陸軍登戸研究所の青春
- 作者: 新多昭二
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2004/02
- メディア: 文庫
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その抜粋が上掲の本なのだが、なぜか本では1940年頃から話が始まっており、それ以前の貴重な証言が省かれている。
穿った見方をすれば、戦後民主主義的戦争観に抵触する部分があったからではないか、と思われる。
特に、蒋介石がファシストであり、大々的に反日謀略宣伝をしており、その一つに南京大虐殺がある、ことをばらしたくだりである。
逆に731部隊のエピソードなど戦後の浅い知識で書かれているが、こちらは本に載っている。
ベットにあわせて足を切るとはこのことで、切られた部分こそ貴重な証言なのに!
http://homepage3.nifty.com/time-trek/else-net/ray2.html
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日本陸軍の殺人光線開発計画
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【プロローグ】
Prologue
【第一章 殺人光線開発の動機】
Motive of homicide ray development.
【第二章 怪力光線にあこがれた軍国科学少年奮闘記】
Struggle story of militarism boy who yeamed to marvelous ray.
2-1 アメリカも満州が欲しかった ?
Did United States want Manchuria?
2-2 アメリカから叔母さんが来た !
Auntie came from United States.
2-3 知るべからず … 2.26事件の謎
Conceal it! Mystery of 2.26 events.
2-4 ナチス極東軍蒋総統の大誤算
Miscalculation of Chiang, far east Nazi.
2-5 耳は世界へ!短波受信機完成
The ear ! All over the world.
2-6 ノモンハンの大きな日ソ豆戦争
Small war in Nomonghan.
2-7 第二次欧州大戦の奇々怪々!
Bizarre of the European War Ⅱ.
2-8 皇紀2600年! … 科学 vs 神話
Imperial year 2600! Science vs Myth.
2-9 新兵器!人道兵器研究会発足
Starting study group of humane arms.
2-10 忍び寄る太平洋戦争の足音…
Footstep of war … it approaches.
2-11 日米開戦!真珠湾を奇襲攻撃
The Pearl Harbor made a surprise attack!
The Japan-U.S. starting the war.
2-12 幽霊戦艦? HIRANUMA の怪!
HIRANUMA? … Ghost battle ship.
2-13 教育改革だ!ユーゲントに学べ
Educational reform! Learn to Jugent.
2-14 国民に知らされなかった分岐点
Turning point not told to the people.
2-15 ついに始まった!学徒戦時動員
It finaly started! Student mobilization.
2-16 この手で作った艦上攻撃機天山
I also made attack plane "Tenzan".
2-17 戦時科学研究要員の養成始まる
The science researcher's training started.
2-18 殺人光線だ!陸軍登戸研究所へ
Homicide ray! Now goto the army laboratory.
2-19 731部隊・中野学校・登戸研究所
731 force, Nakano agency, and Noborito lab.
2-20 しのび寄る特殊新型爆弾の恐怖
Fear of unknown new strong bombs.
2-21 幽霊のような街の中で幽霊を見た
The ghost was seen in the ghost like town.
2-22 原爆病で始まった戦後の我が闘争
Meinkampf started by atomic bomb disease.
2-23 人は素粒子?不確定な時流の中で
People become like the elementary particle?
in the age of the uncertainty.
【第三章 戦後の経済大発展をもたらした戦時の技術】
Many technologists during the war
brought great economic development postwar days.
3-1 焼跡に反撃の芽生え! 奇蹟の復興へ
Bud to counteroffensive from among ash!
The miraculous recovery started.
3-2 恐る恐る始まった平和攻勢への第一歩
First step of peace offensive
that started carefully.
(2010.7.31 更新)
3-3 "どん底" という名の "スタートライン"
Startline named "bottom"
(2010.11.22 更新)
3-4 戦いが終わったあとで吹いた "神風"
The divine wind "Kamikaze" blew after the war.
(2010.12.25 更新)
3-5 勝った!アメリカ中のビルを買いまくれ
It won! The building of United States
is bought and rolled up.
(準備中)
著作権的に躊躇うが特に貴重な証言を採録する。
漏れが10年掛かって辿りついた認識に完全に合致する。
ていうか、ほんとうにこの人当時こんなふうに思ったのかなあ?
妹尾河童の『少年H』がいかに戦後に媚びた後出しジャンケンの捏造だったかを思えば、ものすごいことだと思う。
731部隊の話をそのまま信じてしまうような著者がこう書いているのだから逆に説得力がある。
重要部を着色したら色だらけになっちゃったwww
【ナチス極東軍 『蒋総統』 の大失敗】
Miscalculation of Chiang, far east Nazi.
昭和十二年(1937)七月
びっくりするような事というものは、いつも立て続けに起きるものらしい。
北支の廬溝橋というところで日本軍と蒋介石軍が衝突したという。戦いが始まったらしいのだが、演習中の日本軍にとつぜん蒋介石の軍隊が射撃をしてきたという話だ。しかし蒋介石は日本軍のほうが先に撃ってきた、といっているらしい。
それにもっと不思議なのは、なぜそこに日本軍がいたのか、ということだ。北平の近くだから満州からは遠く離れている。支那という所はよその国で、戦って占領したところではない。
父に理由を訊くと、まあその辺が難しいところだ、という。そして蒋介石という人は日本の陸軍士官学校を出ているそうだから、もう話がさっぱりわからない。でも橋の上で撃ち合いになっただけだからすぐ収まるだろう。
学校で先生に訊いたら、ただの小競り合いだろう、それにあの辺には各国が居留民保護のために軍隊を駐留させている、という。そんなことより君の受験戦争のほうがもっと大事だよ、負けないように頑張りたまえといわれて話は終わった。
確かにそうかもしれんな … 受験の他にも、アマチュア無線に、テレビジョンに、英語に、そして怪力光線の研究だ … やりたいことが山ほどあるのである。
それに較べれば廬溝橋の事件なんて小さな話 … なのかどうかは未だわからない。
ちょうど七夕の日だったから覚えやすいのだが、9日には争いが大きくならないようにする、という方針に閣議で決まったと新聞に出た。蒋介石は日本軍側が先に発砲したといっているが、日本軍は演習のため空砲だったのだそうだ。攻撃されてから実弾に詰め替えたらしい。
11日に学校で先生からいろいろ説明があった。停戦協定を結んだが、蒋介石軍が協定に従わず攻撃してくるらしい、とのこと。そのあとなんども約束を破るので、近衛さんも困っているらしい。そして今日からこの事件のことを「北支事変」と呼ぶことに決まったそうだ。
支那と戦争になるのか、と訊くと、支那は現在一つの国にまとまっていないから、国と国との間の戦いということにはならないし宣戦布告も出せないから、事変といって事件の少し大きくなったものだそうだ。さてこれから一体どうなるのだろう?
昭和十二年(1937)八月
とうとう大きな戦争になったらしい。廬溝橋の事件のあと通州というところに避難していた日本人居留民の婦女子を、支那の保安隊が来て虐殺したというのだ。それがあまりにもむごたらしいものだったから日本人の誰もがみんな物凄く怒っている。7月29日の出来事だったが、これを機会に日本軍は総攻撃を開始した。
9日に蒋介石が上海で挑発行為に出たとのことだ。こんどは南に目を向けさせようということらしい。先生の話では、上海には蒋介石の強力な砦があるそうだ。アメリカの叔母さんに奨められて英語の一行日記を書いていたが、とても英語の勉強が追い付かない。日本語でさえ一行では収まらないほど、次から次へと事件が起きるのである。
叔母のいうには、簡単に一行で済ませれば飽きないし長続きする、あとでその一行を見て、いろんなことを思い出せるのだということだった。母は無理に英語でなくても、いまは日本語だけでもよかろうという。どうせ中学校に行けば嫌でも英語の勉強があるからというのだが、成る程と思う。
13日に上海事変が起こった。蒋介石軍が大部隊で上海を包囲しているという。新聞で見るかぎり、もうかなり本格的な戦争だが、日本軍は海軍の陸戦隊が戦っているらしい。上海に大きな租界をもっているイギリスとフランスは、蒋介石軍にあまり友好的ではないというが、どうしてだろう?
もうすぐ海軍の軍医をしている叔父が訊ねてくるらしいから、そのとき訊いてみよう。なんでもレントゲンの機械のことで、島津製作所に用があるから泊めてくれとのことだ。島津製作所はうちの近くなのである。
15日に蒋介石の国民政府の首都である南京に渡洋爆撃が開始された。新聞の写真を見ると、新しい魚雷型の爆撃機だ。九六式陸上攻撃機というらしい。17日、とうとう近衛内閣が不拡大方針を放棄したとのこと。
いよいよ戦争が始まるのだ!
イギリスとフランスは、もし蒋介石軍が一歩でも租界に入って来たらこちらも武力で対抗する、という声明を出したらしい。
昭和十二年(1937)九月
海軍の叔父が来た。さっそくいろいろ訊ねてみる。イギリスやフランスが蒋介石をあまり快く思っていないのは、ドイツとの関係からだそうだ。欧州大戦に敗れたドイツは戦後の経済的な建て直しの一つに支那との貿易に重点をおき、特に武器の輸出をしていた。その取り扱いや用兵術の指導のため軍事顧問団を派遣している。
だから蒋介石軍はナチスと同じ武器を持ち、服装もドイツと同じなのだそうだ。だからヒトラーが欧州で英仏相手に敵対的になるに及んで、英仏は蒋介石を快く思わなくなったらしい。
蒋介石が日本に対して強気なのはドイツが後ろ盾だと思っているからだそうだ。ドイツの軍事顧問団は上海にドイツ式の要塞まで作っている。だから日本軍と一戦交えて、北支から日本の勢力を一掃しようという計画のようだ、と叔父はいう。
でも、おかしいなあ? … ドイツは日本と防共協定を結んだばかりなのに …
父と叔父が盛んに情勢の分析をしている。蒋介石の軍事顧問はファルケンハウゼンというらしい。ファルケンハウゼンは大軍を上海の包囲に動員するのに反対しているらしい、と海軍の諜報機関は把握しているとのことだ。もし上海の要塞戦で蒋介石軍が敗れるようなことがあれば日本軍はそのまま南京まで突進して来るかもしれない、それはあまりにも危険だ、と説得しても蒋介石は強気一方だという。
蒋総統から見れば、日本はクーデター事件が起きるくらいに陸軍の中はガタガタで、しかも今は左寄りの近衛の内閣だ、日本を北支から追い出すのは今しかない、天皇や華族の政治家はソ聯を怖れているし、そのソ聯とは今回不可侵条約を締結したから日本に負ける筈がない、と思っているらしい、とのことだ。
しかしヒトラーは、蒋介石がソ聯と結んだので支那への応援をやめ、それ以後は日本と協調する、ということになったらしい。2.26事件のようなことがあったからといっても、日本は依然として強国のままなのを蒋さんは読み違えておるんじゃろうな、と叔父はいう。
それに海軍は、まだ世界のどこにもない巨大戦艦の建造をこの秋から呉で始めるのだそうだ。
叔父はこちらを向いて、誰にも言うんじゃないぞ、と念を押した。 … うん、言わない、言わない。
今月から「北支事変」は「支那事変」と名称が変わった。
昭和十二年(1937)十月
涼しくなったと思ったら、放課後に剣道の練習が始まった。
半月くらい経ったらだいぶ慣れ、続けさまに三人抜きをやるくらいは普通になった。あるとき突如、十人抜きができた。相手の頭の上を見ながら大上段に構え、まっすぐ振り下ろすようなふりをして咄嗟に横に払って胴を狙うのである。
先生は、あんまり感心せんぞ、と言いながら、掛かって来いと中段に構えた。これには参った。隙がないのである。じっとしているわけにもゆかないから、まともに面を打とうと思い切って踏み込んだら、先生は竹刀をびくとも動かさなかった。
竹刀はこちらの喉元に当たり、そのまま仰向けに倒れて床が後頭部をガツンと叩いた。先生は、人生もこれと同じだ、と謎を残したまま帰ってしまった。皆がこちらを向いて笑いながら帰り支度をしている。非常に格好のわるい夕べの中を、十人抜きが帳消しになった思いで帰路についた。
夜、寝付けないまま天井を眺めていると、蒋介石を思い出した。そうか … あまり天狗になると負けるのである。それに、卑怯な真似をしてはいけないなあ、としみじみ思う。
上海では激戦が続いている。飛行機は日本側が一方的に優勢で、それに "ワーッ" という日本軍の突撃の喊声を聞くと、あわてふためいて逃げるそうだ。ナチスドイツの軍服を着ただけで強くなれるわけがない。十分の一の兵力の日本軍にじりじりと追いつめられているらしい。その上、つぎつぎと日本軍の増援部隊が到着しているのだ。
先生はいつも、肩書きだけで偉くはなれんぞ、というが、同じことなのだろう。
翌朝のラジオで、先月から始まった帝国海軍の沿岸封鎖が功を奏して、蒋介石軍に武器や物資が届かなくなった、と報じている。
昭和十二年(1937)十一月
6日、日独伊防共協定が結ばれた。ちょうど一年前の日独防共協定にイタリアが仲間入りをさせて欲しい、と申し込んだのだそうだ。なんだか心強い気がする。まあ、味方は多いに越したことはない。
学校で日独伊三国のバッチが配られ、駅には三国協定弁当まで並んだ。でも、30銭はチト高いぞ。かけうどんなら4杯は食べられるのだ …
12日、とうとう日本軍が上海の周囲にある要塞群を完全制圧し、蒋介石軍は南京に向け敗走し始めたそうだ。これで上海は陥落したことになる、と先生は言った。
父は海軍の叔父から詳しいことを聞いているらしく、この要塞はゼークトラインといって、現在の蒋介石の軍事顧問であるファルケンハウゼンの前任者ゼークトが構築したものだそうだ。ゼークトとヒトラーはあまりしっくり行っていなかったらしい、とのことである。
ゼークトが作った要塞が、日独伊防共協定締結の一週間後に壊滅したことになる。なんだか不思議な気がする。
昭和十二年(1937)十二月
日本軍が南京に向けて殺到している。通州事件のことで日本中が大人から子供まで激怒しているから、早くメチャメチャにやっつけてほしい、とみんなが思っているのだ。このままではとうてい腹の虫がおさまらないのである。海軍も上海で事変前に大山海軍中尉が自動車で通行中にとつぜん支那の保安隊に襲撃され、機関銃の乱射を受けて惨殺されたから、もう腹わたが煮えくりかえっている。
7日、蒋介石がこっそり南京城を脱出したらしい、という話だ。9日、南京城に到着した日本軍が城を包囲して中の司令官に投降を勧告したが、決められた時間になっても返事がないので揚子江の軍艦が城内に艦砲射撃を繰り返しているとのこと。先生は授業そっちのけで戦況を皆に伝えている。
10日、いよいよ総攻撃が始まった。
13日、南京陥落! 夜に全国で戦勝の提灯行列が行われた。とうとう国民政府の首都を占領したのである。
呉の海軍軍医の叔父から、以前付き添いで看護をしたことのある某宮様の邸に来るよう命じられたので軍艦で横須賀に行くが、帰りは汽車で京都に立ち寄る、との知らせがあった。
宮中に大本営が設置されたが、前線の実態を収集しているとのこと。戦傷者は最前線で戦っていたので実状を知っている当事者だから、叔父がそれらの話しをまとめて報告するらしい。
いちばん実態の情報を求めて居られるのは陛下で、真相が把握できるように上海派遣軍の司令官には朝香宮鳩彦王が任命されたが、南京攻略の総司令官にもしたいということだったものの、その後どうなったかはまだわからん、とのことである。とにかくもうすぐわかることだ。
学校の校長が叔父の講演を熱望している、とのこと。ドイツを通じて和平交渉が進められたが、蒋介石が断わったらしい。朝日新聞によると住民が日本軍を大歓迎しているそうだ。それにはいろいろわけがあるらしい。
叔父が来た。展望車付きの白切符の一等車で来たそうだ。いいなあ … 一生に一度でいいから乗ってみたいと思う。でも金を出せば乗れるというものではない。宮様の邸を去るとき、菊のご紋章入りのもなかを頂いたが、あんまり腹が減ったので途中で食うてしもうた、とのこと。
さっそく戦況について聞いてみる。非常に短時間で南京まで進撃したのが不思議なのである。叔父は、それは簡単な話だ、といった。突撃すると突然敵が居なくなるらしいのだ。
「蒋介石軍には督戦隊というものがおっての、これはソ聯のマネをしたらしいんじゃが、逃げようとする兵を後ろから射殺するのだ。だから敵は兵力が激減する。なかには日本軍のほうが督戦隊より強そうだと思うと、やぶれかぶれで督戦隊のほうを攻撃して逃げようとするわけだ。だからこっちにとっては楽な戦いになる、というわけじゃな」 と叔父は笑った。
南京城に逃げ込んだものの、日本軍に城壁を突破されるとあわてて軍服を脱いで平服に着替える。しかし民間の服は所持していないから住民の家に押し入ってその着衣を奪う。食事も支給されていないので手当たり次第に略奪し、抵抗するものは皆殺しにする。そんなわけで日本軍が突入してみると現場は惨憺たる有様だったという。
だから路上にはヘルメットや軍服が散乱し、殺された住民の死体があちこちに転がっていたらしい。
そんな状況だから住民は日本軍がくるとみな大喜びをし、変装した蒋介石軍兵士や潜んでいる便衣隊の居場所を進んで教えたそうだ。そこで日本軍は一般住民には良民票を渡し、敗残兵は手当たり次第処刑した。軍服を脱いだら生きて捕虜になる資格はないから、便衣隊はすぐさま処刑すべし、という命令も出されたとのことである。
そして上海と南京の間は綺麗サッパリ、もう何もかもなくなっていたらしいという。これは『空室清野戦術』 といって、建物も畑の作物も焼き払って何も残らない状態にし、日本軍に利用されるのを防ぐ目的だったが、これもこちらにはプラスに作用し、潜んでいる敵兵の捜索などの面倒がないので素通りで突進することができた、とのことだ。
いったん負けいくさになると、何もかもが敵の利になってしまうのは古今東西の理なのだそうだ。そしてドイツだけは信用してはならん、海軍はドイツのやり方を百も承知でドイツと組むのに反対しているが、陸軍はドイツと同盟まで結ぼうという連中がいるから困る、と嘆いた。
驚いたのは 2.26事件のとき、この機に乗じて上海その他の日本租界を奇襲攻撃しよう、とドイツの軍事顧問のファルケンハウゼンと蒋介石が計画していたらしい。思いとどまったのは、たとえ今は日本の陸軍が混乱していても海軍には関係ないし、もし海軍陸戦隊が上陸してきたら危険だ。現在艦砲射撃に対応できる大型の火器はない、ということだったらしいとのこと。海軍にはいろんな機密情報が手に入っているらしい。
どうしてそこまでドイツは日本を敵視するのか訊ねてみると、ついこの間まで日独は敵同志だったのだ、南洋群島も青島もこの前の世界大戦で奪われて日本海軍の支配下にあるから、いつか取り返したいのかもしれん、とのことだ。とにかく商売上の利益が日本のためにダメにされてしまったのを取り戻したいらしいのである。
だからドイツを信用してはならんのじゃ、と叔父はいった。更に蒋介石の政府は狡猾で、南京の自軍の所業や『空室清野戦術』の結果の写真をそのまま日本軍の仕業のように見せかけて国際連盟に訴えたりするなど、宣伝活動を盛んにしているとのこと。
う〜ん … 自分が大人になるころには、何がどうなっているのだろう? やはりドイツと同盟を結ぶのだろうか。ラジオの科学小説の放送で、南京の上空から怪力光線を照射するという話があったが、あれはたしか昭和20年ころという設定だった。それが今現在、南京を占領している … 未来にはなにがあるのかわからないのである。
なんだかこれからいろんな国といろんなことがありそうで油断できないと思う。常にあらゆる国より優秀な武器を持っていないと、侮られたり攻撃されたりするのだ。
怪力光線 … か。とにかく強力な武器を作らないといけない。それには勉強しなければいけない … のだが、それがいちばんきらいなのである。
叔父は母の妹のつれあいなのだが、母方の一族は維新のあと呉鎮守府を建設した関係で海軍の軍人が多い。とつぜん思い出したように 「兄さん、南京渡洋爆撃隊の隊長は呉の出身じゃが、こういう人物を知っとりますか? 兄さんが京都に出る前に勤めていた吾妻町の小学校の出らしいんじゃが …」 と訊ねた。
父はその名前を聞いて 「え〜っ!」 と驚いた。教え子なのだそうだ。
「優秀な生徒を放課後に特別授業をしとったが、そのなかでも特に出来る子じゃった … 今から思えばな」 と感慨深げに逸話を語った。「勉強しなければならんものほど勉強をしないが、勉強をせんでもええものほど勉強をするんじゃのう …」 と最後にいった。
どうしてそうなるのかわからないが、これからは勉強することにしよう、と決めた。
昭和十三年(1938)一月
16日、近衛内閣が「爾後国民政府を対手とせず」という声明を出した。
これから蒋介石にかわって日本に協力する人々が南京に臨時政府をつくることになったらしい。町中に南京陥落の幟が翻っている。
蒋介石は重慶に遷都することにしたが、取り敢えず漢口に政府機能を移動させたから、日本軍はその漢口を攻略することになった。
漢口という所は揚子江の上流だから陸海の協同作戦になるらしい。武昌と漢陽そして漢口は、河を挟んで固まっているので武漢三鎮といい、各国の租界があるからとても美しいところだそうだ。先生が絵はがきを見せてくれたが、一生に一度は行ってみたいと思うようなところである。
揚子江から軍艦が、鉄道沿いには戦車が、やがてここを占領することになるのだろう。新聞によれば蒋介石軍の兵士は戦意を失ってただただ歩いているらしい。
突然、昨年描いた南京陥落の絵が入賞したぞ、先生がいった。府主催の展示会で発表されるとのことだ。ご褒美に小遣いをいつもの十倍頂けることになって、あとさき構わずラジオ屋に走った。ピカーッと銀色に輝く真空管が一本! その晩は枕元に置いて寝た。実は抱いて寝たかったのだが、寝返りで壊れるといけないのである。
さっそく岡崎公園の市立図書館に行き短波受信機の本を手当たり次第に読む。短波は世界中の放送が入るし、モールス信号も受信できるのだ。
昭和十三年(1938)二月
4日の新聞に、ドイツでヒトラーが国防軍の統帥権を掌握、国防軍を改組か、とある。蒋介石の軍事顧問団は解体して本国に召還されるとのことだ。とうとう蒋介石はドイツの援助を受けられなくなった。逆に日独同盟の模索が始まったそうだが、いろんなものがいろいろと変化するなかで、情報というものは本当に大切なものだなあ、とつくづく思う。
東京オリンピックも中止になり、あちこちのポスターが剥がされ、なんとなく寂しくなった。ドイツから徒歩で欧亜大陸を横断し、二年がかりで日本に着く予定で出発したニンゲルという人のことが新聞に出て、逃んげることのないようにみんなで暖かく迎えませう、とあったが、一番がっかりしたのはニンゲルさんだろうと思う。
昭和十三年(1938)四月
六年生になってこれで最高学年だ、と思ったとたん 「国民総動員法」 というものが公布された。この法律で、戦争に必要な人的・物的資源を国家が全面的に統制運用することが可能になる、とのこと。「非常時」 という言葉でいろんなことが片付けられてしまうような感じがする。
先生に 「一体どういうことなのか」 と訊いたら 「戦時体制」 だ、という。晩メシのとき父にそうなのかと訊いたら 「そうだ」 といった。同じ学校の先生なのだから同じ答えで当然だろうが、問題は戦時体制になったら自分たちはどうなるのかということがもう一つ判然としない点にある。
先月の 13日にヒトラーがオーストリアを併合したと思ったら、こんどは 28日には南京に新しく親日の中華民国維新政府が樹立した。なんだか日本とドイツが軸になって世界の情勢が急展開しているように思える昨今だ。
昭和十三年(1938)十月
21日、日本軍が広東を占領、27日には漢口も陥落した。地図に占領した箇所をまち針に小さな日の丸をつけたもので目印を付けるのだが、もう日の丸だらけだ。眺めながら、ああ日本人に生まれて良かったなあ … としみじみ思う。
漢口が陥落して蒋介石政府が重慶に遷ったので、帝国海軍機による本格的な重慶爆撃が大々的に始まることになった。
突然ラジオから火星人襲来のニュースが流れた。来たかっ! と思ったらアメリカのラジオで科学小説の放送をしたのを本気にした百万人を超える人々が大騒ぎをした、ということだ。
火星人の武器は怪力光線らしい。本当のことになる前に、地球人は協力して怪力光線を開発しなければならないと思うのだが、今は同士打ちの傾向にある。困ったものだ。
昭和十四年(1939)一月
4日、正月早々近衛内閣が総辞職し平沼騏一郎内閣になった。何のために近衛内閣が総辞職をしなければならなかったのか、平沼内閣になったら何がどうなるのかがさっぱりわからない。
先生は、支那事変が一段落する様子なので人心一新のつもりなのかもしれない、という。出征していた同級生の父親が戦傷で帰ってきたので話しを聞きに遊びに行った。足に流れ弾が当たって負傷したとのことだ。
おじさんは漢口追撃戦に携わったらしいが、山場の南京攻略戦が終わってからは双方に敵愾心がなくなってしまい、漢口の手前の山の上り道で敵軍に追い付いたものの、どちらも疲れ果ててしまって戦闘にはならなかったという。双方とも上の命令でただ歩いているだけという状況だったらしい。
向こうの方が余計に体力を消耗していたらしく、道の両側へみなへたりこんでいたとのこと。声をかけると投了々々というそうだ。広東も殆ど抵抗なしに占領したという。追い抜いて下の広場に辿り着きメシを食っていたら連中もやっと辿り着いて食事を始めた。そして水を貰いにくるものもいたそうだ。
日本兵は飯盒で飯を炊いて缶詰で食うが、連中はメリケン粉で団子を作って頬ばり、ナマの葱を囓っていたという。
これからはもう大きな戦闘はないのかもしれない。