慰安婦募集への軍の関与

nyankosensee2007-07-01

   
編集長が替わってからの『諸君』が変だ。
なんだか米国に迎合するような路線に変わった気がする。
やっぱり副島さんが言っていたように「戦前日本肯定の右翼どもは米国から疑いの目で見られ総退場」の結果なのかな?
   

 また一方で、軍は慰安所に無関係だった、あれは民間が勝手にやったことだという意見も耳にするけど、そんなことはない。僕は「慰安婦募集の一記録」という一文を書いたことがあります。満州にいた関東軍の第六国境守備隊隊長だった菱田という大佐が、北満州の西崗子という町に、軍の管理する慰安所を作ったという話です。
 この人は、大佐には珍しく下情に通じた人だった。士官学校陸軍大学校など日本の軍人養成学校の欠陥は、軍事は教えても人間のことは教えてなかったことじゃないかと思うんですが、そのなかで珍しく兵隊の気持ちのわかる人だった。例えば、駐屯地にいる軍人、軍属の家族に「婦人の下着類を望楼から見えるところに干さないでくれ」という通達を出したことがある。望楼から双眼鏡で監視している兵隊を刺激しないように、という配慮なんですね。
 彼の慰安所計画は、憲兵隊長の強い反対にあいます。”民間人がやるならともかく、軍みずから慰安所を作るなんてとんでもない”と。しかし、菱田部隊長は”君たちは料亭の女を占有しているからよい。兵隊たちは性の処理をどうするんだ”と反論して、これを認めさせた。民間人に任せると性病がこわいし、それならいっそ軍がしっかり管理して、慰安婦たちにも安心して働いてもらおうというのが菱田大佐の発想なんですね。
−その話は直接聞かれたんですか?
伊藤 菱田大佐の部隊にいた人に詳しく聞きました。その慰安所は、「満州第十八部隊」と名づけられました。
 慰安婦は、朝鮮の慶尚北道慶尚南道で募集し、志願してきた女性は軍属として、法任官待遇とする。玉代は四十分一円五十銭。衣食住は軍持ち。前借も無制限、無利子で自分の稼ぎによって返済する。つまり、稼げば稼ぐだけ、前借りしている金を返すことができるわけです。民間の慰安所の場合、楼主夫婦をお母さん、お父さんと呼んで疑似一家の構成にしているから、稼いでも途中でピンはねされてしまうという弊害があった。しかし、軍の慰安所にはそういう心配はもちろんありませんでした。
 そのほか、軍は、管理はするけれど生活には干渉しないとか、そういった条件をきちんと謳って募集したんです。
−女性たちは集まったんですか?
伊藤 たちまち二百人集まったそうです。募集地を慶尚道にしたのは、あの辺りの女性は気質もいいし団結も強い、という理由だったようです。慰安所の建物は、松、竹、梅と三つあって、一人に一部屋があてがわれた。壁に掛かっている慰安婦の外套の襟には、軍属のマークが縫いつけられている。判人官のものですから、上等兵より階級は上なんですね(笑)。嫌な客は断ることができるし、兵隊たちは女性たちの機嫌をとり、乱暴せず、節度がある態度で遊んだそうです。
−なんだかユニークなお話ですね。
               
[『諸君』2007年7月号p149-150「若き世代に語る日中戦争」]