韓国水曜デモ1000回アクション in Tokyo


 
慰安婦問題は漏れの中ではすっかり結論が出ているのであまり興味はないのだが、レイムダックの李昭博大統領を追い詰めようと韓国サヨククラスタが再点火にいそしんでいるので定時観測的にメモってみる。
 

 
まず今回の騒動、外務省包囲アクションは韓国の慰安婦デモ1000回を記念して内外全国で行われたデモの東京版という位置づけだ。すなわち「韓国挺身隊問題対策協議会」が世界中で計画したデモンストレーションに日本の活動家と「女たちの戦争と平和資料館(wam)」が乗っかった形である。韓国ではソウルだけなのに日本にデモが集中している。
「韓国挺身隊問題対策協議会」はいま日本大使館前で「慰安婦少女像」を建てて気勢を上げている韓国の慰安婦水曜デモグループの主催者で、日韓条約での個人請求権存続を訴え2008年には韓国憲法裁判所に違憲確認を請求している。この「違憲訴訟」で2011年に8月30日に「勝訴」したあと、李大統領の訪日直前にデモが1000回目になったので大々的に展開しているわけだ。お婆さん可哀想というだけではなくて日韓条約そのものがターゲットだということは押さえておいた方が良い。
 
ところでこの「違憲判決」だが正確には日韓条約での個人請求権問題で「紛争解決努力していないことが違憲」というかなり控えめな「判決」である。一部ウヨクの方が心配するように日韓条約を否定したり個人請求権を認めたわけではない。一応韓国も近代国家の建て前なのだからそこまではあり得ない。ハッキリ言うと韓国ウヨクが火病るので本質は誤魔化しつつ和解勧告しているということだ。「協議会」のほうもそれをわかっているから圧力をかけるためにいろいろイザコザを起こしているわけだ。なにしろ「違憲判決」「デモ1000回」「李大統領訪日」が重なる惑星大直列。お婆さん達の高齢化もあって、これを逃すと次はない。全力で盛り上げようとしている。訳の分からないリーク情報が次々出てくるのも韓国側のいつもの工作だ。カッカくるのは炎上商法的には美味しいわけでスマートなウヨクとしては華麗にスルーし生暖かく見守るのが吉。モチツケ> ネトウヨ
 
2006 憲マ 788 大韓民国と日本国間の財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する協定第3条不作為違憲確認
 
で肝心の日本国内の盛り上がりなんですが、驚いたことに代表的なサヨク市民運動CML(AML後継)に全然情報がない!11月3件、12月1件だけ。しかも主催者である「全国行動2010」周辺だけ。ホントはサヨクもわかってんじゃないの?と疑う次第。w新聞各社もおざなりだし国会議員も7名じゃどうしょうもない。民主党もさすがに外務省に怒られてスルー体制なんでしょう。慰安婦はオワコンというわけ。
 
ところで、いつの間にか「従軍慰安婦」という言葉が無くなって「慰安婦」に変わっている。
「女たちの戦争と平和資料館」にある慰安婦記述をみても昨今の新事実を盛り込んだ内容だ。ウヨクの主張を意識してかなり慎重になっているようだ。
しかしそうなると韓国内で流通している認識と齟齬が生じている。「日本軍は朝鮮女性20万人を誘拐して挺身隊という名の性奴隷にした」というのが彼らの認識なので、ニッポンサヨクは彼らの間違いを正さなければならないが、正していないだろうなあ。
 

[CML 013699] Fw:12.14外務省「人間の鎖」報告(日本軍「慰安婦」被害者に正義を!)
http://list.jca.apc.org/public/cml/2011-December/013559.html
 
杉原浩司(Koji Sugihara) kojis at agate.plala.or.jp
2011年 12月 16日 (金) 01:02:44 JST
 
東京の杉原浩司(みどりの未来)です。12月14日に行われた、日本軍「慰安婦」被害者に正義を!韓国水曜デモ1000回アクション「外務省を『人間の鎖』で包囲しよう!」( http://restoringhonor1000.info/ )に参加しました。
 
「なでしこアクション2011 慰安婦の嘘を許すな!」を名乗る集団による恥ずべき妨害行動をはねのけて、1300人の「人間の鎖」がつながった瞬間は本当に感動的でした。ただ、テレビメディアはかなり報じたものの、新聞各紙の扱いが冷たく(私の見る限り、15日の朝刊では朝日、毎日、東京の紙版は一切ふれず)、引けているのは残念です。本来、写真入りで大きく取りあげるべきでしょう。
 
以下に、渡辺美奈さんの報告に野平晋作さんが報道紹介を補足されたものを転送しますので、ぜひご一読ください。また、動画報告も必見です。お知り合いにもぜひ広めてください。【転送・転載歓迎/重複失礼】
 
……………………………………………………………………………………
 
昨日、「人間の鎖」にご参加頂いた皆様、本当にありがとうございました。wamの渡辺美奈さんの書かれた報告を転送致します。最後に、現在把握しているメディア報道を記載しました。
 
野平
> みなさま
 
昨日、韓国水曜デモ1000回アクション in Tokyo「 外務省を「人間の鎖」で包囲しよう!」にご参加いただいたみなさま、本当にありがとうございました。予想をはるかに上回る、1300人が参加してくれました! 「慰安婦」問題の解決を求める多くの人々の声を、政府・外務省に届けることができたと思います。と同時に、1000回も被害者たちを立たせ続けた責任を認識することなく、ソウルの日本大使館前の平和碑撤去しか申し入れない日本政府に対する怒りと苛立ちは、強くなるばかりです。
 
さて、四角い外務省の包囲行動では、正面玄関の近くに居た方にしか包囲行動の進行状況は伝えることができませんでした。包囲行動が終った後「いつの間にか始まって終っていたけど、自分たちで勝手にシュプレヒコールをして盛り上がってたよ!」という友人、正面近くにいても「右翼の声しか聞こえなかった」という友人・・・。寒いなか、また休みをとって参加してくださったみなさま、十分に状況が伝わらず、申し訳有りませんでした!
 
以下、簡単に文字で報告しますが、ビデオプレスが外務省包囲行動の3分ビデオをまとめてくれましたので、こちらもどうぞご覧ください。

(にゃんこのコメント:一応「なでしこ」側の動画も貼っとく)

  
●12時には、外務省包囲が実現
関係者は10時30分ごろから集まっていましたが、道路の反対側にはすでに右翼も結集していたため、たくさんの警察官が牽制していました。11時すぎからぞくぞく到着する参加者を小さなメガホンで誘導、包囲行動のスタート予定時刻の12時ちょうどには、なんと「人間の鎖」がもう繋がりました。
12時、外務省正門前では集会をスタート。全国行動2010の共同代表の梁澄子さんから「韓国水曜デモ1000回アクション」の主旨を説明、この日まで政府が具体的な解決策を何も提示しなかったため、「今日、新たな始まりを宣言せざるを得ない、被害女性が受け入れられる解決策を示すまで、ともに闘いましょう」と挨拶をしました。無所属で沖縄出身の糸数慶子衆議院議員社民党服部良一衆議院議員もかけつけてくれて、連帯の挨拶。12時15分ころだったでしょうか、走って人数を数えてくれたピースボートのスタッフから、参加者は1300人との連絡を受け、ともに喜び合いました。
 
●宋神道さん、外務省を一周
寒いなかでしたたが、3.11を宮城県女川で被災し、今は東京で暮らしている在日の「慰安婦」被害者、宋神道さんも包囲行動に参加。この日、久しぶりに愛犬マリコとも再会して、嬉しそうにマリコを膝に抱いていました。宋さんは、「死んでも死に切れない、早く謝罪してほしい」と挨拶し、支援者に車椅子をおしてもらいながら、参加者に手をふり、握手しながら外務省を一周しました。
 
●「人間の鎖」ウェーブとシュプレヒコール
その後、繋がった「人間の鎖」を確認するためのウェーブとシュプレヒコールをして、12・14の声明文を読み上げました。最後にもう一度、外務省に背を向けた姿勢を回転させて、外務省を正面に見据えて取り囲むようにして、日本政府に解決を求めるウェーブとシュプレヒコールをして包囲行動は終了。「人間の鎖」が早くに実現したため、予定よりも15分ほど前に終了しました。声明文などはウェブサイトに掲載しているのでどうぞご覧ください。
 
●院内集会も満杯、韓国水曜デモと各地のアクションの様子を報告
「外務省包囲」の参加者も倍なら、院内集会の参加も予想を上回り、340人以上が参加(それでも100人以上が入館できなかったとのこと、とりわけ遠方から来てくださったみなさま、本当に申し訳ありませんでした)。院内集会では、同時刻に開催された韓国での1000回水曜デモの写真をプロジェクターで見せながら報告、設置された「平和碑」と「碑文」も紹介。そして、同時刻に12・14アクションが行われた北海道、広島、福岡の写真と参加者の様子を報告。各地とも、近年まれなほど多くの参加があり、充実したアクションとなったようでした。連帯の挨拶をしてくれたのは、宋神道さん、そして、民主党稲見哲男大河原雅子今野東)、社民党福島みずほ服部良一)、共産党(紙智子・高橋千鶴子)、無所属(糸数慶子)の計7名の議員。議員のみなさんはそれぞれ、解決に向かって努力していくと約束してくれました。
 
14日昼には名古屋や北九州、夜には大阪、沖縄、福山、静岡など各地でも行動があり、大阪ではキャンドルで1000の字を描いたそうです。全国・世界各地で行われた行動の様子は、適宜、ウェブに掲載されていくと思います。この20年間、ソウルの大使館前に立ち続けた「慰安婦」被害者の要求、そして被害者が納得する解決を求めてきた日本と世界の人々の声、うねりを、日本政府が一刻も早く受け止め、解決に向けた一歩を踏み出すように、知恵をしぼり行動をしていかなくてはなりません。
 
週末に来日する李明博大統領は、「慰安婦」問題をとりあげるとのことです。
http://www.47news.jp/CN/201112/CN2011121501000844.html
 
引き続き、ともに行動してくださいますよう、よろしくお願いします。
 
*「韓国水曜デモ1000回アクション in Tokyo」の呼びかけを各MLに転送してくださったみなさま、この報告も(簡単ではありますが)、どうぞ転送してください。
 
渡辺美奈
 
アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)
東京都新宿区西早稲田2-3-18 AVACOビル2F 〒169-0051
t 03-3202-4633 f 03-3202-4634
URL:http://www.wam-peace.org/
 
以下、現在把握している報道です。野平
 
毎日新聞 従軍慰安婦問題:水曜デモ1000回に合わせ人間の鎖−−きょう外務省周辺/東京
朝日新聞 元慰安婦集会1000回 東京など各地で連帯集会
しんぶん赤旗 「慰安婦」被害告発に連帯/外務省包囲1300人/東京
時事通信 外務省囲みシュプレヒコール=元慰安婦支援の団体―東京・霞が関
レイバーネット日本 死んでも死にきれない!謝罪を!〜「慰安婦問題」解決もとめ1300人が外務省包囲
The Japan Times Statue of 'comfort woman' erected outside Japanese Embassy in Seoul ↑↑
記事の最後の部分で「人間の鎖」のことも触れています。
 
※テレビニュースについては、TBS、日テレ、NHK、テレ朝、フジテレビでそれぞれ2〜3つのニュース番組で紹介されました。
 
韓国
京郷新聞 
連合ニュース
プレシアン
YTN

(ネットから)
私も一般ピープルのふりして外務省を一周しました。1300人はサバでしょう。その半分強ぐらい。そしてキリスト教団体や朝日協会、ちばコープなど組織の参加が目立ちました。
なでしこ側では花時計の方がテレ朝からかなり長く取材を受けていたので、帰宅してテレビを見たらシカトされていてがっかり。映ったのはカウンター抗議側が場所を移動しようとして警官ともみ合うシーンだけ。これは悪質な印象操作ですね。ソウルの記念碑建立のニュースに映っていた元慰安婦と称するおばあさんはミンクのコートを着ていましたよ。慰安婦=高給売春婦だと納得。むしろabusan123さんに教えてもらったシンシアリーさんが全訳してくださった聯合ニュースのほうが冷静で公平なレポです。なでしこ側は元氣な若い女性が多くて本当に頼もしいです。
慰安婦問題に終止符を打つべしという日本人が大勢いるというアピールは、野ダメが下手な妥協をしたら許さないゾという圧力になるといいと思います。日本が強気に出て困るのは韓国なんですから。

韓国で日本軍慰安婦被害者たちの1千回目の水曜デモが開かれたことに呼応して日本など世界各地の日本外交公館周辺でも集会とデモが相次いだ。
14日昼間12時頃、日本、東京、霞が関の外務省周辺では日本政府の謝罪・賠償を要求する市民団体会員たちとこれに反対する右翼団体が同時にデモを行った。
市民団体らの集い「日本軍慰安婦問題解決全国行動2010」はこの日、日本全国から集まった1千300人で外務省周辺を囲んだ。
これらは集会で"日本政府は慰安婦問題に対する法的責任を認定・謝って韓国の外交協議要求に応じなさい"と促した。
参席者、田中栄子(72.女)氏は"日本はまず学校で(慰安婦強制動員という)歴史的な事実を教えなければならない"と声を高めた。
服部良一社会民主党議員は聯合ニュース記者に"日本は過去アジア女性基金という民間基金を通した金銭支給を提案したことがあるが、これは日本政府の謝罪が無かったから問題があった"として"被害者が単純にお金をくれと言うのではないという点を肝に銘じなければならないだろう"と明らかにした。
反面、外務省の前の道路の向い側、人道には「頑張れ日本全国行動委員会」など右翼団体会員1千人余りが集まって"強制連行はなかったし、慰安婦は単純な売春婦であるだけ"と主張した。
日本政府の謝罪を要求する人の相当数が60代以上の高齢である反面、謝罪の必要はないと主張するこの人たちには30〜40代が多数、目についた。
この人たちは手にハングルで'慰安婦=性的奴隷という嘘をやめろ'とか'水曜デモに加担する反日日本人たちを決して許さないだろう'と書いたプラカードを持って、一部は警察の阻止を突き抜けて道を渡っていって市民団体会員たちと衝突を起こそうとした。
右翼デモ隊び1人は"日本軍が慰安婦募集に関与したというけれど強制動員したことはなく、1965年請求権協定ですでに解決した"として"米軍や韓国軍隊も慰安所を運営するのになぜ日本だけ謝罪を行うべきか"と主張した。
'日本軍慰安婦問題解決全国行動2010'によればこの日東京他にも北海道、札幌と神奈川県、沖縄等日本国内13個地域で集会とデモがあった。
また、韓国挺身隊問題対策協議会によれば去る5日から17日まで米国でニューヨーク、ワシントン、ロサンゼルスなど6都市、ドイツでベルリン、ミュンヘンなど14都市、英国、イタリア、カナダ、台湾、フィリピンなど全世界8ヶ国(韓国除外) 42都市で総46回集会が開かれる。

マスコミは主催者側発表しか載せていないので今回の参加者がどのくらいだったのかよくわからない。警察庁は見解を出すのを逃げたのかな?外務省のブロックは一周800mくらいなので600人いれば囲めるだろうが、まぁ多めにみて1000人程度だったのではないか。梁澄子さんは北朝鮮系の活動家だし朝鮮総連系の動員がかなりあったようだ。あとはピースボート・生協系シンパ、韓国キリスト教団体といったところだろうか。

韓国水曜デモ1000回アクション呼びかけ団体
 
日本軍「慰安婦」問題解決全国行動2010
共同代表 梁澄子

共同代表 花房俊雄

事務局長 渡辺美奈

アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam) 気付
〒169-0051東京都新宿区西早稲田2-3-18 AVACOビル2F 
E-mail:ianfu-kaiketsu@freeml.com
fax: 03-3202-4634

日本軍「慰安婦」問題解決全国共同行動2010とは?
http://restoringhonor1000.info/index.html
日本軍による性暴力を受けた被害者に対して、日本政府が謝罪と補償を早急に実施することを求める団体・個人のネットワークとして2010年2月7日に設立。全国9ブロックに連絡先を置き、多くの団体と個人が賛同・参加している。各ブロックにおいて地元議員に説明・働きかけを実施するとともに、韓国の被害女性や支援者・地方議員・専門家等を招いた院内集会の開催や、日本軍「慰安婦」問題の解決を求める61 万余筆の国際市民署名を政府に届けるなど、謝罪と補償の早期実現を目指して活動している。

どうでもいいけど良く名前をみる花房さんは福岡で精進料理点『花ぶさ』を経営している方だそうだ。なぜか外山恒一暴行事件?での原告もやってるらしいw

慰安婦」Q&A
http://www.wam-peace.org/index.php/ianfu-mondai/qa
 
Q1.どういう女性が「慰安婦」にさせられたのですか?
 
(略)ここで見逃してはならないのは、「慰安婦」にされた朝鮮人女性の置かれた状況です。彼女たちのほとんどが連行当時未成年であり、農村の貧しい階層の出身者でした。日本の植民地政策により朝鮮農民の多くは土地や食糧を奪われ、生活は貧窮していきました。また日本と違って義務教育制がなかった朝鮮では、高額な授業料のため多くの朝鮮人は教育が受けれませんでした。とくに女性は男尊女卑思想もあいまって、学ぶ機会が閉ざされました。抵抗が許されない日本の統治下で、教育を受ける機会に恵まれず、生活難・就職難に直面した朝鮮人少女たちにとって、生きるための選択の余地は限られていました。日本軍の意をうけた周旋業者は、そうした彼女たちの貧しさや無知につけこみ「仕事がある」「金が儲かる」「働きまがら学校に行ける」とだましたのです。このように、貧困を背景にした詐欺・甘言、それ以外では暴力的な連行や人身売買により「慰安婦」にされました(Q7参照)。

(にゃんこのコメント)
未成年は20歳以下を指す。よって売春が合法であったとしても20歳以下の女性が応じた場合業者はこれを拒否しなくてはいけないし、利用者たる日本軍はそれを確認すべきである。昨今のAV業界の未成年確認のようなものだ。日本政府は国際条約を結びながらこの横行を黙認したのだからそこには責任はある。ただ、このこことを指摘するサヨクはこれが慰安婦が合法的売春であることを前提としたうえの違反である事実に鈍感である。サヨクは次々に糾弾事実を遷移させてゆくが、未成年や騙詐を指摘するのは基本が合法売春であることを認めるに等しい。問題はあくまで合法制度下での犯罪行為である。
しかし韓国内では慰安婦には合法的売春婦と犯罪被害者がいたという認識は共有されていない。その認識が広まると元慰安婦の方はどっちだったのかという問題が生じる。もし前者だった場合、売春婦であり、日本軍協力者である、ということになり、女性差別排外主義の強い韓国では社会的な死を意味する。元売春婦を救済するためにはあくまでも全員が日本による犯罪被害者でなければならない。そういった理由があるので売春は大きな意味では日本治世が悪いと言う文が言い訳がましく続くわけである。また斡旋業者もわざわざ「日本軍の意をうけた」と書くのも業者の多くが朝鮮人であったという指摘を受け、あくまでも悪いのは日本だとしないと当時の業者および子孫に累が及びかねないからだ。
日本治世下では韓国人は被害者でなければならないというのは、現在の韓国社会の強烈な差別意識から要請されているのである。

ナチスドイツも日本軍と似たような性暴力制度をもっていましたが、母国から遠く離れた遠隔地にある戦場に植民地の女性を連れて行ったのは日本軍だけです。

(にゃんこのコメント)
普通?の軍隊は性処理を現地調達する。日本軍はかなり前線まで営業を許可した。現地性処理と売春宿の前線営業は背反関係なのだが、日本軍はなぜか両方で糾弾されるw

占領地の女性は、地元で日本軍による拉致や暴力的連行によって監禁され性の相手をさせられたり、慰安所で「慰安婦」にされたケースが多かったといいます。それだけではなく、1937年12月に日本軍が起こした南京大虐殺のときに多くの中国人女性が日本軍将兵によって強かんされ殺害されました。「慰安婦」被害の背景には日本兵による無数の強かん・輪かんの性暴力被害者がいたことを忘れてはならないでしょう。中国やフィリピンでは抗日運動をした女性を”みせしめ”のため、強かんや「慰安婦」にした例もありました。
いずれにせよ各国の「慰安婦」にされた女性に共通するのは、貧しい階層出身であったことです。日本人「慰安婦」にしても、そもそも貧しい階層出身でした。したがって、「慰安婦」への「女性の選別は、民族・人種、貧富、ジェンダーによる差別が交差したもの」(女性国際戦犯法廷ハーグ最終判決、※3)とみることができます。
しかしながら女性の前歴や連行時に物理的な強制があったかどうかにかかわりなく、慰安所で待ち受けたのは日本軍の性奴隷生活でした。日本軍「慰安婦」制度でもっとも重要な点は、日本軍の考案により組織的かつ広範囲に慰安所を設け、人格をもった女性の性を日本軍の「戦争遂行の道具」「性奴隷」とした戦争犯罪であったことにあります。
(注)
※1 公娼制度:女性の売春―男性の買春を国家が公認する制度で、1958年に売春防止法施行で廃止されるまで続いた。指定された地域(遊郭。貸座敷とも呼ばれた)で売春業者の営業を認め、貧しさのため身売り(人身売買)をさせられ前借金にしばられた女性たちは遊郭に閉じ込められ売春を強いられた。その意味で、国家公認の性奴隷制度であった。
※2 兵站:作戦軍に軍需品を供給する軍の施設・機関。
※3 女性国際戦犯法廷ハーグ最終判決:法廷については、Q7参照。ハーグ判決とは、2001年12月にオランダ・ハーグで出された法廷の最終判決文。全訳はVAWW−NET ジャパン編『2000年女性国際戦犯法廷の全記録(2)』2002年、緑風出版に所収。(略)
 
Q3. 慰安所は誰が、どのような目的で作ったのですか?
  
(略)ところでこうした意図は慰安所設置によって解決できたのでしょうか。強かん防止について言えば、慰安所設置後も強かんは跡を絶ちませんでした。将校や下士官慰安所に入り浸っているのに、下級の兵士は時間的にも金銭的にも慰安所に頻繁に行けなかった代わりに、作戦で出動してはタダでできる強かんをくりひろげました。また慰安所は主な都市にしか設けられなかったので、小さな町や村に駐屯した部隊は村長に強制して女性を提供させたり、拉致してきた女性を監禁し輪かんをおこないました。日本軍が慰安所を堂々と設置したことによって、かえって日本軍の隅々にまで強かんをはびこらせることになったのです。

(にゃんこのコメント)
強姦を防止するために慰安所をつくったが多くの兵士はそれほど通えなかったので強姦は多発した、というなら慰安婦はそれほどいなかったことになるのだが、またまた矛盾している。そもそも日本軍に特別に強姦が多かったと言えるのか疑問だ。日本軍は兵士の日記携行を許可していたし文盲率が低かったため記録に残りやすかった面はあると思うが、どう考えても他国軍隊のほうが性暴力が激しかったとしか思えない。というか定量的資料をみたことがないんだけど。。。

 
Q4. 慰安所は誰が管理・経営していましたか?
 
(略)このように日本軍は慰安所の管理・経営に積極的に関与しました。このことは日本政府が自ら認めた歴史的事実です。1990年6月に日本政府高官は「(慰安婦は)民間業者が勝手に連れ歩いた」と国会で答弁し軍の関与と責任を否認しましたが、1992年1月に軍の関与を立証する公文書資料発見の報道が流れると、一転して軍関与を認めました。その後、日本政府が1992年7月に加藤紘一内閣官房長官(当時)が、1993年8月には河野洋平内閣官房長官(当時)が、公文書を調査し被害者へのヒヤリングをするなどした調査結果を公表しました。とくに河野官房長官は「慰安所は、軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与」したと軍の関与を認め、「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいもの」であり、「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」とであると「お詫びと反省」を表明しました(以上、「河野談話」)

(にゃんこのコメント)
関与は事実。そもそも戦後も慰安婦は普通に映画や小説にでてきて普通に認識されているものだった。それをサヨクが一部の犯罪被害者を取り上げて性奴隷制度だったように急に言い出したので政府は面食らったわけだ。しかしサヨクは「狭義の関与」=誘拐売春強制を言っていたのに政府は「抗議の関与」=売春婦の委託移送管理しか認めなかった。だからサヨク大敗北なのだが、上記では勝利宣言しているねw

 
Q5. 慰安婦にされた女性たちはどのくらいいるのですか?
 
慰安婦にされた女性はどのくらいいるのかという質問に答えることはかんたんではありません。戦争の末期には日本本土にも慰安所が設置されましたが、それまではほとんど海外でした。海外にいた日本軍人の数は太平洋戦争中は200から300数十万人です。軍人数十人に慰安婦が一人の割合で配分されたようですが、何年も慰安婦にされていた女性もいれば、比較的短期間で入れ替わっている場合もあります。日本や朝鮮から連れて行かれた場合は、帰国するチャンスがほとんどなかったので、病気などで死亡したり捨てられたりしないかぎり比較的長い間慰安婦にさせられていますが、現地女性の場合、かなり短期間です。仮に軍人300万人として、100人に1人の慰安婦がいて、太平洋戦争中の交代が1.5(半分入れ替わる)と仮定すると4.5万人になります。これはかなり少なすぎる見積もりです。軍人30人に1人として、交代を2(全員が一度入れ替わる)とすると20万人となります。30人に1人はかなり多めの見積もりです。こうした推計から数万人から20万人の間ではなかったかという推定が可能です。

ところで太平洋戦争開戦の翌年1942年の1年間に陸軍が海外の部隊に送ったコンドームの数が3210万個です。平均すると1日あたり9万個、1週間あたり60万個余りになります。慰安所の利用は休日に集中することを考えると、ある時点をとれば数万人の慰安婦がいたことは推測できますがそれ以上くわしい人数を特定することは難しいでしょう。

(にゃんこのコメント)
全体で数万人から20万人を認めているのはあたらしい。韓国も北朝鮮も挺身隊20万人=慰安婦としていたのでひどく主張が後退している。朝鮮人比率は30-40%だと言うから朝鮮では1-8万人ということになる。しかしサヨクはこれを韓国朝鮮に指摘でない。彼らのドグマに抵触するからだ。こういう日本側ではわかっていることでも共同運動をするために韓国朝鮮に「配慮」するという卑屈なことを繰り返しているから信用されなくなってしまったのだ。結局日本ではサヨクの主張を支持する日本人はどんどん減ってしまった。韓国朝鮮人だけが運動を支えている状況だ。そしてそのことが更にサヨクへの不信を深めていく。

(略)慰安婦は日本軍による性暴力の被害者の一つのタイプであって、慰安婦として定義された女性たちの回りにはそれに倍する性暴力被害者がいるということを忘れてはならないでしょう。
 
Q6. 女性たちはどのように集められましたか?
 
(略)以上から、大部分の朝鮮人女性の大部分は”本人の意思に反して”「慰安婦」にされたことがわかります。日本政府も「河野談話」(Q4参照)を通じて、「…朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理下等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」と連行における強制性をはっきりと認めています。また、業者の募集行為も「国家を代理して行ったものであれば、国際法上は国家の行為」になる(女性国際戦犯法廷ハーグ最終判決)ことを見逃してはなりません。(略)

(にゃんこのコメント)
さて合法的売春の存在を認めたサヨクにとって売春そのものが「意志に反する」としないと被害女性を救えないことになった。一見合法的に売春婦になったように見えても実際は被害者だとしなくてはならない。そこでその根拠が必要になのだがそれが証言だけなのだ。しかも韓国政府が把握している300余名の元慰安婦のうち証言が公開されたのは30名ほど、信頼性にたるものは殆ど無い。20万人が誘拐され売春を強要されたのにこんなに曖昧な証拠しか残らないのか?この点がサヨクの最大の弱点なのだ。

 
Q7. 被害女性たちは何を求めているのですか?
 
1991年8月、韓国ではじめて実名で名乗りをあげた金学順さんは、責任を認めない日本政府の発言を聞いて怒りを感じ「慰安婦にされた私がここにいる」と後世に伝えるために証言を決意したと、語っています。彼女は同年12月に来日して、ほかの被害者とともに日本政府を相手に「補償」を求めて東京地裁に提訴しました。それ以後今日まで、韓国人、在日韓国人、フィリピン人、台湾人、中国人、オランダ人などの元「慰安婦」制度被害者や性暴力被害者たちが、日本政府に対してそれぞれ「謝罪と補償」を求めて提訴しました。しかし日本の裁判所は事実認定をせず、また事実認定をしても被害者の「謝罪と補償」の要求を退けつづけました。
 
こうしたことから、被害者が正義を求めているのに国家が裁かないなら、民衆に裁く権利と責任があるとして、2000年12月には東京で加害国日本と被害国の女性や市民の協力で民衆法廷「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」が開かれ、8カ国から64人の被害者が参加しました。法廷は、刑事裁判の形式で、「慰安婦」制度の犯罪性と責任を国際法に基づいて、提出されや膨大な公文書類や被害者・加害者の証言などによって明らかにするために開かれたものです。「天皇有罪、日本国家に責任」という判決を聞いて、被害女性たちは喜びの表情をみせました。「この10年間で求め続けた正義が女性国際戦犯法廷で初めて得られました。今は顔をあげて堂々と生きることができます」と語ったのは、フィリピンの被害者トマサ・サリノグさんでした。
 
韓国で被害者を支援し「慰安婦」問題の解決を求めて運動している韓国挺身隊問題対策協議会(1990年11月結成)は、日本政府に対して次のような7項目の要求をしています。
(1)日本軍「慰安婦」の法的認定、
(2)真相究明、
(3)国会決議謝罪、
(4)法的賠償、
(5)歴史教科書への記録、
(6)慰霊碑と資料館の建設、
(7)責任者の処罰、
です。(公式ホームページより)。
 
毎週水曜日にソウルにある日本大使館前で行われる「水曜デモ」には、被害者と支援者・支援団体が参加して、以上の要求をしてきました。この水曜デモは、1992年1月から現在まで15年以上も続いています(休んだのは1995年1月の阪神淡路大震災のときだけです)。
 
以上から、日本政府が「慰安婦」制度への法的責任を認めた上で、謝罪とその証しとしての個人補償する――これこそが、被害女性が日本政府に切実に求めていることではないでしょうか。「慰安婦」にされたために戦時中も戦後も今日まで貶められ続けた女性たちの尊厳の回復のためには、これらはその入り口となるでしょう。そのうえで、歴史の教科書に記載し、資料館や慰霊碑を建設することなどを通じて、同じ過ちを二度と繰り返さないために”歴史の記憶”として刻むことを望んでいるといっていいでしょう。
 
確かに日本政府は、この問題が浮上して日本軍の関与を立証する軍公文書発見が報道されていこう、日本政府として軍関与を認め言葉のうえで謝罪しました。「慰安婦」問題への「お詫びと反省」を表した1993年の「河野談話」(Q4参照)では、「歴史の真実を回避することなく、歴史の教訓として直視していきたい。……歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意」を表明しました。これらは画期的な前進でした。日本社会は、「慰安婦」問題を通じて、過去の日本が行った加害の記憶(植民地支配、侵略戦争)に向かい合うことになったからです。「植民地支配と侵略」を謝罪した1995年の村山首相「戦後50周年談話」は、その表れです。
 
しかしながら、その謝罪は個人補償という形で実行に移されていません。1995年には日本政府によって「女性のためのアジア平和基金」(国民基金)がはじまりましたが、これは日本国民から募金を集めて被害者に支給するもので、日本国家による補償ではないとして、被害者から多くの反発をよびました。日本政府は、1952年いこう現在まで日本人元軍人・軍属とその遺族などに対しては国家による個人補償を手厚くしているのですから、日本国家が「慰安婦」制度への責任を認め謝罪つもりがあるなら、日本政府が自ら「慰安婦」制度被害者に補償するのが筋ではないでしょうか。
 
また「歴史教育を通じて記憶にとどめる」(「河野談話」)等によって、1994年度から高校教科書に、1997年度版から中学校の歴史教科書にこの事実が記載されるようになったのも画期的なことでした。しかし1990年代後半から「慰安婦はいなかった」などと否定する勢力が勢いを増していき、彼らの有力政治家を巻き込んでの猛烈なキャンペーンによって、2002年度版は大幅に記述が後退し、2006年度版にはほとんどの教科書から「慰安婦」に関する記載が消えました。残念ながら、こうしたことが被害女性たちの日本政府や日本社会に対する不信感を生んでいると言ってよいでしょう。
 
現在、1990年代に被害を名乗り出た女性たちの訃報が、各国からあいついでいます。また70歳台、80歳台になり、高齢化してきました。せめて生きている間に、彼女たちの望む日本政府自らによる「謝罪とその証しである補償」を実現するのが、加害の国日本に住む私たちの課題ではないでしょうか。

(にゃんこのコメント)
バウネットを引き合いに出した時点で説明不要だろうwだいたいこの時の事実認定と上述の認識は既に矛盾を生じてきているのに結論だけは変わらない。被害者の金銭受け取り拒否を脅迫してまで「日本政府の謝罪」を得ようとする目的は、元慰安婦個人にとっては売春婦というスティグマから日帝被害者・糾弾の英雄への転身、支援団体にとっては元手タダでの外交交渉のカードの確保があるだろう。しかし、漏れはネトウヨのいうようにただカネが欲しくてやっているとは思えない。最大の理由は自らのアイデンティティを要求する心地よさだろう。日本という国家に粘着して上から目線で糾弾する快楽。韓国民族主義というのは政府公認のルサンチマン放出ツールなのだと思う。

水曜集会1000回「日本政府は慰安婦被害者問題を解決しろ」

日本大使館前に平和の碑を建設、日本政府は撤去を要求

チョン・ヨンギル記者 2011.12.14 16:53
日本軍慰安婦問題解決のための定期水曜デモが1000回になった。


韓国挺身隊問題対策協議会(挺身隊対策協)は12月14日午前11時30分、ソウルの 駐韓日本大使館の前で約1000人の市民と共に定期水曜デモを開いた。韓国政府 に登録されている慰安婦被害者は234人で、今年は16人が亡くなり、63人だけが 生きている。この日の集会には、キル・ウォンオク、キム・ボクトン、パク・ オクソン、キム・スノク、カン・イルチュル氏の5人の慰安婦被害者が参加した。

慰安婦被害者のキム・ボクトン氏は「若い青年たちは強制徴用で、学生たちは 学徒兵で、少女たちは慰安婦という名で戦場に連れていかれた。日本軍の奴隷 になったつらい歴史を忘れないように、1000回まで水曜デモを開いた」とし、 「日本大使は私たちの声を聞け」と訴えた。続いて、「白髪の老人の叫びを李 明博大統領も知らないわけではないだろう」とし「韓国政府も慰安婦問題解決 に動け」と話した。


水曜デモは、1992年1月8日、宮沢前日本総理の訪韓を契機に始まった。これま で毎週水曜に本軍慰安婦問題の真相究明と責任履行を要求してきた。1000回の 水曜デモをむかえ、全国30の都市と世界8か国の42都市で連帯行動が続く。

挺身隊対策協のユン・ミヒャン常任代表は「1000回目の水曜デモは終わりでは ない。世界各地で鳴り響く叫びが日本政府をわれわれのおばあさんたちの前に ひざまずかせる」と話した。


▲少女の形の平和の碑
水曜デモの開始と共に、平和の碑の除幕が行われ、日本大使館の前にたてた。 平和の碑は韓国の民族衣装を着て椅子に座った慰安婦少女の姿を形状化した。 水曜デモの司会をした俳優のクォン・ヘヒョ氏は、「平和の碑は痛みだけでは なく、平和への新しい希望」だと話した。

統合進歩党の李正姫(イ・ジョンヒ)共同代表は「ここに集まったおばあさんと 市民に感謝する。韓国政府が積極的な態度を取らなければならない」とし、 「女性の痛み、人権蹂躙がない世の中のために、統合進歩党が先頭に立つ」と 話し、参席者が拍手を送った。

だが連帯発言のために舞台に上がったハンナラ党鄭夢準(チョン・モンジュン) 議員は困惑を感じた。チョン議員が舞台に上がると、市民たちは「退け、降りろ」 とヤジを飛ばした。彼は最後まで連帯発言を続けたが、静かに舞台の下に降りて 行かなければならなかった。これについて水曜デモに参加したイ・ヨンス氏は、 「今まで慰安婦問題に何の関心もなかったのに、政治のためにここに出て来た からヤジを受ける」と話した。


この日の1000次水曜デモには、中高校生、日本人が大勢参加して目を引いた。 友人と体験学習のために現場に来たというキム・ウンス学生は、「若くても、 歴史問題を知らないわけではない。おばあさんたちが受けた韓国の歴史を記憶 するために来た」とし「日本政府はおばあさんたちが生きているうちに、はや く解決すべきだ」と話した。

参席者は日本政府に対し、△真相究明と被害者に対する公式謝罪、△法的賠償、 △慰安婦問題を教科書に記述することを要求した。また韓国政府が問題解決の ために積極的に外交的な努力をするよう要求した。司会者のクォン・ヘヒョ氏は 「今回が終わりではなく来週も続けよう」とし、日本軍慰安婦問題が解決する まで水曜デモを続けることを要請した。

一方、日本大使館はこの日の集会には一切対応をしなかった。日本政府は、 「慰安婦問題は65年の韓日国交正常化時の請求権協定で完全に解決した」とし 日本大使館の前の記念碑を撤去するよう要請した。

原文(チャムセサン)