従軍慰安婦と公娼制度

従軍慰安婦と公娼制度―従軍慰安婦問題再論

従軍慰安婦と公娼制度―従軍慰安婦問題再論

  
この倉橋正直という人は日帝糾弾の左翼で、専門が慰安婦と阿片政策という非常にイイ線ついている方なので、僕もずっと勉強させてもらってきた。
だけど漏れがサヨクだったときからどうも妙な気がしてた。
というのも倉橋さん、名前の通り正直な方で、「運動のための嘘は方便」という卑怯が許せないようなのだ。
そのときの政治運動を考慮することなく、調べてわかった事実を淡々と発表する。
だからプロパガンダ的に使いにくい。
というか、倉橋さんは「慰安婦=性奴隷」という公式が調べるほどにおかしいことに気づき、「性奴隷・売春婦2タイプ論」を唱えてサヨクから総スカンを喰った。
  

 
この本だって帯に「日本に足りないのは資料ではなく良心だ!」とか糾弾調なんだが、読んでみると事実関係は実に丁寧に考察されていて、活動家の傍ら都合のよい断片だけ集めてくるような学者モドキとは全然違うことがわかる。
サヨクへのエクスキューズのように「性奴隷型」もいたと書きながら最後まで売春婦型しか出てこない。
たぶん事実関係についてはこの本を糾弾するウヨクはいないんじゃないかな。
でもそうなると最終的には両義的な事実の評価議論に行き着いてしまい、「日本/日本軍=悪魔」という「正しい歴史」を押しつけたい側からすると甚だ都合が悪い。
 
ちなみにウヨクの側からはこういう批判になる。
たしかにその通りなんだけど、こういう言葉遣いはいやだなあ。
それに漏れは倉橋さんはここでサヨクに媚びておかないと主張内容からいって東大史学科という共産党の強い世界で生きていけなかったからじゃないかなあ、と思う。
あんまり同情的過ぎるとは思うけど。
 

倉橋正直というバカ
  
(略)
 アホな連中はどこにでもいるものですが、倉橋正直という御仁も間違い無くそのひとりのようです。この御仁はからゆきさんの研究を十年以上続けてきたそうで、それが、従軍慰安婦問題に取り組む際の「武器」となっているそうです。(著書より)(大笑する個所?)
 この御仁の著書「従軍慰安婦問題の歴史的研究」(一九九四年共栄書房)を読むと、その頭の程度がよくわかります。
 売春型と性的奴隷と別けている著者の一番受けるところは下記のところではないでしょうか。
以下引用

 当時の日本側(軍と行政)は、自分たちが彼女たちに対して行った行為の非人道性・犯罪性をよく理解していた。性奴隷型の従軍慰安婦のことが外部に知られれば、申し開きは決して許されなかった。厳しく非難されることは目に見えていた。だからこそ、敗戦時、性奴隷型の従軍慰安婦に関しては徹底的な湮滅作業が行われた。
 まず、性的奴隷型の慰安婦(そのほとんどは朝鮮人であった!)自身が、肉体的に抹殺された。この時、性的奴隷型の慰安婦であった朝鮮人女性が、無惨にも日本軍の手にかかって、組織的に殺された。それがどのぐらいの人数であったのか、現在の段階では、皆目、わからないが、私としては、その人数は決して少なくなかったと推察している。
略)
 日本側は、慰安婦自身の肉体的な抹殺をはかるだけでなく、彼女たちのことを記した文章や史料もまた、何をおいても、焼却・破棄せねばならなかった。それが自分たちの命運にかかわるような重大性を帯びていることをよく知っていたからである。
 こうして、彼らは懸命にそれを湮滅した。この湮滅作業がきわめて徹底的に行われた結果、関連史料はほとんど根こそぎ抹殺されてしまったのである。こういった事情から、この種の史料は、これまでも出てこなかったし、今後もまた、おそらく、ほとんど出てこないであろう。もちろん、例外的に湮滅を免れた史料が、偶然、発見される可能性は否定しないが。
 
史料がないことの逆説的意味
 
 ある歴史的事象に関する史料がない。はたして、そのことから単純に、その歴史的事象の存在まで否定してよいのであろうか。たしかに一般的には史料がなければ、その歴史的事象も存在しなかったということになる。しかし、これはあくまで一般的な場合であって、特殊な場合には、この論理は必ずしもあてはまらない。
 一見、変な話であるが、ある歴史的事象を物語る史料がないことが、逆にその存在を示すことになる場合もありうるのである。今回の「強制連行の有無」、すなわち、性的奴隷型の従軍慰安婦の存在の有無は」、まさにこの特殊な場合にあたると私は考える。前述したように、これは、当時の軍や行政の立場からすれば、必死になって、(慰安婦自身の肉体的な抹殺を含め)関係史料の湮滅をはからねばならない性質のものであった。そうである以上、それに関する史料が出てこないのは、考えてみれば、当然のことであった。むしろ、このことを物語る史料が簡単に入手できるほうが不自然である。(p80〜81)

 ここまでアホは中々いません。普通は史料を元にしていろいろ考えるものですが、史料がないから事実・・・・・アホすぎます。
そのうえ、このどうしようもないアホはこう続けています。

以上のような考察をもとにしていえば、資料が出てこないことを理由に強制連行の事実をかたくなに否認している日本政府の対応は、いかがなものであろうか。こんなことを続けてゆけば、裁判の直接の当事者である韓国だけでなく、広くアジア諸国とその国民の失望をかい、信用を失うだけでなかろうか(p82)(史料、資料という単語はそのまま引用)

 
 何と申しましょうか。まるで、朝鮮人がよくいう「日本にすべて持って行かれたから、今は残っていないが、朝鮮が発祥だ」とか言っているのにそっくりです。
このオッサンは朝鮮人なのでしょうか。
こうも書きます。

 敗戦の混乱時、朝鮮人慰安婦が多く殺されたと伝える史料がある(前掲『朝鮮人慰安婦」--- 朝鮮民主主義共和国からの証言』在日本朝鮮民主女性同盟)。私は、このことは、たぶん真実だと考える。実際、万をもって数える朝鮮人慰安婦の多くは、二度と故郷には戻っていない。帰国後、故郷以外で暮らした者もいたことはいたであろうが、やはり、日本軍によって、敗戦の時に殺されたと考えたほうが合理的である(p100)

 唯一の史料が、北朝鮮の売春婦についての史料。北朝鮮をどうやって調査したのでしょう。どこから、万を数える朝鮮人慰安婦が殺されたという考え方を導いているのかも示さずに、多くの売春婦が故郷に戻っていないという裏付けもなしに、どこが合理的なのでしょう。
(略)
 
http://www.tamanegiya.com/kurahasimasanaoboka.html