日韓がタブーにする半島の歴史


    
なんだか久しぶりにリアル本屋に行ったが話題のこの本は売り切れていた・・・本当に売れているんだね。
オビにある『「文明は半島から来た」なんて大ウソ!古代史の常識がひっくり返る』というのは普通の人にとってはビックリなんでしょう。
その意味で新書で出るのはいいことだ。
(ちょっと偉そうだけど)漏れにとっては10年前に片付いた話なんだけど。。
 
この本を書いたのは時事通信の元ソウル特派員だった室谷克美さん。49年生まれの団塊世代
ちょうど定年になって以前から気になっていた日本の朝鮮史学会のヘタレぶりを書きたくなったらしい。
この本で主に述べられているのは、
 
新羅倭人がリードした国だった
・朝鮮神話の出自の怪しさ
・政治的理由でひどい歪曲がされる韓国史と追従する日本朝鮮史学会
 
といったところだろうか。
近現代史や中世史ではなくて主に伽耶新羅史を検証している。
主に依拠するのは『三国史記』『三国遺事』。
室屋さんは《超夢想的朝鮮民族絶対主義史観》それに正対応する《自虐日本史観》の信者に両著をちゃんと読んだ韓国人に一度も会ったことがないと嘆く。
ついでに日本人でも『騎馬民族国家』すら読んでる人がまれだと嘆いている。
ちなみに漏れは大昔にぜんぶ読んだもんね!(^_^)v
(ところで江上波夫さんについては以前にも書いたけれど、基本的には帝国日本の博物的地理学者だ。今西錦司とか梅棹忠夫とかと同質の人間だと思う。騎馬民族学説もちゃんと読むとどっちかっつうと日本人の祖先は遙かユーラシアから渡来したというロマンチックな日本人論で、サヨクが曲解したような自虐的な要素なんて全然ない。漏れ的にはユーラシア世界における日本という視角を提示しただけでも業績だと思うんだけどなあ。ただ発表された1948年というのは2.1ゼネストの翌年で中共建国の前年というやばい時代。32テーゼサヨクが喰いついたのはムリもない(笑)しかもシンポで発表しただけでちゃんと本にまとまったのは1967年。要するに長いこと真面目な研究というより政治的・ジャーナリスティックな話題として存在していたのだ)
 
で、漏れも何度も取り上げているけど、紀元前から朝鮮半島南部は倭人韓人その他流民の雑居地帯だったのだ。
このことが本書でもキッパリ書かれている。
でもなあ、こんなの洗脳から醒めた人にとっては常識なんだけどなあ。
状況が変わるのは楽浪郡(BC108-AD313)が出来てから。
とにかく古代朝鮮・日本史を考えるなら、楽浪郡を中心に考えなきゃダメぜったい!
で、楽浪郡漢人と通商することで徐々にクニらしきものができてくるのだ。
このとき大事なのは、朝鮮でいう3国は高句麗百済新羅ということになっているが、高句麗と半島南部はそもそも文化が違う。
本当は3国は百済伽耶新羅と捉えるべき。
で、この3国のどれにも倭人が混じっている。
倭人比率が高い順に並べると、弁韓辰韓馬韓となる。
弁韓任那ということで倭人倭国の一部として扱っていたし、辰韓は初期王家は倭人系だ。馬韓にも倭人豪族はたくさんいた。
まず、この構図が受け容れられないと話が進まない。
で、倭国伽耶任那金管伽耶を拠点に楽浪郡と通交していたのだ。
これ、重要。
つまり「"朝鮮人"に文化を教わった」わけじゃないけど「漢人に教わった」わけだね(笑)
    
もともと気候的な問題から稲作技術は倭のほうが進んでいたし、漢人技術者を招聘した製鉄業も倭のほうが進んでいたらしい。
というのも7世紀になっても七支刀は鋳造なのに倭では早くから鍛造刀なのだ。
2世紀には銅鏡を作る魏の高級技術者集団が日本に移住していた。
まあ季候が良くて食料が豊富、侵略の心配がなく人口が多ければ栄えるのも当然なんだが。
で、だからこそ任那支配は重要だった。
帯方郡との通交拠点として、また日本列島で鉄原料が発見される前の鉄原料の産地として。


 
問題はこの倭というのはヤマト国系ではなくナ国系だと思われること。
「漢委奴王」印をもらった倭国王はナ国系なんだな。
で、ナ国というのは海人国家で海路沿いに点々とある集落の連合体なのだ。
そのひとつが筑紫〜出雲〜多婆那の日本海ライン、もうひとつは瀬戸内海〜紀伊半島知多半島〜東海地方の太平洋ライン。
天皇家は九州の豪族から瀬戸内海ラインの支配権を握って倭国の有力者になったのだ。
ヤマトという国名は瀬戸内海ラインの入り口を「山の門」と読んだことに因んでいる。ヘラクレスの柱みたいな拠点だったんだろうね。
日本海ラインもヤマト系にとられて残るは知多半島以東の太平洋ラインのみというのがモモソヒメ(卑弥呼)時代の状況。
この東国グループを狗ナ国(狗奴国・狗那国)というわけ。
でも貿易ラインから切られちゃったのでひからびちゃう。
結局懐柔されたんだろう。大戦争して征服したんじゃないと思う。ヤマト版小田原攻め(笑)
でめでたく日本統一したのが崇神天皇=ミマキイリヒコ大王というわけ。
でもまだナ国系海外領土がある。この掌握がヤマト政権の「謎の4世紀」の課題だったのだ。
新羅もミナマ=伽耶諸国ももともとナ国系だったからヤマトとの関係は微妙なんだよね。
金管伽耶なんて別名狗邪韓国=狗ナ韓国(笑)
同じ倭人ではあるものの、創業社長追放後の新社長に違和感をもつ支社って感じ?(笑)
 
で、運命の313年。
北方の蛮族たる高句麗楽浪郡を滅ぼしちゃった!
これは怖い。
ロシアの南下くらい怖い。
びびった3国はそれぞれ倭国に救援を求める。
あれやこれやの贈り物して安全保障してもらおうと必死になった。
三韓の調を献上したり、人質を出したり、朝鮮遺民と呼ばれた漢人難民の学者や技術者を派遣したり。
(これも前に書いたけど朝鮮というのは支那の地方名なのだよ。李成桂に朝鮮を名乗らせたのも独立国と考えていなかった証拠)
つまり知識も技術も宗教も楽浪郡崩壊で同時に三国・日本に放出されたわけ。
だいたい王仁博士なんて、まだ朝鮮半島の人名が漢化されるまえなんだから支那人であることは確実だ。
そもそもそれまで朝鮮半島では高級文物は楽浪郡や漢四郡からしか出土しない。
もっとも大事な国王の墓制すら漢式。
 
びびる3国に対して倭国も権益に期待して激しく高句麗と闘う。
これが「謎の4世紀」の実像。
それで一時的に三国は倭の安保下に属国となった。
これが好太王碑にかかれた倭は百残・新羅を臣民と成しの実態。
このころ半島南部まで支配した栄えある大王が応神天皇というわけ。
絶頂期。だから八幡神と同一視された。
  
だけど伽耶諸国はもともとナ国臣下=出雲系。
ヤマトとは距離を置こうとして親戚の新羅に接近。
焦ったヤマトは新羅を掣肘するため軍を招集するが、逆に呼応したナ国系磐井が蜂起。
そうこうしているうちに、隋が支那統一を果たし直接通交可能になったし、ヤマトで砂鉄が産出して鉄が自給できるようになった。
もはや海外領土なんて一部の関係者の利権以上の意味がなくなってくる。
それでも保守派の天智天皇百済絶対護持で出兵するが、改革派の天武はしらけて見ている。
案の定失敗に終わった遠征。
668年には高句麗すら倒壊。
支那軍引き上げ。
混乱の中、支那系倭系の難民が大量流入
ナチの迫害でユダヤ知識人・技術者が一挙に新開地のアメリカに流れたかのごとく。
こんときの帰化技術者ってほとんど支那人ね。
秦氏に漢氏・・・金達寿センセによるとみんなウリナラ認定されてしまうんだが(笑)
    
追記)
ところで《超夢想的朝鮮民族絶対主義史観》の父とされ、大韓民国の最初の教科書を書いた「崔南善」については、昔朝鮮日報におもしろい連載があったんだけど、データがみつからない。このひと総督府皇国史観の教科書づくりに協力していた学者だったんだけど、敗戦と同時に180度転向したんだよね。で作られたのが朝鮮版皇国史観たる檀君史観というわけ。保身のためという見方もあるけど、万歳事件に連座したこともあるし、日帝時代から檀君神話に異常に興味を示していたというから、もともと日本の皇祖神話に匹敵するモノを作りたかったんだろうね。で、それが韓国の公定史観になったと。他方北朝鮮は主体性論争を翻訳して公定史観をつくった。こんなこというのはイヤだけど、やっぱり近代朝鮮というのはニッポンの劣化コピーなんだなあ。。。