アジア的停滞

お、面白すぎる!ほんとの話なんか、コレ?
 
マルクスが中国を念頭に置いてアジア的停滞を指摘したのは有名だ。
地勢が運命を決定するということで、要するに、チャイナはいつまでもチャイナに過ぎない、という結論だ。
最近では兵頭28先生が中華秩序(古代奴隷制)は変われない、と述べている。
個々の西欧化したインテリしか友人にいないアメリカの親中派には想像も付かない闇が支那大陸を通歴史的に覆っているのだ。
加藤さんはどっちかといえば親中派だと思うんだが、意外にネガティブなことも指摘するのでますますファンになりました。

加藤嘉一の「脱中国論」現代中国を読み解く56のテーゼ
10年後の中国は“赤い帝国”マオイズムの下で社会改良は困難
加藤嘉一
2011年6月30日(木)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20110628/221167/
(略)
 「加藤さん、“赤い帝国”か“真の共和国”、どちらに進むかは権力闘争の延長あるいは背後に潜むイデオロギー闘争の問題だと言ったよね。この議論をする際、メディアが注目する『左派』と『右派』間の争い、そこから形成される表面的な世論だけに注目していてはいけないよ。より大切なのは、人民解放軍を含めた共産党内部における“党内世論”なんだ」
(略)
 「イデオロギー闘争の両サイドは、今に至っても、けっきょくは毛沢東VS蠟小平なんだ。図式から言うと、毛沢東思想を信奉する左派が“赤い帝国”へ、蠟小平理論に傾倒する右派が“真の共和国”へと中国を導く。毛沢東は大躍進や文化大革命など極左路線を歩んで、中国の発展を大幅に後退させた。蠟小平は幾度にもわたる失脚を乗り越えて、改革開放を唱え、市場経済を中国にもたらした。両者の違いは歴然としている」
(略)
 「それでもイデオロギー闘争の根幹にあるのは毛沢東VS蠟小平なんだ。共産党首脳部、そしていまだに存在する長老派たちは、この対立の視点から闘争を眺めているんだ。そして、問題は、2012年という政治の季節を前にして、毛沢東思想(マオイズム)が明らかに優勢を占めていることだ」
(略)
 「加藤さん、中国の今を代表する問題って何だろう。貧富の格差、社会の不公正、腐敗の横行、物価の高騰、就職難、福祉の欠如など、発展の過程で、つまり市場経済を推進する渦の中で発生する自然な現象だ。ただ民衆の不満はたまっている。党内からの批判も高まっている。『毛沢東時代はよかったなあ。確かに貧しかったけど、みんな同じように貧しかった。別に俺だけが苦しいわけじゃなかった』という世論が広がることは自然だと思わないかい?」
(略)
 「よって、マオイズムは現在、『左』を中心にかなりのファンを集めている。それが『唱紅』の予想以上の普及に表れているんだ。一方、蠟小平という人間及びその理論は、実は『右』からも『左』からも嫌われている。『左』が嫌うのは想像に難くないだろう。社会主義を半ば否定する形で市場経済を導入したんだから。一方、『右』から嫌われるのは、彼が『天安門事件(六・四事件)』を武力で鎮圧したからだ。蠟小平って、微妙な存在なんだ。ファンが多いようだけれど、実は、共産党内部・知識人からは、好かれていない。孤立しているんだよ」
(略)
 「胡錦濤を含む今のリーダー、そして次のリーダーにとって、マオイズムが勢いを増していく環境下で社会改良を推し進めるのは容易なことではない。社会の不公正や発展の矛盾が広がれば広がるほど、党内の長老派、人口の多数を占める中高年者たちは『昔のほうがよかった』という幻想を抱くようになる。そして、党内や社会における既得権益者たちは、自由や民主主義、法治主義などが根づけば根づくほど、自らの権益が侵されることを恐れ、ポピュリズムに走る。戦術としてマオイズムに肩入れし、大衆を煽りながら、改革派を潰そうとする。ノスタルジア既得権益。向こう10年で、この流れは一気に進むかもしれない」
 
 筆者は黙って聞いていたが、ここで口を挟んだ。
 
 「つまり、W先生の見方では、向こう10年以内に、中国が“赤い帝国”と化してしまう可能性の方が高い。“真の共和国”を目指す派閥は劣勢に立たされる、ということですね」
 
 W氏が目をつぶったまま、静かに口を開く。
 
 「そうだ」
 
 窓は開いたままだ。寂しげな空気が流れ込んで来た。生ぬるいだけに、重い。
 
 「加藤さん、歴史的に見て、この傾向が何を意味するのか分かるかい?」
 
 筆者は考え込んだ。歴史の後退を意味することだけは確かだが、なかなか適当な言葉が思い浮かばずにいた。
 
 「。。。。。。」
 
 W氏がため息をついた。
 
 「Back To The Futureだよ。それも中国版のね」
 
 初対面だったが、思いっきり意見をぶつけ合った。食事を摂ることも忘れ、夜中の2時まで約8時間、コミュニケーションを続けた。W氏は「散歩ついでに」と言って、筆者を送ってくれた。ほとんど会話もせずに、15分ほど歩いた。
 
 ホテルが見えてきた。筆者は切り出した。
 
 「W先生、ここまで来れば、帰り道は分かります。今日はたいへん勉強になりました。ありがとうございました。もう遅いですし、先生もこの辺でお帰りください」
 
 W氏は筆者の挨拶にはいかなる反応も示さず、これまでの人生を振り返るように、そして筆者にもたれかかるように、回想を語った。
 
 「俺の人生は失敗だったのかな。祖国に対して何ももたらせなかったようだ」
 
 「。。。。。」
   
 筆者は言葉を返すことができなかった。ただ右手を伸ばし、握手を求めた。互いの苦悩を分かち合うように。10秒ほど手を握り合った。そして、何事もなかったかのように、互いが歩みべき方向に足を運び始めた。
 
 まん丸のお月様を見上げながら。