を
行使してきた。
     
安理事長はこの他にも、「今すぐ統一になれば大変なことが起こる。1〜2百年後にせねばならない」、「あってはならない牛肉再交渉を要求するのは『国民水準』に問題があるからだ」と発言するなど、多くの物議を醸してきた代表的な親日性向の極右人士だ。
    
▽ソース:ビューズ&ニューズ(韓国語)(2008-07-16 09:51)
http://www.viewsnnews.com/article/view.jsp?code=NCB&seq=37738
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1216428010/

 
追記)
ところで典型的な在日民族主義右翼として朴一氏がTVで以下の主張をしていたそうだ。
これは日本にいて情報がそれなりに入る状況下にいる在日韓国領派のよりどころとなっている主張なので詳しく検討しよう。
「1877年に明治政府は竹島を韓国領だと認めている」
この言い方には嘘がある。
この主張は1877年に島根県の問い合わせに対して明治政府の太政官が出した回答文書を根拠としている。
   
(1)気を付けなければいけないのはこれは外交文書ではないことだ。内輪の文書である。ましてや政府決定事項でもない。
   したがってそもそも”日本国政府”が”韓国政府”になにかを認めた、という性質のものではない。
   よって本来はここで議論はお終いなのである。
    
(2)だが韓国側につきあって更に検討しよう。
   「他一島」を「日本の版図外」としたのは事実である。
   このとき明治政府は混乱していたのでチョンボしてしまったのである。
   だが「他一島」が竹島を指すとしても、日本は版図外といっただけで韓国領だと言ったわけではない。
   ハッキリ韓国領と言ったわけではないのだから無主地として1905年に日本に編入するのに矛盾はないのである。
   
(3)ただそもそもの問題は「他一島」とはなにを指しているか確定しないことなのだ。
   この経緯はややこしいので理解している人は少ない。
   
   もともと日本では、竹島鬱陵島)−松島(竹島) と認識していた。
   ところが西洋人は、竹島(架空の島)−松島(鬱陵島)−岩礁竹島) と勘違いした。
   
   混乱した明治政府は佐田白芽にこの件を調査させた。
   1870年、佐田は日本でいう西欧地図にある「竹島」が日本でいう「磯竹島竹島)」だと結論した。
   しかしそうすると西欧人の言う松島は何なのか?これは存在しない島なのだとわからなかった。
   そこで単に情報無しと報告した。
   
   そういった状況下で1877年、島根県は「竹島鬱陵島)−松島(竹島)」が版図内かどうか政府に問い合わせた。
   明治政府は「竹島他一島」は版図外だと回答した。
   「他一島」は竹島のことなのか?日本側では「他一島」はそもそも松島ではないと主張する人もいる。
   だが漏れには文章の運びから、韓国側の言うとおり他一島=竹島に見える。
   島根県の問い合わせが竹島と松島の帰属なのだから、回答するのもこの2島についてと考えるのが自然だろう。
   だいたい「他一島あり、松島という」という文があって、アルゴノート島など架空の島に関する記述がないままに、
   「日本海竹島外一島ヲ版圖外ト定ム」と言っているのだし。
   だがだからといって明治政府が現在の竹島を版図外と言ったわけではない。
   明治政府は松島を佐田が報告した詳細不明の鬱陵島の隣島のことだと思いこんでいるのだ。
   日本右翼がいうように1877年段階で日本領認識があったのなら、1905年に宣言するまで放っておくのは変である。
   韓国側が言うように日露戦争の影響もあっただろう。
   だからその意味では韓国側主張を認めても良いが、じゃあ韓国領だという根拠はあるのかという話である。
   
「1877年に明治政府は「竹島」を現在の竹島とは別の島と勘違いして日本領ではないと島根県に答えた」
これが正確な言い方だ。
    

■パク・イルのウソ その2

「1905年竹島島根県編入される前の1877年、日本政府の太政官布告竹島は韓国の領土であると明言している」
   
反論〜内務省が1877年3月20日に出した通達で、鬱陵島(当時竹島)とほか一島が朝鮮の領土であることが明記されている。韓国は、ここに載っている、「竹島外一島」の"外一島"を竹島(獨島)であると主張しているが、その論拠となる明確な証拠は無い。
    
シーボルトの描いた日本地図が島名の混乱の原因である。江戸時代から日本は韓国の鬱陵島竹島(竹が取れる)といい、現在の竹島(韓国名で独島)を松島といっていた。この頃韓国周辺の明確な地図もなく、18世紀末イギリス、フランスが行った不正確な測量が鬱陵島を2つの島にしたが、19世紀半ばロシアが、鬱陵島の位置を正く測量をし直した。
       
シーボルトは、日本の文献や地図に、隠岐島朝鮮半島との間に、日本寄りに松島、朝鮮寄りに竹島、という二つの島があることを知った。
一方で、ヨーロッパの地図では、日本寄りにダジュレー島、朝鮮寄りにアルゴノート島が描かれていることから、ダジュレー島を松島に、アルゴノート島を竹島にし、それを彼の日本地図に記入した。
    
これが、従来は竹島と呼ばれていた欝陵島が、松島と呼ばれる誤りの発端である。
     
1870年に、外務省出仕の佐田白芽が竹島・松島、朝鮮付属に相成り候(そうろう)始末」とした2つの島は、存在しないArgonaut(竹島)とDagelet(松島=ここでは鬱陵島)のことであり、現在の竹島(旧・松島、Liancourt Rock、Hornet)のことではないのである。5年後に同氏が発刊した『改訂新鐫朝鮮全図』を見ても、現在の竹島が朝鮮の版図に入っていない事から明らかである。 西欧の地図によって混乱する以前の日本の地図には、竹島の位置や大きさ等が正確かつ詳細に書かれている。
             
大韓地誌は玄菜(1886 - 1925)という歴史家兼書道家によって編纂された地理書で、大韓帝国の学校でも使われたことがある。本の中で、大韓帝国の東西は「東経124度35分から東経130度35分」としている。竹島はその行政区の外、131度55分に在る。またこの本には大韓全図という付属図がついている(地図には経緯線が書かれているが、経線は中国の北京を基準とする偏東度数を基礎としている)。韓国は、この図に書かれてある于山島こそ現在の獨島であるとしているが、緯度や経度を見れば、この于山島はチュクドであることが分かる。
        
竹島島根県編入 in 1905
             
日本は1905年1月28日の閣議において、江戸時代には松島と呼ばれていた島を正式に竹島命名し、島根県隠岐島司の所管する旨を決定し、島根県知事は同年2月22日付の島根県告示第40号をもってその内容を公示した。翌年の1906年4月8日、島根県隠岐島の一行が鬱陵島を訪れ、鬱陵郡の郡守・沈興澤に「竹島が日本領になり、その視察の序(つい)でに鬱陵島を訪れた」と来意を告げた。
                   
日本の竹島領有宣言
「他国に於て之を占領したりと認むべき形跡無く、一昨三十六年、本邦人中井養三郎なる者に於て漁舎を構え人夫を移し、漁具を備えて海驢猟に着手し、今回領土編入並に貸下を出願せし所、此際所属及び島名を確定するの必要あるを以て該島を竹島と名け、自今、島根県所属隠岐司の所管と為さんとすと謂ふに在り。依て審査するに、明治三十六年以来、中井養三郎なる者該島に移住し漁業に従事せることは、関係書類に依り明なる所なれば国際法上占領の事実あるものと認め、之を本邦所属とし、島根県所属隠岐島司の所管と為し差支無之儀と思考す。依て請議の通り、閣議決定相成可然と認む」
  
ここに混乱していた竹島の領有を明らかにしたのである。
          
http://blog.livedoor.jp/wildhorse38/