第二次日韓歴史共同研究

   
漏れの大好きな古田先生。
客観的歴史という概念のない韓国人学者に相当イヤな想いをされたらしいが、正直想定内だったでしょう。
イヤな想いをするのを分かっていながら敢えて要請を受け正面から正論を述べる姿勢に韓国への愛を感じる。
日本のヘタレ学者は業界で生きてゆくために信じてもいない韓国人に阿った歴史観の妥協をする。
しかしそれこそが韓国人を馬鹿にしている証拠だ。
つくづく古田先生は立派だと思う。
  

この澄んだ眼!
 

アメリカ相手にはきっぱり書く鳥海さんがそんなヘタレだったとは・・・悲しいね
  

メンバー表
この段階でだいたい結論が見えちゃうところが凄いψ( `∇´ )ψ
   

【正論】筑波大学大学院教授・古田博司 国家の正統性確立に苦しむ韓国
2009.12.29 02:44
 
このニュースのトピックス:正論
 ≪発展の遅れた半島の李朝
 
 来年は日韓併合100周年にあたり、韓国の反日運動の盛り上がりが予想され、また日本の一部学者が同調する動きもある。以下、事実を指摘しておきたい。
 
 歴史上の朝鮮は、満州から半島へと廻る回廊の上に立つ、いわば回廊国家であった。
 
 大陸に清国を建てた、第1代ヌルハチと次代ホンタイジ年代記、『満文老档(まんぶんろうとう)』が当時の満州語で残されている。満州軍は清国建国前に朝鮮侵攻を行うが、奉天に集結した軍が朝鮮に南下し、京城を抜くまでにたった2週間しかかからない。半島の東側は険しい山岳だが、西側は何の要害もない野原だからである。もとより守り防ぐことのできない国であった。ゆえに侵略の報が入るや、王は海浜江華島へと逃げ去った。
 
 満州やモンゴル諸国から見ても、大陸の明朝と半島の李朝は兄弟国であった。明は白蓮(びゃくれん)教徒の明主が建てた国だったので明という。元朝に宗教反乱で立ち向かい、モンゴル人の放漫な紙幣濫発(らんぱつ)政策に対する反省から、当初は反商業的な国家として誕生した。同時期成立の李朝はこれを真似(まね)し、明がそれを捨てて発展していたころ、なおも反商業的であった。
 
 商店も筆屋と鍮器(ちゅうき)屋くらいしかなく、人々は市場と行商人に頼っていた。曲げ物の技術がなく、車輪も樽(たる)もない。物は背負子(しょいこ)に担いで人が運んだ。染料も顔料もないので、民間人は白衣、陶磁器は白磁だった。李朝は、いわば世界が中世期の頃に、古代国家として発生したインカ帝国に近い存在として特筆される。
 
 ≪日本の思い出にさいなまれ≫
 
 このような国を植民地とした近代日本から染料が入ると、白衣は柄入りで染められて「倭風」と称され、リヤカーが来ると車がなかったため、ハングルで「クルマ」と呼ばれて今日に至っている。日本植民地時代に朝鮮が年平均で3・7%の経済成長を遂げたことが韓国人研究者の実証研究でわかっており、もはや隠すべくもない。
 
 戦後、朝鮮は南北に分断されたが、韓国は38度線のおかげで史上初めて中国の勢力圏を逃れることができた。三方を海に囲まれ、北方には行けず、いわばこの国は島化したのである。他方、北朝鮮は中国の勢力圏に残りつづけた。
 
 韓国はアメリカによって解放され、北朝鮮は極東ソ連軍の連れてきた傀儡(かいらい)から国が始まる。独力で得た独立ではないため、国家の正統性がない。北朝鮮金日成満州で抗日していたので少しはあるが、日本軍が強すぎて朝鮮領内に入ることすらできなかった。北朝鮮金日成の抗日を誇張し、中国の勢力圏にある現況を表向き否定しなければならなかった。こうして主体思想が生まれる。一方、韓国は日本の思い出にさいなまれ続けることになった。韓国が国の正統性を確立するには、日韓併合条約を無効とし植民地時代を抹殺するか、民主制の成熟しかなかったのだが、後者は流産してしまう。
 
 2009年5月23日、前大統領の盧武鉉氏が自宅の裏山から飛び降り自殺をした。親族の収賄関与容疑で最高検察庁の事情聴取の最中だった。自殺の時点で盧氏は関与を認めたことになり、遺体は司法解剖に付され、親族の収賄の捜査が本格化するはずである。
 
 ≪負うべきものを放り出す≫
 
 ところが野党民主党最高検察庁による不正資金疑惑捜査が盧氏を死に追いやったとして李明博政権を批判し、政府は盧氏を国民葬とすることで盧氏支持者たちの反発をかわした。さらに検事総長を辞任させ、盧氏親族の捜査を打ち切った。遺体の司法解剖もついに行われなかった。これで李明博政権が国策捜査を認めたことになるから、今度は政府批判が始まり、政権は倒れるはずである。ところがこれもそうはならなかった。
 
 このように朝鮮の為政者は、いつも負うべきものを放(ほう)り出すのである。李朝の仁祖は満州軍に民衆を放り出した。1905年、第2次日韓協約の時、高宗は朝鮮の命運を5人の大臣たちに丸投げした。韓国初代大統領の李承晩氏は国民を棄てて亡命し、1997年の金融危機の際、金泳三氏はIMF国際通貨基金)に国を投げ出した。最後に盧武鉉李明博両氏が民主主義自体を放り出した。韓国人の意識構造の「恨(ハン)」とは、為政者に放り出された民衆の嘆きから始まるのである。
 
 さて、日韓両政府の支援により2007(平成19)年に始まった「第2期日韓歴史共同研究委員会」がこのほど終了した。筆者は今期から設けられた教科書小グループのチーフだったが、実に虚(むな)しい2年間を過ごした。論争好きな彼らに引きずられテーマ設定に1年間を要し、いざ共同研究が始まると、韓国の委員は4、5冊、多くて10冊の教科書資料しか読んでこなかった。「日本帝国主義」「右翼教科書」などという用語を使い、政争の観点しか持たない彼らを諄々(じゅんじゅん)と諭す以外にはなかったのである。さらに韓国側が名指しで人身攻撃を行っても、日本側委員長はわれわれ委員を守ることがなかった。私は「恨」を感じた。(ふるた ひろし)
http://sankei.jp.msn.com/photos/world/korea/091229/kor0912290245000-p1.htm

(『反日マスコミの真実2010』p126-129)
日韓歴史共同研究、教科書班チーフが分析する、報道されない韓国
嘘ばかりの韓国歴史教科書
朝鮮問題で偏向報道をする一部マスコミもそれを批判する側も、内ゲバをやっているだけである。本当に批判する相手は韓国にあることを見失ってはならない。
古田博司
筑波大学大学院人文社会科学研究科教授
 
抜け落ちた直接の批判
 
 最近、朝日新聞やNHKを始め、マスコミの東アジア関連の偏向報道に対する批判が、次第に高潮時を迎えつつあるように見受けられる。『別冊正論』の「朝日新聞・NHKの大罪」特集などは、その集大成であろう。
 しかし、日本人は他人の悪口をあからさまに言うことを表向き嫌うためだろうか、いつも抜け落ちているものがある。それは韓国・北朝鮮・中国に対する直接の批判であり、これがないため、偏向報道をする一部マスコミもそれを批判する側も、筆者には内ゲバをやっているようにしか見えないのである。
 たとえば、韓国に日本の歴史教科書が偏向していると批判される。そうしたならば正しいリアクションは、彼らの歴史教科書の偏向ぶりを再批判することであろう。ところがそれは、ついぞ行われたことがなかった。
 
韓国は東アジアの中心?
 
 試みに韓国の歴史教科書のひどさを、一部抜粋して御覧に入れよう。
「倭族は大概東北アジア系統の族属と南洋族そしてアイヌ族の雑種だった。彼らは一時代には今日の九州と本州西部にかけて部落諸国家を成していた。彼らのなかで特に大陸に近い部落に住む倭人三韓から文物を受け入れ、再びわ三国時代に至り、倭人は主に百済を通じ漢字と仏教と各種技術の同文物を受け入れた」(金サンギ・閔ソッコン著『人文系高等学校世界史』乙酉文化社、1974年)「一方、わが国の農業技術・漢字・暦法・仏教を日本に伝えてやったので、大和政権はこれを活用し、国家の体裁を整えていった。日本の文化は新石器時代からわが国と中国の影響を受けて成長した」(閔ソッコン・羅鐘一・尹セチョル著『高等学校世界史』教学社、1984年)「このような唐の統治制度はこの後中国歴代の王朝の模範となったのみならず、わが国をはじめとする東アジア諸国に大きな影響を及ぼした」(呉チャンフン・張チョングン・張ドゥホ・朴チャンソク著『高等学校 世界史』志学社、2003年初版、2007年二版)
 日本人は雑種であり、遅れた部族国家だったが、文化を教えてやったので国家の体裁を整えることができた、という歴史観である。2000年代にはいると、「わが国をはじめとする東アジア諸国」などと言うようになり、韓国は東アジアの中心にすり替わっていく。そしてこれらが日本から直輸入した、山川出版社の『詳説世界史』丸写しの規格に沿って述べられているのである。
 
これは自尊史観の幻想
 
 なんだ大したことないではないか、と思われる方は、おそらく既に彼らや日本の反日学者たちの教化宣伝に乗せられているのである。
 日本は古代で既に律令制が体系的に施行されていた国であり、百済新羅高句麗などでは、律令制が施行されたことが実証されない。日本は八世紀には『日本書紀』などの正史を持つが、朝鮮では遙か下った十二世紀からである。また、日本にあるような古典文学、『源氏物語』のようなものは一切無い。国風文化の部分が存在しないのである。従って、大部な古典、たとえば『万葉集』もなければ、『源氏物語絵巻』『信貴山縁起絵巻』『伴大納言絵巻』『鳥獣戯画』などの絵巻物すらない。
 朝鮮古典文学の研究者、野崎充彦によれば、李朝時代の小説二百二十五種についての分析では、朝鮮を背景とする作品はたったの七十一種だという。しかもそれは主人公が朝鮮出身であるものの数であり、物語の主たる舞台が朝鮮の特定地域であることを明示したものに限れば、わずか二十種に過ぎない。その数値が何を意味するのかといえば、野崎は朝鮮小説における朝鮮自体の「不在」だといっている。ではこれらの小説はどこを舞台とし、誰を主人公としているかといえば、それはシナ大陸であり、シナ人が主人公になっているのである。(野崎充彦「朝鮮時代の古典資料と芸人譚」染谷智幸・鄭炳説編『韓国の古典小説』2008年)。
 韓流の時代劇などは、韓国人が国風への憧憬やみがたく、自尊史観の果てに産み出した幻想にすぎない。
 朝鮮半島は古代からずっと中華文化圏にあり、かつ政治的にも中国の勢力圏内であった。中国から侵略軍が来れば王都は二週間で陥落してしまうのである。韓国は戦後、三十八度線のおかげで島化し、漸くその勢力圏を抜け出したのだが、他方その記憶も喪失してしまったものだろう。
 
一方的歴史観を押し付ける韓国
 
 韓国の歴史教科書のひどさは、韓国教育開発院に行って収蔵された教科書を見ればすぐに分かることである。しかしそれをする人が今までいなかった。日本の文部省にすらいなかった。別に自慢するわけではないが、日韓歴史共同研究委員会の教科書小グループの幹事だった古田が初めてである。そして六十冊も韓国の世界史教科書を通読し、それをパソコン入力した結果、著者はぎっくり腰になってしまった。
 こうして、日韓両政府の支援により二○○七年(平成一九年)に始まった「第二期日韓歴史共同研究委員会」漸く二○○九年十一月に終了した。しかしその内実は、共同研究とはほど遠いものである。論争好きな韓国人に引きずられテーマ設定に一年間を要し、いざ共同研究が始まると、彼らは四、五冊多くて十冊程度の教科書資料しか読んでこなかった。「日本帝国主義」「右翼教科書」などという語を用い、政争の観点しか持たない彼らを我々日本人側は諄々と諭す以外にはなかったのである。
 
お笑いとしか言いようがないやりとり
 
 あまりに馬鹿馬鹿しくてメモをとっておいたので、「お笑い日韓歴史共同研究委員会教科書班」と題して、二つほどご紹介しよう。
(一)李×煕委員「それでは、今日は、韓国の教科書検定制度について発表いたします」
山×委員「え、韓国に検定制度あるの?じゃ、『正しい歴史の認識』も複数あるんだ。国定だけかと思った」
 この発言で議場大混乱に陥る。すこし静まってから、
鄭×貞委員「韓国の教科書検定官には歴史観がない。日本の検定官には歴史観がある。日本こそ我々に『正しい歴史の認識』を強要しているのだ」(日本側大爆笑)
(二)韓国側、玄×哲委員の研究報告。扶桑社の教科書を取り上げ、いかに日本の歴史教科書が偏向しているかを力説する。
古田委員「日本の教科書を四冊しか使わないで、どうして日本の歴史認識を批判できるのですか」
韓国側、ザワザワとし出す。小声で、金×亭委員「もう少し使えよ」
玄×哲委員「この間、みんなで四冊でいいって決めたじゃないか」
 この部分、通訳無しなので、韓国語のできる委員が、できない何人かの委員の代わりに通訳する。
古田委員「結局、扶桑社の教科書をやっつけたいだけなのね」(日本側時間差で大爆笑)
 以上はノン・フィクションである。
 
批判する相手を見失うな
 
 韓国の歴史教科書も含め、彼の国の学者のレベルを何故これまで誰も批判してこなかったのだろうか。それは第一に、韓国語を自由に駆使できる研究者が日本に育っていなかったからである。第二に、事実を語ると、韓国研究の大学教授の下に大学院生が来なくなり、研究者自身の足下から人材が先細って行くからである。第三に、共同研究の無意味さが白日の下に晒されれば、研究費が入りにくくなり、自分の韓国研究の未来が見えにくくなるからであろう。
 それにもっと大きな根本原因がある。それは日本の韓国研究者の殆どが七○年代の韓国民主化運動から韓国に関心を持って研究を始めた草分けであり、中道左派であったため、韓国に何らかの贖罪感をもち、それを動機にこれまで研究を続けてきたからである。よって彼らは、韓国の学者たちをここまで甘やかして現況に至ったものと思われる。
 本題に返れば、このように我々は、我々を非難する相手の実像を知らず、非難されるがままに甘受し、いつも後手後手に回りながら、いつの間にか窮地に追い込まれたのである。韓国語の読めるものを官費で集め、たとえ韓国語が読めなくても、その近隣分野の学者を募って共同研究させることはできたはずである。しかしそれもしなかった。そして今に至るも日本人の間で内ゲバを繰り返している。
 日本の「従軍」慰安婦問題にしても然りであろう。韓国ニューライトの学者、李栄薫が『大韓民国の物語−韓国の「国史」教科書を書き換えよ』(永島広紀・佐賀大学准教授訳、二○○九年)において、朝鮮戦争時の韓国従軍慰安婦の存在を証している。ならば、この部分をさらに研究し世界に向けてもっと紹介すべきではないだろうか。だが、他者(他国)の悪口をあからさまに言うことを表向き嫌うという日本人の心性を克服しなければ、これも画餅かもしれない。

  
追記)
つうかさ、日韓和解のための歴史の直視とか騒いでいる連中って、日本人が韓国人の歴史観を丸呑みする以外に、韓国人が日本人の指摘する苦い真実を受け入れるってことをどこまで期待しているの?最初から一方通行で考えているんじゃない。なにしろ韓国人の歴史観反日史観だからね。外国を利用して自虐史観を修復しようって魂胆がミエミエなんだけど。
   
追記)
さてさて、「日韓友好」のために善意から歴史を歪曲誇張する好例が「朝鮮通信使」だね。
もうばかばかしくて見ていないNHK『日本と朝鮮半島の2000年』だけど、たまたま朝鮮通信使の回をながら聞きした。
仲尾宏という学者が出てきて「朝鮮人は高い文化をもって侵略的な日本人を教育しようとした」という主旨の発言をして皆が畏れ入って聞くという構成(笑)
仲尾先生は確かに朝鮮通信使の研究者ではあるが・・・
   

    
学生運動崩れの現役反戦活動家でもあるわけですね。
そういう人が語る朝鮮というのは全く美化された反日の裏返しなんです。
光陰両面とも客観的に見るなんてできないんです。
そういう学者をメインに据えられるのもNHK労組のお陰ですね。