”爽やか”だった大東亜戦争 (Voice 2008年9月号)

Voice (ボイス) 2008年 09月号 [雑誌]

Voice (ボイス) 2008年 09月号 [雑誌]

     

鶴見 雑音が多くてよく聞こえなかった。でも、私は日本が負けることを事前に知っていましたから。
上坂 (略)
鶴見 持病の結核がひどくなって辞表を出していたので、当時は休職扱いでした。海軍からではなく、ハーヴァード大学からの付き合いで、のちに一橋大学学長を務めた都留重人さんから聞いたんです。彼は昭和十七年にハーヴァード大学から戻ったあと、特使としてソヴィエト・ロシアに派遣されました。都留さんが帰国されたと聞いて、私は戸山ヶ原の近くにある外務省の分室に会いに行った。昭和二十年五月十日。敗戦の三ヵ月前でしたね。そうしたら彼が「もうすぐ戦争は終わるよ。日本もアメリカも、支配層は天皇制を残す決断をした」と。
上坂 あの時点でそんな情報を掴んでたなんて、信じられない。
鶴見 アメリカの中枢で人の入れ替えがあって、対日強硬派の連中が退いていた。代わりに天皇好きのライシャワーやグルーが実権を握るんです。彼等は長年日本にいて、天皇を追放したらどうなるかを、二・二六事件などで目の当たりにしていた。だから天皇制を受け入れる方向に舵を切ったんだと思います。都留さんは付け加えました。天皇制をどういう形で残すか、以降のことはわれわれ日本人の問題だと。
(略) 
上坂 あのとき国民としては、天皇の命さえ助けてくれればいいと思っていたんじゃないかしら。私は、迷わず真っすぐ前方を向いた当時の空気を、悪くないと感じていました。モンペを穿いて、防空演習をやって、神風が吹くと思って「欲しがりません、勝つまでは」といっていた時代は、私にとってどこか爽やかな思い出なの。
鶴見 その爽やかさは私も感じた。東京大空襲のとき、私は信州から帰ってこようとして、大宮駅で降ろされたんです。大宮から何度も乗り換えて最後に渋谷に着いて、そこから麻布の自宅まで歩いた。そうしたら麻布十番の崖下から、焼け出された人たちが歩いてくる。それがとても元気で陽気だったのに驚きましたね。
上坂 負けるもんか、という気概に驚いたんですか?
鶴見 いや、日本とアメリカはここまで違うか、と思ったんだ。アメリカ人は築き上げた財産をすべてなくしたら、陽気に歩くなんてできない。あお異様な感じ。日本人は偉いと思ったね。民族の力を感じました。
(略)
上坂 だから、鶴見さんと話すのは好き。一般にインテリは「戦時体制下の心境を爽やかとは何事か!」と怒りますよ。
鶴見 私は進歩的知識人でも、マルクス主義者でも、共産党員でもありません。右も左もない。あるのは真っ当かそうじゃないか、それだけです。 
上坂 都留さんから、天皇制を残すか残さないかはわれわれ次第と聞いたとき、どうお感じになりました?
鶴見 私は子供のときからずっと、天皇に対する反感はありません。六歳まで祖父の後藤新平が生きていて、孫を自分の周りに呼び寄せては「愉快、明治の御代は」っていつも喜んでいましたから。(略)
   明治天皇京都御所にいたとき、貧乏でろくなものを食べていませんでした。初めて江戸城に入ったとき、「江戸城は広いな」といったらしいけど、そこで薩長が女官を追い払って若者たちに天皇の補佐をさせた。十歳そこそこで屈強な若者が付けば当然、彼らを理想化します。しかも、彼らの上には西郷がいた。西郷はきわめて質素で、身なりも構わず宮中をノコノコ歩く。その西郷によって江戸城開城がなり、幕府が倒れた。明治天皇にとって、西郷は若きころのヒーローなんです。だから西郷が自害してから宮中の歌会を開いたとき、明治天皇は「西郷を謗らずに歌をつくれ」といった。明治天皇はそうとうな人だったと思います。
上坂 私も、戦争を共に生きたという理由で、昭和天皇への反感はありません。
鶴見 私も昭和天皇に好感をもっています。まして今上天皇、皇后に対しては大変な共感をもっている。だってあのお二人が、一所懸命日本国憲法を守っているじゃないか!下にいる総理大臣は違うのに。
上坂 憲法は国民が守るもので、皇室がとくに固執することはないと思うけど。
鶴見 しかし今上天皇は「桓武天皇の生母が百済武寧王の子孫であると『続日本紀』に記されていることに、韓国とのゆかりを感じます」ともいっている。偉いものです。
   美智子皇后も素晴らしい方です。スイス・バーゼル国際児童図書評議会のスピーチで、竹内てるよの『海のオルゴール』に収録された「頬」を紹介されましたが、あの詩は大正時代のアナボル論争でアナルコ・サンディカリズムが負けたとき、アナ派のマドンナといわれ、離婚して隅田川べりのボロ屋に住んでいた人が、家と子を奪われた悲哀をうたった詩です。美智子皇后はその事情をご存じとしか思えないご発言がある。皇后は何者か、ということです。美智子皇后は姉の和子に対して、彼女の学友だった女官を通して「宮中まで来てほしい」とお呼びになったことがありました。そのとき、「あなたがこのあいだの講演で慰安婦の問題を取り上げてくださって、とてもありがたかった」とおっしゃった。(略)
上坂 それにしても天皇制ってこの先どうなるんでしょう。
鶴見 過去の日本に何かいいものがあるとして、その過去の象徴に天皇がいる。天皇制は大切にしなければならない。
上坂 私も無意味とは思いません。昭和天皇の御大喪のとき、とくにそれを感じました。室町時代から天皇の輿丁として存在した八瀬童子が姿を見せたりして。ああ、こういうしきたりはもう、天皇家以外には残っていない。日本文化の遺産だと感じたものです。
鶴見 天皇制を含めて、千数百年の日本の伝統を見れば、いいものはたくさんある。世界に誇れる文化がある。
(略)
鶴見 私も参拝に行っていました。たくさんの人が、たとえ戦争がまずいと思っていても、死ななければならなかった。それに鞭打つような真似はできない。ただ頭を下げます。丸谷才一は「鶴見は戦争中に死んだ人間に生ぬるい」というけれど、けっして吉田満の作品の悪口なんかいえないんだ。
上坂
鶴見 当然です。それが死んだ人間に対する敬意ですよ。
(略)
   
[p158-167]