そのときサラリーマンは

典型的な都内サラリーマンの震災体験譚。記者魂に拍手。

2011年3月13日(日)
そのとき東京駅は沈黙した
「帰宅難民」の眠れぬ夜
飯山辰之介(日経ビジネス記者)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20110313/218960/
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 3月11日14時46分。記者は取材でJR東日本東京駅新幹線ホームの地下を訪れていた。突然の激しい揺れ。
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 携帯電話は相変わらず不通。メールも途切れ途切れにしか送受信できない。唯一の頼みの綱は公衆電話。廃れるに任せてきた感があるが、災害時には携帯電話を凌駕する実力を見せ付けた。
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 この時間、東京駅から徒歩数分のところにある百貨店、高島屋の東京店に足を運んでみた。驚くことに、全館を帰宅難民のために開放、店内に備蓄しているパンや水、サイダーなどの飲食物も定期的に帰宅難民のために提供している。

 高島屋東京店総務部人事グループの三浦洋一次長は「帰れない人を放り出すことはできない。夕方には開放を決めている」と言う。

 テナントの従業員を含め1000人近くのスタッフが、帰宅困難の対応に当たっていた。ある女性従業員は高齢者が椅子に座ったまま足を伸ばして眠れるようにと、新しい椅子を用意したり、親子が眠れるように床に敷くダンボールを持ち出したりと必死の世話を焼く。

 「久しぶりに高島屋を訪れたが、ものすごく親切にしてくれている。本当にありがたいです」と70代前後の女性は感慨深げだ。女性従業員は「お付き合いして下さるお客様ですから当然です」と笑顔で応えた。

 館内では随時、地下鉄や私鉄の運行状況を知らせるアナウンスが流される。地下鉄の駅に直通する地下一階の出入り口では、何人もの従業員が、「ありがとうございました!」「お気をつけて!」と地下鉄で帰る帰宅難民を見送る。

 「午後8時くらいにカウントしたところ、館内には1500人のお客様がいらっしゃった。地下鉄が再開したとは言え、いえまだ1000人近くが館内で過ごしているだろう。これからは従業員総出で泊まりの方の対応をしなければならない」。帰宅者を見送りながら、三浦次長は表情を引き締める。
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 マッサージ店の呼び込みをする中国人女性が声をかけてきた。ダメ元で「食べ物はあるか」とたずねると、店内の居間に通される。ご飯にスープ、エノキの炒め物と、賄い飯と思しき質素なメニューだが、空腹にはありがたい。
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