経済コラムマガジンから

アクアデータ企画を営む荒井彰さんが発行。
http://adpweb.com/index.html
しかしHP作成を業務に掲げる割には一昔前の佇まい。せめてリンク切れは直したほうがいいのでは。
そして結構アンチもいるようで、原発でミソつけたらしい。
で、荒井さんが所属するのが丹羽塾。
日本経済再生政策提言フォーラム 丹羽春喜
http://homepage2.nifty.com/niwaharuki/
フォーラム代表は加瀬英明さん。。
経済論には賛成するものの、やはりセンスの無いHPと怪しいリンク先で信頼感を損ねていると思う。
 
財政破綻論=国債増発財政支出論には敵が多い。
破綻論は「わかりやすい」のに対して反破綻論は、荒井さんも書かれているが、まどろっこしい。
借金増えても破産しないというのは庶民の家計簿感覚に反している。
反破綻論者はこれを分かりやすく説得しなくてはならない。
 
(以下単純化した論理)
 
(1)政府の借金は借入と返済が廻っている分には中立。(金利は掛かるが貨幣価値は長期下落)
(2)政府の収入=民間からの資金吸収。政府の支出=民間への仕事の発注。
(3)増入・減出=景気悪化。減入・増出=景気好転。
(4)政府の行動と景気の変動にはタイムラグがある。
(5)増入・減出=(短期)財政好転(中期)景気悪化。減入・増出=(短期)財政悪化・(中期)景気好転。
(6)景気好転を目指すとして、問題は、(短期)財政悪化<(中期)景気好転、と言えるかどうか。
  
どうも反破綻論者は(6)の観点を飛ばしガチである。
日本は供給能力=稼ぐ力のある国なのである。
仕事があれば稼げるガタイの良いあんちゃんみたな国なのだ。
反破綻路者は、日本だから積極財政でよいのだ。ということを付言すべきだ。
そうじゃなかったら北朝鮮ギリシャも積極財政すりゃいいじゃないか?という話になる。
もちろんダメだ。なぜなら供給能力が無いからだ。供給能力が無いのに積極財政すればインフレになって終わりだ。
 

財政破綻のすすめ
http://adpweb.com/eco/eco690.html

(略)
経済学が数学を利用するのは分るが、彼等は数式に乗るよう経済現象を過度に単純化したり、非現実的な仮定を用いまた現実離れした前提条件を置いてモデルを構築し分析する。例えば「生産要素(生産設備・労働)は常に100%使われている」といったばかげた仮定を平気で用いたモデルで「財政支出による追加的な需要はハイパーインフレを招くだけ」という、絶対に有り得ない結論を導き出しこれを喧伝している。

彼等は得意の数学を駆使し精緻な分析を行うが、肝心の前提条件がボロボロであるため、現実離れした結果が出る。ところが一頃、ケインズ経済学への反発からか(ソ連の崩壊前後から)、この手の経済学者がノーベル経済学賞を受賞するケースが増え、彼等こそ経済学者の本流と勘違いされた。日本では彼等の一派が長らく「そのうち円や日本国債の暴落が起る」と主張している。ところが現実の経済の動きは全く逆に動いている。

しかし彼等は、現実の方が間違っていると言い訳を捜し回る。(多くの場合「国民の金融資産が大きいから破綻の時期が遅れているだけ」と苦しい弁明を行う。これを言い始めてどれだけの歳月が過ぎたのだ。)自分の経済モデルは正しいが、規制緩和が進んでいない現実経済の方が間違っていると言って逆ギレする新古典派(ニュークラシカル)のエコノミストと似ている。

彼等にとって現実の経済の動きより、自分達のモデルの正統性の方が大事なのであろう。とんでもないこの種の経済学者は、自分達のいい加減なモデルに合うよう社会の方を変えることを主張する。まさに「構造改革派」とは彼等のことである。

(略)
ここで小林教授の文章で最重要なキーワードである「財政破綻」の説明をする。教授は、増税財政支出削減は無理であり、結果的に足らない財源は国債を発行し、これを中央銀行(日銀)が買入れる他はないと結論付けている。そしてこの中央銀行国債を買う事態をまさに「財政破綻」と定義している。

つまり何てことはなく筆者達が主張しているセーニアリッジ政策を「財政破綻」と呼んでいるだけである。おそらく日銀による国債買入れだけでなく政府紙幣発行も「財政破綻」と言うのであろう。しかし日銀による国債買入れは毎月行われていることであり、日銀の国債保有残高は70兆円程度あると推定される。つまり日本は既に教授の言うところの「財政破綻」状態がずっと続いていると言える。

しかし一方の「財政破綻」(中央銀行による国債買入れ)の「経済厚生上のコスト」を測る計量モデルがないことを教授は指摘する。そして「財政再建増税財政支出削減による)と破綻のコストの比較考量が重要」と一つの結論を出している。

そしてもう一つの結論が「財政が破綻するとインフレや銀行危機誘発」ということである。ここでいう銀行危機誘発とは、中央銀行による国債買入れによって大幅なインフレが起り国債価格が下がり、つまり国債価格の暴落によって銀行の経営が危機に陥るという話である。

ここから小林教授の文章の中で明らかに事実と違う点を指摘する。まず「中央銀行による国債買入れによって大幅なインフレが起る」という箇所である。今日の日本のように大きなデフレギャップが存在する場合、中央銀行国債買入れによる追加的な需要増(財政支出の増加)があっても簡単には物価上昇は起らない。さらに今日の消費の構成は、需要が増えることによってむしろ価格が下がる物の割合が大きくなっている(電化製品や通信関連消費など)。

実際、日本で日銀が国債の買い切りオペを始めてからそれが原因で物価が上昇したという話は聞かない。むしろ財政支出を増加させるため、もっと大胆に国債を発行し日銀がそれを買入れるべきと筆者達は言っているのだ。またもちろん筆者達は、無制限に日銀の国債購入や政府紙幣の発行をしろと言っているのではない。国民が容認できる物価上昇の範囲内のセーニアリッジ政策である。

また「中央銀行による国債買入れによる大幅なインフレが国債の暴落を招き、国債保有している銀行の経営を危機に陥らせる」という表現がまことに奇妙と言いたい。中央銀行国債を買入れるのに、なぜ国債価格が暴落するのか明らかに矛盾している。極端な話、発行している国債の全てを買い切っても良いのである。

ただ文章の全体を通して面白いという部分がある(もっともそれがないのなら本誌でわざわざ取上げることはない)。前述のように「財政破綻」の「経済厚生上のコスト」を測る計量モデルがないことを教授が指摘している点である。小林教授は財政再建増税財政支出削減による)と「財政破綻」(中央銀行による国債買入れ)の経済厚生上のコストを測り、より厚生上のコストの小さい政策を選択すべきと述べている。

まさにこれこそ筆者が日頃主張していることである。セーニアリッジ政策によって有効需要が増え物価が上昇する可能性はあるが、これによってGDPが増え国民所得が増え消費が増える。一方、増税(消費税増税)や財政支出削減という財政再建政策なら確実に物価が上昇するが実質国民所得は減少する。両方とも同じ物価上昇が起ると想定されるが、筆者は明らかにセーニアリッジ政策(教授の言う財政破綻)の方が厚生上のコストは小さい(むしろコストはマイナスと思われる)と考える。

そして小林教授には是非ともこの研究を進めてもらいたい。ただ新古典派一般均衡モデルを使うのはやめてもらいたいものである。他にもっとましなモデルがあるであろう。

バーチャルな話
http://adpweb.com/eco/eco692.html

(略) 
世間には世界の経済の中心は既にアジアに移っていて、EUの金融・経済の混乱の影響は軽微という意見がある。しかしユーロの大幅な下落の影響は、世界中に波及し、おそらくこれが各国の通貨安競争を招くと思われる。増税による財政再建を進めようという日本の「円」は一番のターゲットとなりうる。財政再建政策を実行することは、ユーロについてはユーロ安要因、そして日本円に対しては円高要因になると筆者は見ている。

日本では、連日、民主党政権の「税と社会保障の一体改革」という話が話題になっている。増税を行って財政規律を回復しようという動きである。まさにドイツ主導で欧州が進めようとしているのと同じ政策である。

しかし不思議なことに日本の財政がどの程度悪いのかと言った根本の議論がほとんどなされない。政府の総債務残高がいつも問題にされているが、本当は総債務残高から政府が持っている膨大な外貨準備などの金融資産や公的年金の積立額を差引いたところの純債務額が問題のはずである。さらに10/1/25(第600号)「日本の財政構造」で取上げたように、日本の場合、日銀による国債の買い切りオペの残高もこれから差引く必要がある。筆者は、05/5/23(第390号)「ヴァーチャルなもの(その2)」で述べたように、日本政府の債務問題は「バーチャルなもの」の一つと考える。

しかしバーチャルなものだからと言って、これらを軽視しても良いという話ではない。歴史を振返ってみると、むしろ日本も世界もずっとこのバーチャルなものに振り回されてきた。日本も過去にバーチャルで虚構のようなスローガンに引張られ、大戦にのめり込んでいった。ところが戦後も物事の本質や根本を考えることを止め、「バーチャルなもの」を掲げこれを実現する事こそ「正義」と思い込む大バカ者が次々と現れる。彼等はよく「ネバーギブアップ」と唱える。

「バーチャルなもの」だったはずのものが稀に実現することがある。ロシアの共産主義革命や中国の文化大革命もその例ということになろう。しかし元々「バーチャルなもの」で虚構なのだか永続・発展するわけがない。人々の大きな犠牲を伴いながら、そのような体制は崩壊してきた。日本政府の債務問題も「バーチャルなもの」であり、これに対する財政再建運動が始まってから人々の不幸が大きくなり、むしろ日本の財政は悪くなった。

「バーチャルなもの」に取付かれやすい人がいる。物事を論理的、あるいは合理的に考えない人々に多い。彼等は科学性が欠落した思考を行い、また考えが元々論理的でないからどれだけ間違いを指摘されてもめげない。昔習った古い財政学の教科書が全てと思い込んでいる人々もその一種である。

彼等は日本の財政状態を世界中で最悪と決め付けるが、日本の国債の利回りが世界最低という事実については目をつぶる。また財政状態がそれほど酷い国の通貨が買われるはずがないのに、今年の日本経済のリスク要因の一つが円高懸念となっている。しかし彼等はその事については聞かないふりをする。また彼等は為替介入で誤魔化しておけば良いと目論んでいる。実際、昨年は7〜8兆円もの為替介入を行った日もあった。おそらく増税が実現する可能性が高くなるにつれ、前段で述べたように円高圧力は強まるものと筆者は見ている。

今日、日本の財政についての考え方で三つのグループに別れる。まず筆者達のように日本の財政には大きな問題はないという者は少数派であるが一つのグループといえる。我々は政府紙幣の発行という手段があり、またそれが無理としても日銀が国債を買えば良いと考える。

後の二つのグループは本当に日本の財政が悪いと思い込んでいる。一つのグループは純粋に財政再建には大きな増税が必要と考えている。おそらく20〜30%の消費税増税が必要と思っている。もう一つのグループは小さな政府を指向するグループであり、彼等は増税ではなく歳出のカットで財政を再建することを主張している。特にこのグループは、公務員の給与カットと議員の定数削減を唱えて増税派を牽制している。給与カットと議員の定数削減ぐらいではたいした歳出カットにはならないが、両者は空中戦を始めている。

筆者は、冷静な議論よりバーチャルなスローガンの方が強くて、人々により浸透しやすいことに注目する。増税派は、とにかく日本の財政が悪いことを強調しキャンペーンを行っている。もう一つの小さな政府を指向する構造改革派は、このデフレ経済でも安泰な公務員の存在をクローズアップし一般の人々を刺激する。たしかに両者の主張はともに単純で分りやすい。

筆者が、日本政府の巨額の債務残高は巨額の日本の過剰貯蓄の裏返しと話してもなかなか理解してもらえない。また過剰貯蓄によって大きな有効需要の不足が発生したため、これまで日本政府が財政赤字を増やし、また今日の円高を招くほど外需依存を大きくしてきたと説明しても頷く人は少数である。総じて筆者達の話はまどろっこしいのである。
(略)

12/1/16(693号)
過剰貯蓄による災い
http://adpweb.com/eco/eco693.html
(略)
筆者は、日本においては凍り付いたマネーサプライに見合う金額が丁度政府と地方の累積債務額になっているとずっと言ってきた。実際、日本の金融機関(銀行、生保、郵貯など)は、この凍り付いたマネーサプライで国債や地方債を買ってきたと言える。ところがいまだに頭のおかしいエコノミストは、日本の巨額の財政赤字は無駄な公共事業やバラマキ政策の結果と主張している。もし政府と地方が財政赤字を増やしてこなかったら、今頃日本経済は本当に破滅状態になっていたと筆者は思う。

筆者は、政府は過剰貯蓄に見合う債券を発行しそれを中央銀行などが購入して、これを財源に財政支出を増やすことを主張してきた。どうせ凍り付いたマネーサプライは簡単には溶け出さない。仮に民間の経済が回復し支障が生じるほどの物価上昇が見られたならば、その時にこの政策を縮小すれば良いのである。

資本主義経済はバブルが付き物

ドイツ主導のEUは、経済がデフレに陥っているのに、財政赤字GDPの3%に抑えるよう各国に強制しようとしている。何と無茶でばかげたことであろうかと筆者は思うが、EU首脳は本気でこれを進めるつもりである。そもそも3%という数字自体にも科学的根拠は全くない。

先週号で述べたように、本当にEU経済の活路は通貨安(ユーロやポンド)しかないと思われる。しかしECBは2ヶ月続けてきた利下げを今月は見送った。本当に通貨安を狙うなら利下げを実施すべきであったが、通貨安による物価上昇を恐れたのであろう。政策の全てが中途半端である。ただフランスなどの国債の格下げによってユーロ安は一段と進むと思われる。

一方でECBは金融緩和を続行している。低利で銀行に資金を流し、イタリアやスペインなどの高利の国債を買わせている(これによって国債の借換えも順調に進んでいる)。したがって銀行にはかなり大きな利鞘が発生している。この利益で銀行の不良債権の処理を進めさせるつもりなのであろう。

ただこれにはイタリアやスペインなどが財政破綻しないということが条件となる。ギリシャのように債務の大幅なカットを求められる事態に陥れば、欧州の銀行は本当に潰れる。筆者は何らかの密約(イタリアやスペインなどは財政破綻させない)でもあるのではと思っているが確信はない。昔、日本でも農林系金融機関の住専への融資について財務当局が保証するという約束があったが(念書があった)、結果的に反古(ほご)にされている。

資本主義経済はバブルが付き物である。しかし筆者は、バブル発生そのものが絶対悪とは考えない(今日のようなデフレ経済が続くよりずっとまし)。またバブルを発生させない経済成長を唱える人もいるかもしれないが、それは難しい事と考える。筆者は要するにバブル崩壊に対する正しい対処法さえ確立されれば良いと考える。
(略)
バブルが崩壊すると人々の関心は金融機関の不良債権に向く。またせいぜい債務者のバランスシートが傷ついていることに言及する程度である。したがって不良債権の処理さえ済み、時間が経てば経済は自然に回復すると人々は思っている。しかし一方で膨大な有効需要が失われていることに人々は思いが到らない。
 
バブル経済が崩壊したならば、政府が前面に出る他はないと筆者は考える。前段で述べたように、どうせ過剰貯蓄は凍り付いたマネーサプライとなって動くことがないのだから、大胆な財政政策を行えば良いのである。ところが人々はバーチャルな財政問題とインフレを気にして腰が引ける。バーチャルな政府の財政赤字の数字が気になるのなら、政府紙幣を発行したり国債中央銀行が購入すれば済む話である。
 
今回のユーロ圏のソブリンリスク騒動を見ていて分かったことは、人々が今日の経済を18世紀、19世紀の状態と勘違いしていることである。生産力が現在よりずっと乏しかった時代である。今日の経済では、追加的な需要があっても物価は簡単には上昇しない。
 
ところでドイツでは第一次世界大戦後にインフレが起り大幅な物価上昇を経験した。これがトラウマになっていて、特にドイツ人はインフレに対して異常な警戒心を持っている。しかし彼等は第一次世界大戦でドイツの生産設備が壊滅状態だったことを完全に忘れている。とにかくドイツ人というのは何事にもノイローゼに陥る性質を持っている。

世界的な金利低下
http://adpweb.com/eco/eco694.html
(略)
金融機関に資金が有り余っているのだから、中央銀行が単に国債や債券を買って金融緩和を行っても効果は薄い。もし本当に経済を立直すという決意があるのなら、この資金を財政支出に充てるべきである。しかしどの国でも財政が悪くなっているという事になっており、財政の無駄が真っ先に問題になっている。この状況で財政支出を増やすには、政治家に大きな勇気と決断力が必要となる。
(略)