終わりなき中韓「反日」ナショナリズム

古田先生の憂鬱そうな顔が目に浮かぶ。。。
古田先生は韓国をよく知っているが故に、心情的アジア主義者であるがゆえに、憂鬱になるのだろう。東アジアの独特の困難を思って。
東アジア版のEUを!とサヨクは言う。しかしそのためには欧州のような水平統合の求心力が必要だ。欧州の求心力はクリスチャニズムだ。天上のキリストのもとでの世俗国家の水平統合。しかし聖俗一致の東アジアにはそのような核がない。地上の天子は垂直統合を志向する。ニッポンサヨクはクリスチャニズムの代わりに「反日ドグマ」(日本は過去の侵略を反省し被害国家群に従属すべきである)を据えたいと思っているだろうが、それはまさに中華秩序そのものだ。

最近の僕は人間性についての悲観論、人間は地勢と歴史に制約されるという考えに傾いている。「民族」は1000年の窯変で醸成されるという。中華思想というバルネラブルな精神勝利法を中朝韓が克服する日は来るのだろうか?


■終わりなき中韓反日ナショナリズム
筆:古田博司
誌:『諸君!』2005年07月号
  
変わらぬ中華思想、繰り返すナショナリズム
  
二十一世紀に入ってから、中国のナショナリズムは日本を仮想敵とし、一貫して目に見える盛り上がりを示している。
(略)
これらの現象を見る限りでは、「官民一体の反日行動」はすでに明白であり、官民どちらが主だというわけではなく、中国人全体が反日の主体なのだと考えた方がよさそうである。このような反日行動が顕在化するたびに、日本人の反応は理解不能の不気味さやとまどい、戦時中の反省がいまだ足りないのでは、という贖罪感に二分されるであろうが、実はこれらの行動は彼らの側の根本的な世界認識の方法である中華思想と不可分なものなのであり、日本がいかに対応するかには関わりなく、永遠になくならないものだと覚悟する必要がある。
東アジアは儒教文化を分有してきたといわれているが、古来、儒教の何を誇ってきたかといえば「礼」というものなのである。「礼」とは、日本でいうお辞儀やお礼のことではなく、彼らが道徳的と見なす行儀作法や行動規範のことを指している。たとえば、儒教では火葬してはならない。でも日本人はする。同じ氏族では結婚してはならない。でも日本人はイトコ婚をする。男女の混浴などもってのほかだが、日本の温泉には平然と混浴と書いてあるし、江戸時代には銭湯まで混浴だった。このような「礼」外れは、日本人の道徳性の欠如を示すものであり、ゆえに「東夷倭人」(東の野蛮な日本人)と言われてきたのである。
そこで道徳的に優位に立つと考える彼らは、日本に対しては何を言っても、何をやってもいいという志向性を本来的に持っている。これを道徳とは区別して「道徳志向性」と呼んでおこう。「道徳志向性」さえあれば、これを武器にして逆に日本を押さえ込み、領土問題や天然資源問題を自己に有利に展開することができる。靖国参拝問題は一枚皮を剥けば、彼らの祖先を害した者を祀った社に関する典礼問題であり、歴史教科書問題は彼らの正当性・道徳性を記述した「正史」に対する東夷の非礼であり、国連安保理常任理事国入り問題は「中華」と比肩しようとする無礼なる夷狄の、小賢しきふるまいとでも言えるであろうか。
そしてこの中華思想の上に近代ナショナリズムが載り、二重構造となっているので、話は更に厄介なのである。古層の中華思想が上層のナショナリズムと共振しあい、「打倒小日本」「愛国無罪」のかけ声となって噴出する。その意は、大中華から見て野蛮な小日本を打ち懲らす愛国的ナショナリズムならば何をやってもかまいません、ということなのである。
(略)
  
民族主義ナショナリズムで赤化する韓国
  
(略)
  
「道徳志向性」の絶え間なき突き上げ
  
(略)
すでに述べたように、韓国のナショナリズムは国家のナショナリズムから民族のナショナリズムへと移行し、反日は反米へとその力点を変えている。しかし、反日は終わらない。一度さめたスープを何度も火にかけるような行為が繰り返されるのはなぜであろうか。それはナショナリズムの根底から、道徳的に劣った日本人には道徳を教えてやらなければならないという「道徳志向性」が絶えず突き上げてくるからである。三月上旬、彼らは六十人あまりの在韓日本人妻を集め、チマチョゴリを着せ、千人あまりの韓国人の前で日本の竹島領有権主張に対する懺悔文を朗読させ、土下座を強要するという愚行まで行った。すなわち道徳志向性とは道徳性のことではない。はじめから自らを道徳的優位にあると措定し、他者が非道徳であることを強制し、封じ込めようとする戦術のことをいうのである。この古層に伝統の中華思想があることはいうまでもない。したがって、中華思想を外さない限り、反日は永遠に続くのである。
(略)
  
終わりなき「反日」と戦い抜く
  
(略)
東アジア地域は過去も、現在も、未来も多くの不協和音を抱えていることは誰の目にも明らかだが、その不協和音の最たる原因は、日本の朝鮮半島に対する植民地政策や、中国に対する侵略戦争の歴史であると長いあいだ信じられ、日本の彼らに対する絶えざる贖罪がこの地域の和解と協調に貢献するのだという結論が、これまである倫理性を帯びて、導かれつづけてきた。しかし今、われわれはようやくその論理の未熟であることに気づき始めている。東アジアの不協和音は、むしろ彼らの側からくるナショナリズムの調べなのであり、譜面は何世紀にもわたって書きかえられることのなかった中華思想の楽章を記している。その音色は当初のかそけきものから、次第に大音量を上げ、われわれの和解も協調も贖罪の声もかき消すものとなりつつある。道徳志向性の指揮棒がふられ、永遠の反日が唱えられ、われわれが近現代に築きあげてきた国際的遵法精神も、実証的歴史研究も、合理的な思考さえことごとく踏みにじられ、同胞は頬を打たれ、謝った彼らの「正史」を押しつけられ、子孫が先祖を祀ることさえ「典礼」にかなわぬと一喝され、戦後六十年間営々と積み重ねてきた平和の実績は、島を奪い海を奪う核兵器保有者たちによって逆に「軍国主義」のレッテルを貼られる。そのような理不尽に気づかぬとすれば、もはや「良心的知識人」は、良心的たり得ないであろう。
今われわれには、終わりなき「反日」と戦い抜くべき時が来ている。

追記)
ところで中華思想ということで言えば欧州だって「ローマ皇帝」を巡ってバトルが繰り返されていた。フランス・ドイツ・ロシア・エトセトラ。でも結局ローマ皇帝バチカンが引き継いだのだ。したがってフランスが核となり分派のドイツが付き従い、ロシアは袖にされる。トルコなんてもってのほかてことなんだろうね。

しかし、いくら希代の天才とはいえ、成り上がり者のナポレオンが「皇帝」になることによって、古代ローマ帝国以来、一種の「神聖な存在」として継承されてきた「ヨーロッパにおける唯一の存在」としての「皇帝」が一挙に相対化されてしまったことは否めない。ナポレオンの皇帝即位語は、オーストリア皇帝・ロシア皇帝といったように、複数の皇帝が乱立することになった。私は、このことが欧州における「近代」の始まりだと思う。例えば、1864年には、名門ハプスブルク家の血を引くマクシミリアン大公が、新大陸で「メキシコ皇帝」になった。当時、中南米の新興地域には「ブラジル帝国」や「メキシコ帝国」といったものが次々と僭称され、片っ端から「皇帝」が存在したのである。また、ナポレオン3世に勝利して(オーストリアを除く)ドイツ語圏を統一したプロイセン国王ヴィルヘルム1世は、宿敵フランスを破った象徴として、ヴェルサイユ宮殿戴冠式を挙げ、ドイツ帝国を成立させた。これが、いわゆるヨーロッパにおける「皇帝の歴史」である。

TITLE:「皇帝」と「近代」の不思議な関係
URL:http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r12-206.htm