陵墓発掘
最近宮内庁が神功皇后と明治天皇の陵墓の調査(といっても初歩的なものだが)を許可した。日本史学発展のために歓迎する。
もともと天皇陵はどれがだれのものだかよくわからなかったのでかなり粗略に扱われてきた。別に王統断絶したわけでもないのに不思議な話ではある。明治維新後に慌てて調査同定して整備した。でも、この段階では比較的学術調査も可能だったようだ。(日本に超国家主義が蔓延して皇室タブーが強化されたのはせいぜい1940年からの5年間。長く見積もっても1930年以降の15年間に過ぎないのは新田均さんの研究でも詳しく説かれている。)
ところが敗戦後は反天皇制(反ツァーリズムの日本語訳)のネタにしたい学者が虎視眈々と狙ったためかえって逆に調査が進まなくなってしまった。それが解禁されたということはもはや反天皇制に懸念無しと判断したのか、それとも皇室なんてどうでもいいと考えたのか?まぁ漏れとしてはどっちにしろ、不都合でも事実は明らかに、の思想でやって欲しいけどね。(因みに現在の反天皇制運動は女系天皇運動になっている。この辺のことは小谷野敦の最新刊『悲望』でもちょっと触れられていた。)少し気になるのはなぜ神功皇后なのかということ。これって陵墓は神功皇后のじゃありませんでした→だから神功皇后の実在も怪しいです→だから日本の新羅成敗もあやしいです→日韓友好(^◆^) て目的じゃないよな(深読み過ぎ)
ところで、ほぼ時を同じくして漏れが気になった記事がもう一件あった。
中国政府は始皇帝陵の発掘を無期延期したそうな。
これって天皇陵以上に厄介な問題を惹起することを懸念した中共の政治判断だと思うね。
というのは「中華民族」なんつーのが虚構(というか政治概念)なのは兎も角としても、中国古代史の諸民族のかなりの部分が所謂後代の漢民族と無関係であることがばれるのを懼れているんだと思う。だいたい夏・商とも中原諸民族と中央アジア諸民族との仲介貿易で儲けた都市国家なんだから平地の農耕民である「漢民族」とは異質。その彼らからすら西戎扱いされた秦をや。始皇帝の遺骨が発見され西域人の特徴を示していたら・・・((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
ついでにいえば、隋唐も元清も同じパターンなんだけどね。
明治天皇陵と神功皇后陵、立ち入り調査許可へ
宮内庁は20日までに、日本考古学協会など考古学や歴史学の16学会の代表者に、京都市の明治天皇陵(伏見城跡)と、古墳時代のものとされる奈良市の神功皇后陵(五社神古墳)の2カ所への立ち入り調査を許可する方針を固めた。
調査は来年2月から3月になる見通し。歴史関係各学会が連携し、約30年前から陵墓公開の要求を続けていた。
宮内庁は「皇室神事の対象で、単なる文化財ではない」と歴代天皇や皇族の陵墓の学術調査を実質的に認めてこなかったが今年1月、陵墓管理に関する内規を変更。調査できる範囲は限定的だが、研究テーマを問わず申請があれば審査の上、調査を受け入れるよう方針を転換した。
内規によると、歴史学だけでなく、すべての分野の研究者が所属の研究団体を通じて申請できるようになった。外観を目で確認するのが中心で、墳丘に立ち入る場合は一段目の平らな場所まで。発掘は認めず、人数は申請ごとに判断する。〔共同〕(15:01)
URL:http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20070920STXKD083019092007.html
謎の解明は持ち越し?始皇帝陵に眠る
巨大地下宮殿「当面発掘せず」―陝西省西安市
9月1日22時11分配信 Record China
2007年8月31日、陝西省西安市の始皇帝陵について、関係者は「遺跡の現状を維持するため、当面いかなる発掘計画もない」と言明した。皇帝陵の地下には巨大地下宮殿の存在が確認されているが、全容解明は持ち越しとなりそうだ。
2007年8月31日、陝西省西安市の始皇帝陵について、兵馬俑博物館の曹ウェイ(ザオ・ウェイ)副館長は「遺跡の現状を長期的に維持するため、当面いかなる発掘計画もない」と言明した。皇帝陵の地下には巨大地下宮殿などの存在がすでに確認されているが、発掘による全容解明は持ち越しとなりそうだ。
2002年、中国政府はまだ謎の多い始皇帝陵について、遠隔探査技術などを利用した調査を実施。その結果、巨大な地下宮殿と墓室の存在が確認された。しかし、本格的な発掘を始めれば遺跡の現状維持は難しく、ダメージを与えることにもなりかねない。そこで将来、技術的な条件が整うのを待って発掘するとの方針が固まった。
その時期について曹副館長は「少なくとも私が生きている間には(発掘は)ないだろう」と、かなり先になるとの見通しを示した。(翻訳・編集/KT)
URL:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070901-00000017-rcdc-cn