三国人の横暴 by 木田元


  
木田さんといえばネオ赤の元祖のようなどっちかといえば左巻きの人だけど、その回想録にさりげなくこんな証言が出てくるのが侮れないw
  

 
私の履歴書
木田元
⑭危うい兼業 教務の傍ら闇米運び 学校へ通える同級生羨む
日本経済新聞40面10年9月15日)
 
   
(略)
 私が選んだのは、週末に東京まで闇米を運ぶ仕事だった。これなら、新庄にいたころ幾度も東京の親戚に届けさせられていた下地があった。
 知人に頼んで米を買い集めておいてもらい、それを週末の夜行列車で東京まで運ぶのだが、鶴岡駅からでは窓からでさえ乗れないので、2駅もどって余目駅から乗り込む。
 みな同じことを考えるので、夕方になると大勢の担ぎ屋が余目に集まり、荷物を真ん中に積み上げ、まわりに円陣をつくって記者を待つ。それを取り締まりの警官と進駐軍のMPが空に向けてピストルをぶっぱなすこともある。
 そこに8時ごろ秋田始発の夜行列車が入ってくる。みなわれがちに荷物を抱えて窓から乗り込む。入り口からなどまったく乗る余地がない。
 だが、なかにガラガラ空いている車両がある。秋田から朝鮮人が占拠してきた車両だ。私はそこの窓から荷物を投げ入れ、自分も乗り込むことにしていた。「入ってきたら殺すぞ」と凄まれても、「乗ってからにしてくれ」と言って、強引に乗り込む。
 実際になぐられもするが、少し我慢していたら、親分風の女性が「そのくらいにしておき」と停めてくれたこともある。毎週のことなので、やがて顔見知りになり、引き上げてくれるようにもなった。
(略)