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頼母子講ってのはつい最近まで庶民金融の柱だった。
ソウルの市場でも角ごとにおばちゃんが陣取っていたものだ。
そんな庶民金融が中国でもグローバリズムのなかで崩壊しつつあるというお話。
中国新聞趣聞〜チャイナ・ゴシップス
“優しい闇金”が崩壊する やり場のない怒りと不満がはらむ怖さ
福島香織
2011年9月28日(水)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20110927/222823/?mlt
(略)
中国では、今ある地位やカネ、財産も一夜にして失う可能性がある。たとえば汚職や政争で敗れて失脚し、財産を没収されることもある。そういう、一夜にして金持ちが貧しくなり、貧しいものが成り上がる波乱の時代を知っている人たちは、使わない余分のカネを友人に貸すのは当たり前。「銀行に預けるより安心、くらいに考えている」というのだ。銀行に預けたカネは没収されることがあるが、カネに困っていた友人に貸してやったカネと恩は没収されない。自分が困ったときに、遠慮なく頼れる友人がいる、という安心感が借金の担保なのだ、と。「だから、お金を貸して、早々に返されると恩を売りきれなかった、と悔しいくらいだ」
そういう人間の信頼関係を基礎にしたカネの貸し借りが、いわゆる正規金融とは別のところで長年、中国の庶民経済を支えてきた。
(略)
そしてこういうリスクは単純に経済の問題だけでない。かつては借金を返してもらえなくとも、恩という鎖で強固にした人間関係を頼っていかなる波乱、動乱をも乗り越えることができた中国人だが、現代の民間金融では、こういう報恩の人間関係は築けない。人間関係ではなく、利子の高さだけを動機としたカネの貸し借りの破たんは、多くの庶民のやり場のない怒りと不満を生む。その怒りと不満の爆発こそ、“優しい闇金”のはらむ怖さだろう。