さすがミンス党はすごい

被災県知事を手下扱い.。ooO(゚ペ/)/


「おれ九州の人間だから、東北が、何市がどこの県とかわからんのだ」
「(知事が)先にいるのが筋だよな」
「握手は終わってから」
「県でそれコンセンサス(総意を)得ろよ。そうしないと、われわれ何もしないぞ。だからちゃんとやれ、そういうのは」
「今、あとから自分(村井知事)入って来たけど、お客さんが来る時は、自分が入ってからお客さん呼べ」
「いいか、『長幼の序』がわかっている自衛隊なら、そんなことやるぞ。わかった? しっかりやれよ」
「いまの最後の言葉はオフレコです。いいですか皆さん、いいですか。書いたら、もうその社は終わりだから」

@koike_akira 小池晃
http://twitter.com/#!/koike_akira/status/87711419822379008
松本龍大臣の発言は内容も口調も人間として最低。大臣はもちろん国会議員の資格なし。「書いたら終わりだぞ」というマスコミ恫喝は、部落解放同盟の地金が出たものでしょう。

これが言えるのは共産党だけ。だから嫌いになれない小池っち。

松本 龍(まつもと りゅう、1951年〈昭和26年〉5月17日 - )は、日本の政治家。民主党所属の衆議院議員(7期)、内閣府特命担当大臣(防災担当)。
部落解放同盟のナンバー2として知られる。
衆議院国会等の移転に関する特別委員長、衆議院環境委員長、環境大臣(第15代)などを歴任した。
 
生い立ち
福岡県福岡市出身。部落解放の父と呼ばれた松本治一郎の養孫。実家は養祖父の代からのゼネコン・松本組。自身も顧問を務める。
福岡市立馬出小学校から福岡市立福岡中学校、福岡県立福岡高等学校を経て中央大学法学部政治学科卒業。1980年、父松本英一参議院議員)の秘書となる。
政界にて
1990年の第39回衆議院議員総選挙日本社会党から出馬して初当選し、以後7回連続当選(現在は福岡県第1区)。1996年、社民党を離党して旧民主党結党に参加。部落解放同盟副委員長であり、人権擁護法案の推進派である。日韓議員連盟常任幹事。国鉄労働組合のJR採用差別闘争に連帯している[1]。
2000年10月17日、実家の松本組を継いだ実弟松本優三の自宅玄関ドアに約5発の銃弾を撃ち込まれる事件が発生した[2]。
2008年度の国会議員の所得公開で国会議員でトップの8億4366万円の所得を得ていたことが伝えられている[3]。
菅政権
2010年9月17日、菅第1次改造内閣において環境大臣内閣府特命担当大臣(防災担当)に就任し、初入閣。内閣府特命担当大臣(防災担当)を環境大臣と兼任するのは異例。
同年10月に行われた第10回生物多様性条約締約国会議(COP10)の議長を務め、議長案採択にこぎつけた。2010年の閣僚資産公開では保有資産7億6073万円、菅内閣の閣僚の中でも突出してトップであると報じられ、2位の鹿野道彦農林水産大臣の5968万円を大きく引き離した[4]。
翌2011年発足の菅第2次改造内閣でも留任。2011年3月11日に発生した東日本大震災以降は、内閣府特命担当大臣(防災担当)として対応にあたる。2011年6月27日、国務大臣としての担当事項に「東日本大震災からの復興のための施策を政府一体となって推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」[5]が加わった。それにともない、環境大臣を退任した[5]。なお、内閣府特命担当大臣(防災担当)は引き続き兼務する。
(略)
2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震ならびに福島第一原子力発電所事故に際しては、防災担当相を拝命しているにもかかわらず「官邸に引きこもって閣議後の定例会見すら開かない。取材対応も記者との立ち話程度で、原発のことを聞くと『私は担当じゃないから』と逃げる。何をやってるのかさっぱり分からない」(匿名の全国紙政治部記者)[24]「ボンボン育ちで、修羅場をとても仕切れない。地震発生時にはパニックに陥り、以来、会見もできない」(匿名の全国紙編集幹部)[24]「官邸の危機管理センターに詰めていた松本氏がまったくの役立たずで、自衛隊の初動が遅れた」(匿名の全国紙政治部デスク)[24]などと批判されている。「震災が発生した3月11日から数日間、被災地救援や物資輸送が滞り、その後の活動に多大な悪影響を及ぼしたが、松本氏はその"元凶"と目されている」(匿名の「週刊現代」記者)[24]ともいわれる。「防災担当相として松本がやるべき仕事はほとんど仙谷由人が行っており、松本は単なるお飾りと化している」(匿名の官邸スタッフ)との指摘もある[24]。この点に関連して、松本龍自身は7月3日の岩手県知事との会談で「私はボーッとしていたけど、みんなでやってくれた」[25]と述べている。
(以上wiki

松本復興相の発言は的外れ、そもそも村井知事は遅れていなかった
オルタナ 7月4日(月)16時59分配信
松本龍震災復興担当相が3日午後に村井嘉浩宮城県知事と宮城県庁で会談した際、応接室に後から入ってきた知事を叱咤し、「お客さんが来るときには、自分から入ってからお客さんを呼べ」と発言したことに関して、関係者の間に戸惑いが広がっている。そもそも知事は予定に遅れておらず、通常の応対をしたに過ぎないからだ。
 
村井知事と松本復興相の会談が設定されていたのは3日の午後2時15分。宮城県庁秘書室によると「会談時間の数分前に松本復興相を応接室にご案内し、お茶を出したり、報道陣のテレビカメラの設置が完了したのを待って、時間通りに知事が入室した」。つまり、入室が遅れた事実はないという。
 
応接室と知事室は、同じフロアの隣り合わせの場所にある。村井知事は、松本復興相との会談スケジュールに合わせて、秘書が呼びに来るのを執務室で待っていた。県庁で知事の来客がある際には、「誰であっても知事よりも先に応接室へ入室してもらうのが一般的」(秘書課)という。来客が資料を整理しているときなどに知事がその場にいたら、逆に失礼に当たるという配慮もある。
 
会談を設定した秘書課では、「民間も同じ対応をしているはずだし、世間一般に考えておかしくない」と、松本復興相の発言に戸惑いを見せる。
 
また松本復興相は知事に対して「長幼の序が分かっている自衛隊ならそんなことやるぞ」と発言し、後から入室した知事を責めている。松本氏は、自衛官出身の村井氏を戒める意味で発言したのかもしれないが、防衛省によるとそれも正しくないという。
 
「確かに階級のある部内では長幼の序という考えがあるかも知れない。ただ、部外の人と会談するときには当てはまらない。そもそもどうやって上下関係を付けるのか判断できない」(防衛省広報)。
 
さらに松本復興相は4日、首相官邸で記者団の質問に答え、「呼ばれて入ったら(村井氏が)3、4分出てこなかった。だから怒った。九州の人間は、お客さん来るとき、本人はいるものです」と述べるなど正当性を主張したと報道されているが、これも誤解を招く発言だ。
 
松本氏の地元である福岡県庁によると、「庁舎に大臣がお見えになったら、すぐに会場にお通しし、その後、すみやかに知事に入室してもらう。先に知事が応接室で待つことはないし、本人が来客をお出迎えすることも通常はしません」(秘書課)。
 
複数の地方自治体によると、知事と大臣の会談場所がホテルなど外部の場合には知事が先に到着して出迎えるが、庁舎で行われるときには、応接室に先に大臣に入室してもらうのが普通だという。
 
村井知事は4日の会見で「国と地方自治体は主従関係ではない」などと述べ、松本復興大臣の発言に対して不快感を示した。
 
松本復興相が3日の岩手、宮城両県の知事との会談で発言した「知恵を出さないやつは助けない」「九州の人間だから(被災地の)何市がどこの県とか分からん」などの発言は野党が追及する構えでいるほか、民主党幹部からも辞任すべきだとの声が出ている。(形山 昌由)

@ikedanob池田信夫
「なぜあんなのを復興担当にしたんだ」という批判があるが、他の人にすべて断られて、ああいう無能な人物しかOKしなかっただけ。だからこれは松本大臣よりも実権がないのに延命している首相に責任がある。