日本軍は何人いたのか?(瞬間風速/累計)

    
慰安婦」を巡る議論でどうも基本的なことがよく分からない。
ユーザーたる日本軍人はどのくらいいて、風俗嬢はどのくらいいたのか?
そこでとりあえずおおざっぱなイメージを仮に計算してみる。
                             
日本軍は平時陸海あわせて30万人くらいだったらしい。これは現在の自衛隊と同じくらい。ただし当時の総人口は現在の2/3だから現在に仮託しての存在感は50万人規模か。

<適当な表、たたき台>
    陸軍            海軍
支那+南方+満州+(日本) / 支那+南方+(日本)/ 合計
1930: 0 + 0 + 0 + ( 20) / 0 + 0 + ( 5) / 25
1937: 20 + 0 + 20 + ( 10) /  5 + 0 + ( 10) / 65
1938: 60 + 0 + 80 + ( 50) /  5 + 0 + ( 10) / 205
1939: 60 + 0 + 80 + ( 50) /  5 + 0 + ( 10) / 205
1940: 60 + 0 + 80 + ( 50) /  5 + 0 + ( 10) / 205
1941: 60 + 30 + 80 + ( 50) / 5 + 20 + ( 5) / 250
1942: 60 + 50 + 80 + ( 50) / 5 + 30 + ( 5) / 280
1943: 60 + 50 + 80 + ( 50) / 5 + 50 + ( 15) / 310
1944: 100 + 80 + 70 + (100) / 5 + 50 + ( 65) / 470
1945: 100 + 80 + 70 + (300) / 5 + 50 + (115) / 720

                                                                                                                    • -

累計: 580 + 290 + 640 + (710) / 45 + 200 + (250) / 2735
(戦死:50 + 70 + 10 + ( 30) / 5 + 40 + ( 5) / 210)

さて慰安所大日本帝国および満洲国内では基本的に民間のフーゾク店に任されていたのでこれはカウントしない。
するとユーザーたる海外派遣軍の総数は580+290+45+200=1115万人となる。
(ところでこの数は戦死による追加投入者を含んでいないと思われるので、派遣総数は同地域での戦死者165万人を足して1280万人となるが、戦死による交代なのでのべ人数は上の数字で良い。)

(再録:海外派遣軍)
   支那+南方
1937: 25 + 0 = 25
1938: 65 + 0 = 65
1939: 65 + 0 = 65
1940: 65 + 0 = 65
1941: 60 + 30 = 110
1942: 60 + 50 = 140
1943: 60 + 50 = 160
1944: 100 + 80 = 230
1945: 100 + 80 = 230

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累計: 580 + 290 + 640 = 1190

(どうもサヨクのひとは「日本軍による性暴力被害者」の数を増やしたいらしく、朝鮮・台湾・満洲はもとより日本国内の慰安所も考慮に入れているが、それら地域は基本的に日本の勢力圏内で民間のフーゾク店で事足りたわけであり、現在日本国内のピンサロ従業員も日本政府による性暴力被害者だ、というような極論でもみとめない限り問題を徒に拡大する党派的見解と思われるので無視する。)
ともかく、中国戦線、南方戦線に派遣された将兵のべ1100万人がユーザーであるとする。
次に兵隊は一体月何回慰安所に通えたのか?という問題があるが、だいたい月1回の休暇時にいったものらしい。もちろんもっと条件の良いところでは2〜3回というのもあったらしいので敢えて多めに1.5回とする。すると、1100万人・年×12ヶ月/年×1.5回/月=2億回の利用があったことになる。
つぎに慰安婦1人あたりの仕事量であるが、利用時間は一日30分平均、12時間勤務なら24人相手にできる計算だが、身体を壊さないように10人としよう。そのうえで休暇は3日に1回とすると200回/月・人。で1年働くと2400回/年・人の処理量。単純計算で10万人・年の慰安婦がいたことになる。意外と少ない。8年でわると1.25万人/年である。まぁ日米開戦以降に急増したとしても最大時に3万人は超えないと思われる。よって慰安婦は平均1〜3万人、累計で10万人程度が存在したと想像される。
なおこの場合慰安婦は2円/回の料金として売上4800円、諸費用を控除しても3000円を稼げる。これは現在価値で600〜1500万円の純益。実はこれは現在のソープ嬢の稼ぎにとても近い。慰安婦の場合危険値手当がつくし現代の風俗価格は当時よりずっと高騰しているけれど、意外に符合するので驚く。
因みに慰安婦の半分は日本女性と思われ、朝鮮人は最大でも30%程度と推定されるので累計3万人。朝鮮人慰安婦経験者は実は最大でも1万人程度なのではないだろうか?60年後に生き残っているのは、朝鮮戦争もあったことだし2割程度として数千人もいないだろう。名乗りを上げているのが数百人というのともイメージあう。
         
別の計算。1942年以降海外にいた日本軍平均100〜200万人に対して慰安婦2万人とすると、慰安婦1人あたり最大100人のユーザー数。100人の兵士は月に1〜3回利用すると月当たり150回の利用。労働日20日/月とすれば7.5人/日・・・ちょっと少ない。もっと利用があったか、慰安婦が少なかったか・・・
       
ところで全然別の話なのだが、米国の軍人数は意外だった。
1945年頃の日本軍人/人口=600万人/1億人にたいし、米国=1200万人/1.4億人。「軍国主義日本」より軍人比率高い!?
       

第8表 陸海軍現役軍人数の推移(単位 千人)

年末現在 総数 陸軍 海軍
1930年 250 200 50
1937年 634 500 134
1941年 2,411 2,100 311
1942年 2,829 2,400 429
1943年 3,808 3,100 708
1944年 5,365 4,100 1,265
1945年 7,193 5,500 1,693
     
〔備考〕1)1945年8月現在数。2)陸・海軍省調べ,労働省編「第二次大戦中の日本における労働統計」による。
URL:http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji1/table/036-8.html

アジア太平洋戦争中に海外にいた兵員数としては、1942年時点で232万人、 1945年8月時点で351万人という数字が知られています。海外でも慰安所のなかった地域もあり、逆に内地にも慰安所はありましたから、「慰安婦」数を推測する上での基数としての兵員数を平均300万人と見るのは、おおむね妥当でしょう。
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/hatsugen/ianfu-ninzuu.htm

日本陸軍人数)
1941年:満洲80万人・シナ60万人・南方30万人・本土50万人=220万人
1945年:満洲70万人・シナ100万人・南方80万人・本土300万人=550万人

TITLE:旧日本軍★ビギナー向け解説
URL:http://cb1198f.web.infoseek.co.jp/bg.htm

<1945年度>
軍事支出は829億ドル=GDP2,231億ドルの37.5%=政府支出927億ドルの89.5%。
軍人1500万人(文民300万人)+軍需産業従事者1100万人/総人口14000万人
<2005年度>
軍事支出は5,218億ドル=GDP132,466億ドルの4.0%=政府支出26,554億ドルの19.7%。
軍人200万人(文民60万人)+軍需産業従事者400万人/総人口30000万人
         
URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD