クーンローブ商会とモルガン財閥

    
ロスチャイルド派>
ザ・グループ(シフ・ウォーバーグ・グッケンハイム・メイヤー)
クーン・ローブ商会
ハリマン財閥
   
<ロックフェラー派>
モルガン財閥
小村寿太郎
   
<スカルアンドボーンズ>
   
ロシア革命
ナチス運動
日露戦争
満洲開発
    

ナチ党への活動資金援助の筆頭はユダヤ系ドイツ人のオッペンハイマー男爵、それにアメリ連邦準備制度理事会FRB)の議長ポール・ウォーバーグを兄弟にもつユダヤ人銀行家のマックス・ウォーバーグら。ヒトラーは彼らからの最初の献金(100万マルク)で買った制服に身を包んだ突撃隊を組織した。

別資料によれば、ヒトラーに100万マルクの政治献金をしたユダヤ人マックス・ウォーバーグは元ドイツ皇帝ウィルヘルム2世直属の秘密諜報員。
マックスはロシアのトロツキーに50万ドルの政治資金を提供している。そしてこのマックスの従兄弟にあたるフェリックス・ウォーバーグは、レーニンを封印列車に乗せてロシア革命を支援したドイツ国防軍情報部長官だった。

さらにウォーバーグ家は、フランクフルトのゲットー時代からロスチャイルド家およびシフ家、バルーク家とは類縁関係にある。
しかもポールは、ロックフェラー家、ルーズヴェルト家とも結ばれていて、後年フランクリン・ルーズヴェルトを大統領に仕立てあげるために一役かっている。

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開拓時代の清教徒たちは、ホリマンズとかロックフェラーとかいう類の金貸しは信用しなかったし、ユダヤ人となると鼻も引っかけなかったものだ。

ところが前掲のサットンによれば、やがてユダヤ系秘密結社や商人の背後にイギリス本国のスポンサーが付いた。
19世紀に至って、ロスチャイルド家がかのセシル・ローズ財団に付いたのがその典型的な例で、この連帯関係をサットンは「ザ・グループ」と名付けている。

この「ザ・グループ」こそが、当時の大英帝国外務省やSIS(英国秘密情報局)と呼ばれた情報局の活躍母体を成していたのである。

「ザ・グループ」は、ニューヨークに本拠を置くユダヤ投資銀行を介して、アメリカのマスコミにもつながっている。
ただし、この「ザ・グループ」の権益を代表する伝統的なニューイングランドのファミリーとの付き合いを許されているのは、数ある投資銀行の中でも

シフ系、
ウォーバーグ系、
グッケンハイム系、
メイヤー系

の4系統に限られている。

シフ系の場合は、1903年から1904年の日露戦争時代に、配下のクーン・ローブ投資銀行を介して日本政府債を引き受けることにより、「ザ・グループ」の政策実行の一翼を担ったことがある。

メイヤー系の投資銀行であるラザール・フレールはワシントン・ポスト紙と雑誌ニューズウィーク社を所有し、かつその経営にあたっている。

その後、これら投資銀行の役割は、主としてかのユダヤ名誉毀損防止連盟(ADL)によって肩代りされたが、現在のブッシュ政権の政策に関与しているのも、ADLの一味である。

一方、新世代のユダヤ系金融資本家とスカル・アンド・ボーンズの間にある確執が、アメリカの行方に大きな意義を持ってきている。

http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060107

これらが契機となり日露戦争が勃発するのであるが、当時の日本は戦費を賄う資金が欠乏していた。日銀の副総裁高橋是清はロンドンにゆき、外債を募集し、シティーより500万ポンド、ドイツ系ユダヤ人のジェイコブ・シフが代表であるクーン・ローブ・グループ(現在の米国シティーグループやエクイタブル生命から成る/ブッシュ家もこの系統)より500万ポンドの計1,000万ポンドを調達した。

ジェイコブ・シフが日本を援護した背景には

帝政ロシアユダヤ人を迫害していたためロシアに敵対意識があった。
②クーン・ローブ・グループのユニオンパシフィック鉄道の鉄道王エドワード・ハリマンと共に、ユーラシア横断鉄道計画に基ずく世界制覇の野望があった。

という2つの理由があったと言われている。

一方、日露戦争講和調停にあったセオドア・ルーズベルト大統領も、JPモルガングループやクーン・ローブ・グループに配慮し、旧満州の鉄道権益に割込もうとする意図が最初からあったとされている。

激戦の末に日露戦争に勝利した日本は旧満州南満州鉄道の権益等を得たが、1905年8月にクーン・ローブ・グループを代表してエドワード・ハリマンが来日し、桂首相を含む日本の主要閣僚や元老とも会い、天皇にも拝謁した。日本側は日本勝利の恩人に感謝したのである。

http://216.239.51.104/search?q=cache:T8m76_hYUBAJ:blogs.yahoo.co.jp/novelist07/19108798.html+%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%9E%E3%83%B3&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=10

J・P・モルガンはファースト・ナショナル・バンク・オブ・ニューヨークとミューチュアル生命と再建シンジケートを組んで、倒産したリッチモンド・ターミナル鉄道を契機に、エリー鉄道、フィラデルフィア・アンド・レディング鉄道、ノーザン・パシフィック鉄道などの救済に乗り出し、再建が成立したときには、経営陣に人を送り込むことで人的結合をはかり、取引銀行として金融面を取り仕切る体制を確立していく。
     
そしてモルガンの触手は鉄鋼業全体に拡大し、1898年にフェデラル・スティールを設立、そして徹底抗戦するかに見えたカーネギー・スティールをも飲み込んで、1901年にU・S・スティールを設立させる。    
このモルガン・グループに対抗して結成されたのがドイツ系ユダヤ人のジェイコブ・シフに率いられたクーン・ローブ、ナショナル・シティ・バンク・オブ・ニューヨーク(現在のシティーグループ)、エクィタブル生命からなるクーン・ローブ・グループである。
    
1893年にはポール・ニューマンロバート・レッドフォードが主演した「明日に向かって撃て!」に登場したユニオン・パシフィック鉄道が破産状態に陥った直後に、モルガンが再建を試みて失敗したことから、クーン・ローブにチャンスが回ってきたのである。
      
ユニオン・パシフィックの再建に成功したクーン・ローブ・グループは15名からなるユニオン・パシフィック取締役会にジェイコブ・シフ本人も含めた5名を送り込み、実質経営権を掌握する。この時にユニオン・パシフィックのハリマン家とクーン・ローブとの協力関係が構築される。このクーン・ローブ・グループは当時最強のペンシルベニア鉄道に対しても、バルチモア・オハイオ鉄道統合をきっかけに、関係を深めていくことになる。
     
■鉄道に関わるトラウマと日米今昔物語
     
このクーン・ローブ・グループは、モルガン家に敵愾心を抱くエスタブリッシュメント・ファミリーを結束させることになる。ナショナル・シティ・バンク・オブ・ニューヨークを通じて合流したのがスタンダード石油のロックフェラー家である。
    
また、拙著『最新アメリカの政治地図』(講談社新書)で描いたように、イエール大学の名門クラブとして知られるスカル・アンド・ボーンズでハリマン家のW・アヴレル・ハリマンと出会い、その縁でハリマン家の投資銀行W・A・ハリマンと後のブラウン・ブラザーズ・ハリマンのパートナーに迎えられ、基盤を築いたのがプレスコット・ブッシュ、つまり、現ブッシュ大統領の祖父である。ハリマン家に見出されたのがブッシュ家であった。
    
そして、これも『最新アメリカの政治地図』に記したが、チェイニー副大統領はかつてハリマン家とクーン・ローブ・グループが支配したユニオン・パシフィックの社外取締役を務めていた。
     
J・P・モルガン・グループの攻勢によって一時は衰退したかに見えたクーン・ローブ・グループが、ブッシュ政権そのものとなって、ハリマン家のユニオン・パシフィック鉄道の延長上に群がるかのように蘇っていたのである。
     
(中略)
      
J・P・モルガン・グループクーン・ローブ・グループの二大勢力の鉄道をめぐるなわばり争いは米国内にとどまらず、欧州列強に対抗すべく世界へと向けられていく。
その渦中に日本も巻き込まれ、トラウマの源としての事件が起こる。それがハリマン事件であった。
      
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このポーツマス平和交渉の最中、明治38年8月31日に米国ユニオン太平洋鉄道会社および太平洋郵船会社のオーナーのE・H・ハリマンが家族と共にサイベリア号で横浜に着きました。
ハリマンの観光は隠れ蓑で目的はビジネスです。
前述の様に日本は外債8億円を調達しなければならない。
ハリマンは当時大規模なファンドを組閣する力がありました。
日本は日銀副総裁の高橋是清が調達担当です。
資金集めはロンドンでしたが、実はハリマンはすごい提案を持っていました。
是清は一回目は1億弱、二回目は1億強、三回目は奉天開戦前になんとか3億クローズします。
そして四回目は日本海海戦後でやはり3億円の目標! とんでもなく大変な資金調達計画です。
それでもスレスレで何とか調達を完了しますが、この計画は賠償金が取れた場合のキャッシュ・フローなんです。
「もし」賠償金が取れないことを考慮すると「繋ぎ資金」のキャッシュが必要です。
どうしても手当てしておかないと、キャッシュがショートします。
これは国家的な問題です。
その繋ぎ資金は「2億」です。
しかし、借りまくった日本に申し出は期待できませんでした。
それを見込んでハリマンがカードを出します。
このカードと引き換えに彼は「1億円」のキャッシュを用意しました。
日本のトップは大喜びです。
何でもいいです。
出してくれるなら。
カードの内容は寿太郎がポーツマス平和交渉でただ一つ勝ち取った所謂「満州鉄道(南満州鉄道日米共同経営についての契約)」の利権です。
ハリマンのこの「ジョイント・ベンチャーの提案」はとても魅力的でした。
ですから提案を「のむ」方向で覚書が準備されつつありました。
     
http://216.239.51.104/search?q=cache:j4-YKHi5hLUJ:www.brainsellers.com/cuttysark/2005/10/post_159.html+%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%9E%E3%83%B3&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=28

小村がそうした強硬な発言ができたかげには、満鉄の自主経営を可能にする資金の手当がモルガン系銀行によって保証されていたからであるが、ともあれハリマンは船がまだサンフランシスコへ着くまえに、予備協定破棄を電報で知らされる。
URL:http://www.c20.jp/text/sr_mac2k.html