「新・皇室制度論」伝統VS批判の二極を越えて

     
苅部直さんは、これから東大法学部の看板になる教授だ。
知的レベルの高さと優れたバランス感覚(「良識」=Bon sence)は当代随一と思う。(御用ヒョーロンカに過ぎない御厨貴とは格が違うと思う)
で、当然漏れとしては彼のスタンスが気になるのだが、ある意味リトマス試験紙的話題についてアサヒに書いていたので注目した。
ここで漏れなりにポイントを指摘すると、
・用語として「天皇制」を使っていない。皇室制度という言い方をしている。「天皇制」を使うのは「いわゆる括弧付き天皇制」と必ず書く。
天皇を指して「世襲君主」と認識している。つまり日本国を立憲君主制と認識している。

    
2008年01月05日朝日新聞朝刊
opinion「異見新言」
「新・皇室制度論」伝統VS批判の二極を越えて
苅部直 東京大学教授(日本政治思想史)
   

 いつのまにか、平成の年も二十年に及んだのかと思うと、不思議な気がする。つい先日も、バブル経済のころにできた建物が、老朽化のため(?)取り壊されている現場にであった。その建築風景を見たおぼえがあるのに、もう解体とは。自分もまた、いつのまにか歳をとったという、かすかな衝撃を感じる。
 まえに、皇室制度に関する戦後の議論をながめる仕事をしたとき、時代が昭和から平成に変わる寸前に発表された、久野収の論考「『天皇崇拝』の意識構造」(初出は一九八八年十月、『展望』晶文社刊、所収)を、おもしろく読んだ。昭和天皇の重病のさい、社会に広がった「自粛」の動きに戦前の「現人神信仰」のなごりを見いだし、それに警鐘をならしたエッセイである。
 久野の柔軟な論
 しかし同時に、文章の末尾では、独特の皇室制度論を述べている。「天皇制」をめぐる表現の自由は広く認められるべきであり、国際化が進むこれからの日本では、天皇は、「大和民族のシンボル」から、「他民族を含む国家のシンボル」へと変わる必要がある。天皇の代替わりと改元を目前にしたとき、久野はそう説いて、戦後のいわゆる「進歩派」の言論にありがちな「天皇制」否定論ではなく、むしろその新しい形での存続を唱えたのであった。
 このエッセイは、最初は週刊誌に発表され、それなりに注目を集めたように思うのだが、久野の没後に刊行された著作集には入っていない。平和運動市民運動に邁進したこの哲学者なら、「天皇制」を批判するはずだ、という漠たる思いこみが、愛読者の側にたぶんあったために、理解不可能な文章と判断されてしまったのではないか。
 だが改めて考えれば、平和主義や民主主義を信奉することと、皇室制度を批判することとが、論理の上でじかにつながるわけではない。世襲君主を置く英国やオランダの国家制度を、反民主主義的と言い切るのはむずかしいだろう。日本の「天皇制」は諸外国の君主制度とは事情が異なる、と反論する手もあるが、そうした論法は、たとえば徳川時代国学者と、皇室の存続への価値評価を逆にしただけで、制度の理解としてはまるで同じになる。
 どうも、皇室制度をめぐる議論は、二つの極に岐かれてしまう傾きがある。それを日本人の文化伝統や宗教性と単純に結びつけて賞賛するか、あるいは、自由や平等の普遍的な価値に反するものとして、批判もしくは無視するか。たとえば久野のように、多文化社会の到来を歓迎するリベラルな立場から、皇室制度の新しい意義を考えるといった議論は、宙に浮いたようになってしまい、理解されにくい。
 結局のところ、いまある国家制度のなかに、世襲君主制がくみこまれていることの意味をどう説明し、その機能をいかに論じ定めるか。そうした議論の蓄積が、いまだ乏しいのである。
 皇位の男女にかかわらない長子継承を唱えた、三年前の「皇室典範に関する有識者会議」による報告は、そうした方向での議論を活性させるきっかけになりえたはずである。だが世上では、結論部分をめぐる言論の応酬ばかりが目につき、その流行も、すぐ下火になってしまった。
 関連して出た本格的な論著としては、会議の一員であった園部逸夫氏による『皇室制度を考える』(中央公論新社)や、伝統重視の視点から有識者会議の結論を支持した、田中卓氏の『祖国再建』上下(青々企画)が、目をひく程度である。
 「模範」の意義も
 昨年の暮れ、12月11日に、身体が不自由な人の雇用促進のため作られた会社の作業所を、天皇・皇后両陛下が訪問され、従業員に暖かい声をかけられたことがあった。あまり大きく報じられなかったが、紛糾する国会のようすや、官庁の不始末の報道とは、まったく対照的にほっとさせられる。
 もちろん、細かな政策提言につながることはないにせよ、こうした皇室の活動に、世間の多くの視線が集まることを通じて、それが権力者の行動に関する模範として働く。報道がきちんとしていれば、そういう回路も、皇室制度が今後ももつ意義として、期待できるのではないか。
 少なくとも、天皇による任命や国会召集といった手続きがもしなかったら、政治家や大臣の責任意識は、現状よりもさらに地に堕ち、混乱に満ちた政治の世界が登場していただろう。そう仮に想像してみることにも、十分な意味があると思えるのである。