日中韓はひとつになれない


  
小倉紀蔵は東大独文でて電通に入ってからソウル大で韓国哲学やった変わり種だ。
NHKの韓国語講座(ハングル講座ψ( `∇´ )ψ)でもおなじみ。
韓国に対して好意的に話しているように聞こえるけど、じつは結構怖いこと=韓国に耳の痛いこと、を言っている巧者だ。
『韓国は一個の哲学である』は一見principalの一貫する韓国社会を褒めるように見えながら、韓国の「哲学」とは要するに排他的な原理主義(しかも人種主義入り)であることを指摘した本だった。それが分からないアホなサヨクは紀蔵を仲間と思っていたようだが、新著ではいろいろ韓国に媚びながらもサヨク批判を隠そうともしない。(;^_^A アセアセ…
東アジア共同体」思想は、ぶっちゃけていえば、日本の迷走するサヨクの反米主義+アジア贖罪欲求と密入国してきた在日朝鮮人のidentity逆転願望(姜尚中の説く、在日朝鮮人国民国家日本でも韓国でも二級市民だが、国家融解後の東アジア共同体では選民階級になれるという思想)が野合して生まれた付け刃の思想でしかない。そして古代的差別思想=儒教に汚染された中華世界(朝鮮もその一部)と日本文化圏の融合は基本的には無理なのである。小倉さんが「性善説」というキーワードで語っているのは、古田博司先生が「道徳指向性」と読んでいるものと同じだ。だけど日中韓はつきあってゆかざるを得ないのだから、その穏健な共生体制を考えましょう。という話だった。
 
追記)
それにしても「僕はもちろん右翼ではないが」「A級戦犯の祀られている靖国神社に参拝すべきではないと考えているが」「元従軍慰安婦のハルモニ」等々、言い訳前置きがうざすぎる。あくまでサヨク・韓国の味方が苦言を呈するというスタンスなんだろうけど、はっきり言ってそんな曖昧な立場設定じゃごまかせない局面はいくらでもある。「苦言を呈する親韓派日本人」なんてものを許してくれるほど韓国人は近代人じゃないってことは本人もわかっているだろうに。ここが薄らサヨ小倉さんの限界かなあ。。