そのときサラリーマンは

これも記者の震災譚だが、古地図のくだりが(申し訳ないが)笑ってしまった。
それにしても防災無線ってなんなの?
(うるさい日本の私)

2011年3月12日(土)
記者が歩いて帰った20km
脆弱な首都「TOKYO」を実感
白壁達久(日経ビジネス記者)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20110312/218958/
(略)
ところが、取材時間を1時間早く間違えてしまったことに気づく。道向かいにある八重洲ブックセンターで取材用の資料を探しに出かけた。偶然にもそこで「古地図即売フェア」が開催されており、江戸と大坂(当時)の古地図を数枚買い、再び訪問先のビルへ戻った。アポイントまで時間があったため、買ったばかりの古地図を広げて、当時の宿場町を見ていた。東海道では品川や川崎、甲州街道では高井戸などが江戸からの最寄りの宿場町だ。
 「1日でここまで歩くなんて、江戸の人でないと無理だなぁ」。
 そんな思いをはせていた14時46分。建物が大きく揺れ始めたのだ。
(略)
 スマートフォンの電源が切れる。流行りに乗った自分が悪いのか、と自戒の念。
(略)
 都内で毎夕5時を知らせる音は、防災無線のためだと聞いたことがあるが、歩いて帰る途中で、どこにもそれを知らせる放送は聞こえなかった。その後、都心に残された帰宅難民の友人を複数迎えに行ったが、誰もがそのアナウンスを聞いていないという。
(略)