自民党のキーパーソン河野太郎かく語りき

管が原発選挙をするなら自民党河野太郎をたてるしかない。
現実的な脱原発と経済の両立を訴えれば勝てる。

ポスト3.11の論点 日本と日本人の選択肢
【第27回】 2011年7月8日
河野太郎原発再生可能エネルギーの未来を斬る!
「破綻した核燃料サイクルは根本的に見直すべき。再エネ法を成立させ、2050年の“脱原発”を実現せよ」
http://diamond.jp/articles/-/13041
 
――東日本大震災とそれに伴う福島原発事故は、未曾有の被害を日本にもたらした。世間では、「脱原発」の声が盛り上がっている。以前から日本の原子力政策について踏み込んだ提言を続けて来た河野議員は、足もとでどんな意見を持っているか。
 
 そもそも私は、原子力政策と言うよりも、核燃料サイクルのあり方について提言を続けてきた。核燃料サイクルの焦点となるのが、高速増殖炉放射性廃棄物の最終処分だ。高速増殖炉は、ウランを燃やしてできた使用済み核燃料からプルトニウムを取り出し、プルトニウムを燃やしながら発電し、同時にプルトニウムを増やそうというものだ。資源の有効利用を図る目的で進められていたが、今や高速増殖炉は大きな壁に直面している。
 
 1967年に策定された長期計画では、1980年代後半までに高速増殖炉を実用化するという目標が示されていた。しかし、長期計画が改訂されるたびにどんどん実現性が遠のき、今や2050年までズレ込んでいる。
 
 政府は使用済み核燃料を全量再処理して、残った高レベル放射性廃棄物を最終処分するために、「2028年までに候補地を見つけ、2038年までに施設を作って最終処分を始める」と言ってきた。しかし現状では、候補地探しどころか公募に応ずる自治体すらない。
 
 高速増殖炉の実用化が進まないなかで、核分裂性のプルトニウムはどんどん溜まっていく。核廃棄物の処理の仕方が決まっていないのに、ゴミを出し続ける原発を何十基も増設するなど、本来なら恐ろしくてできないことではないか。
 
 こうした国の政策に対する疑念や不安は、今回の東日本大震災に伴う福島原発事故によって、決定的になった。もはや従来計画による核燃料サイクルは完全に破綻している。我々はこのへんで一度立ち止まり、根本的に考え直す必要がある。
 
――今考えれば、明らかに実現性に乏しい核燃料サイクルのあり方が、今日に至るまであまり問題視されてこなかったのは、何故だろうか。
 
 背景には、政党、官僚、企業から大学、メディアまでを含む利権構造が横たわっている。経産省などでは、再処理のあり方に異を唱えた人もいたが、そのほとんどがパージされていなくなってしまった。こうした体制により、総括原価方式による電気料金の徴収、発送電の一体化、電力会社の地域独占など、極めて不可思議な電力供給体制が守られ、原発が増え続ける背景となってきた。
 
2050年には全ての原子炉が廃炉に 再生可能エネルギーへの転換を急げ
 
――今回の震災を機に、日本は原子力政策をどのように見直すべきか。世間には、「今すぐ全ての原発を停止して廃炉にするほうがいい」という声も少なくない。
 
 今回のような大事故が起きた後に、新しい原発をつくることは現実的ではない。とはいえ、今すぐ全ての原発を止めてしまえという意見は、あまりにも乱暴だ。
 
 原子炉の耐用年数は一般的に40年と言われているが、日本ではこの10〜20年の間に、多くの原発が耐用年数を迎えることになる。このまま行くと、2050年には全ての原子炉が廃炉になる。それを見据えて、今から代替エネルギーへの転換を目指し、合意形成や技術開発を進めていかなくてはならない。
 
 定期点検に入った原発を動かす際には、原発は最低限いくつ必要か、最も安全性を担保できて効率的な原発はどこか、そしてどの原発をどれだけ動かすべきかを、政府がきちんと責任を持って国民に説明するべきだ。
 
 また、コンピュータによるシミュレーションでストレステストをきちんと行ない、ハードウェアの安全性を確認すると共に、電力会社の経営やオペレーションなどのソフトウェアも厳しく安全性をチェックすべきだ。
 
――東京電力については、どんな処理スキームが理想的だろうか。政府が発表した東電の救済スキームは、東電を守る目的で国民に税金や電力料金の値上げを強いるというイメージが強く、「責任逃れ」という批判が募っている。
 
 東京電力は、事故の賠償金と原発廃炉費用で間違いなく債務超過に陥る。現実的には、法的破綻処理を行ない、一時的に国有化するしかない。波紋は大きいと思うが、最初に責任を負うべき経営陣は総退陣し、株主も100%減資を受け入れるしかないだろう。金融機関も責任をとるべきだ。
 
 国有化することは、ゆくゆく発送電の分離をスムーズに進める上でも有効だし、これ以上原子力発電を民間の電力会社が行なうのは無理だと思う。政府は東電に大きな痛みを負わせない救済スキームを考えているように見えるが、これは現実的ではない。
 
 こうしたスキームが唱えられる背景には、一般会計を傷つけたくない財務省の意向が関係しているという話も耳にする。それが本当だとすれば、民主党は政治主導と言いながら、結局官僚主導から逃れられていないことになる。
 
「再エネ法」そのものには賛成 問題は政権与党内の見解不一致
 
――「脱原発」の世論が高まるなか、原発に依存しないエネルギー政策への転換が具体的に議論され始めた。民主党は、再生可能エネルギーを用いて発電された電気を、国が定める一定の期間・価格で電力事業者に買い取らせる方針を軸にした「再生可能エネルギー特別措置法案」の成立を目指している。これをどう評価するか。
 
 再生可能エネルギーを増やしていかなければ、「脱原発」は実現しない。私は、法案そのものには賛成だ。
 
 我々は2000年頃、議員立法で同様の法律をつくろうとして、潰された経験がある。同じ頃に法律ができたドイツでは、再生可能エネルギーの利用が予想以上に広がっている。送電と発電の一体化が前提になっているなど、修正を行なうべきポイントはあるが、この法律の意義は大きいと思う。
 
 最大の問題は、それを進めているはずの政府の見解が統一されていないことだ。菅首相は国内で「脱原発」と言いながら、国際会議では「日本の原発発展途上国にたくさんつくる」と発言するなど、対外的にちぐはぐな印象を与えてしまっている。
 
 また政府内でも、国家戦略室が「原発は今後もエネルギーの柱」などと言っており、菅首相が言っていることと辻褄が合わない。まずは身内で意見を統一し、外に向けてアピールできる体制をつくることが先決ではないだろうか。
 
電力買い取りを義務化することにより市場開放が進んでむしろ電気料金は低下
 
――コスト面に関しては課題もある。再エネ法が成立し、電力の買い取りが義務化された場合、エネルギーコストが4割高くなるという試算もある。電力供給の末端で電気料金を負担する国民の生活に、影響は出ないだろうか。
 
 あまり議論されていないが、リーマンショック後に電気料金は相当上がっているはずだ。今後も燃料調整などの関係で、100円単位で上がっていく可能性が高い。再エネ法によるコスト増を議論するなら、リーマン以降のコスト増も一緒に議論されるべきだが、そうなっていない。
 
 また、現在の電気料金が高いそもそもの原因は、今の電力供給体制にある。その体制が壊れて、新たな発電事業者が参入してくれば、いい意味で市場原理が働くようになる。そうなれば、技術革新などに伴って供給コストが減り、むしろ料金は下がっていくと思われる。
 
 結果的に、再生可能エネルギーの買い取り価格を上乗せしても、国民が負担する料金はトータルでほとんど変わらないか、むしろ安くなる可能性が高い。
 
 このまま中国やインドの電力消費量が増え続ければ、化石燃料の価格は右肩上がりを続けるだろう。再生エネルギーを増やすことは、日本経済にとっても重要なリスクヘッジになる。現在日本が燃料輸入にかけるコストは、23〜24兆円にも及んでいる。そのコストの一部でも再生エネルギーに回せば、海外へ流出するおカネがそれだけ減っていくことにもなる。
 
――近い将来、日本が再生可能エネルギーへと軸足を移していくとしたら、最も将来性の高いエネルギーは何だろうか。
 
 私は「地熱」に注目している。日本における地熱のキャパシティは相当大きく、地熱発電のタービンも世界シェアの7割を日本が占めているからだ。
 
 昔からエネルギーとして地熱に注目する動きはあったが、原発に対抗するエネルギーの開発に難色を示す旧通産省と、国立公園を地熱発電の開発に提供したくない旧環境庁とが1970年代に覚書を交わし、「これ以上国立公園内で地熱発電を開発させない」という合意ができてしまった。以来、地熱発電の開発は進まなかった。
 
 今後はこの方針を転換すべきだ。日本は地熱発電に関して技術と可能性を持っているので、あとは開発する地域といかに合意形成の枠組みをつくるかが重要となる。
 
再エネ法が「政局がらみ」と言われるのは国会への責任の押し付けに過ぎない
 
――辞任を匂わせて内閣不信任案決議を否決に持ち込んだ菅首相は、いまだ身を引く時期を明らかにせず、再エネ法の成立を延命の言い訳にしているフシがある。足もとでは、「脱原発解散」の可能性まで囁かれ始めた。河野議員は「問題が山積みのときに国会を閉じてはいけない」と会期延長に賛成した1人だが、本来なら延長国会で真摯に議論されるべき再エネ法が、政争の具にされてしまうリスクはないか。
 
 再エネ法に関しては、よく「政局がらみ」と評されており、民主党内からも批判が出ている。しかし、本当に菅首相を辞めさせたければ、民主党の執行部や閣僚が全員辞表を出せばいいだけの話だ。そうなれば、さすがに菅首相は続けられない。
 
 菅首相を辞めさせられないのは、民主党の統治能力が欠如している問題が大きい。責任を国会へ押し付けないで欲しいと思う。
 
 また、「脱原発」を焦点にした解散の可能性は低いだろう。もしそうした動きが出始めたとしても、おそらくその前に与野党の若手の間でエネルギー政策に関する合意ができるはずだ。現に、そうした動きは中堅・若手議員の間で広がっている。民主党自民党のどちらが政権をとってもエネルギー政策の方向性が変わらないとなれば、菅首相は手の出しようがなくなるだろう。
 
――その意味で言えば、エネルギー政策を軸に理想を共にする人々が集まり、政界再編が進むかもしれない。
 
 エネルギーは政策の1分野でしかないので、それに伴う政界再編が起きることは考えづらい。政界再編は、「経済成長を重視するか、それとも社会への再分配を重視するか」といった、もっと根本的な理念によって起きるものだ。電力市場のあり方など、具体的な議論はその後に続くものだ。
 
――70日間延長された今国会において、民主党は有効なエネルギー政策の道筋をつけられるだろうか。
 
 会期延長が決まってから、一週間以上も本会議や委員会が開かれない状況では、その望みは薄いだろう。政治がもう少しまじめにエネルギー問題と向き合う姿勢を見せないと、話が進まない。
 
 国会が開かれていても何も物事が進まない状況を見て、国民の失望も広がるだろう。「政治が足を引っ張るのだけは勘弁してくれ」というのが、国民の切羽詰った声かもしれない。
 
原子力政策を推し進めてきた自民党は「次にどうすべきか」を真摯に議論すべき
 
―― 一方で、これまで原発政策を推し進めてきた自民党に対する風当たりも強くなっている。自民党は、今後エネルギー政策に対してどんな方針をとるべきか。
 
 半世紀にわたって原子力を推進してきた反省は、やはりきちんとすべきだ。オイルショックの時代に石油依存の体制から脱却する必要に迫られ、原子力を重視したこと自体は間違っていないと思う。
 
 しかし、ある時点から本来の理想が歪み、電源三法を軸にした利権構造の中に入り込んでしまった。原発は大気汚染、土壌汚染、水質汚濁など全ての汚染要件の適用外とされ、だんだんと安全性に対する意識も薄くなってしまった。こうした責任についてはちゃんと認め、「次にどうすべきか」を真摯に考えなくてはいけないと思う。
 
――今後河野議員は、原発再生可能エネルギーの問題について、どんな働きかけを行なっていく予定か。
 
 6月上旬に発足した自由民主党エネルギー政策議員連盟の活動を通じて、自民党のエネルギー政策を転換するよう、働きかけていく。私はこの議連の共同代表の1人でもある。これまで「脱原発」を唱える自民党議員は私くらいしかいなかったが、議連には少なくとも50名の議員と支部長が参加してくれている。議連の主張を、自民党の政策の中にきちんと入れ込んでいきたい。
 
 また6月下旬には、山本一太議院を委員長として、自民党総合エネルギー政策特命委員会も発足している。こちらは党の正式な委員会で、自民党の今後のエネルギー政策の指針を取りまとめる。これら議連と委員会を両輪として、自民党を変えていきたいと思っている。
 
 さらに、自民党民主党公明党みんなの党などを中心に、与野党共通の方向性を協議し、2050年までに脱原発を実現するための取り組みなどもやっていきたい。
 
国民に方向性を示すことが政治家の務め「脱原発」の議論が自分に追いついてきた
 
――原発事故による風評被害などの影響により、国民は国のエネルギー政策に疑心暗鬼を抱いている。今後、再生可能エネルギーへの転換が推し進められても、折に触れて世論の逆風に晒される可能性もある。「脱原発」は本当に進むだろうか。
 
 それは世論のせいと言うよりも、真実を伝えるべき役割を負ったマスコミの責任によるところも大きいと思う。これまでメディアは、原子力政策の問題に関してきちんと報道してこなかった。
 
 政治家、官僚、電力会社と同じく、メディアが国民から「嘘をついていた人々の一員」と見られていたとしても、仕方がなかろう。メディアは信頼を取り戻すために、原発問題をしっかり報道していくべきだ。
 
――河野議員のわかりやすく国民目線の主張は注目を浴びている。しかし、長らく原発を推進してきた自民党内で「反原発」を唱え続けることには勇気がいると思う。どんな信念が河野議員の原動力となっているのか。
 
 政治家の役目は、国民にわかりやすく説明すると共に、方向性をきちんと示すことだ。今まで、それが当たり前だと思ってやってきた。「脱原発」の主張については、私が特別なわけではなく、周囲が自分にやっと追いついてきたと思っている。