小ウサギ哐哐の2011年賀動画

漏れは『中共崩壊論』には組しないが、民主化進展はあり得ると思っている。
なにしろ独裁ってのは何があっても独裁者のせいにされるので割に合わないからねw
それにしてもこのアニメつくったやつ、すげえ根性。
日本人も逮捕覚悟でエロアニメ作れよ!
 

2011年2月9日(水)
“中東革命”で現実味、次の「天安門事件
中国版ツイッターが情報統制を突き崩す
福島香織
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20110204/218303/
(略)
 中国ではもちろんツイッターへのアクセスを禁じているが、同じシステムを使った国内向けの「微博(マイクロブログ)」があり、これが昨年の初めの段階でユーザー数が7500万人以上に膨れ上がっている。微博上のつぶやきは一瞬でフォロワー全員に拡散し、その数秒後にフォロワーの何人かが自分のフォロワーに転載し、ねずみ算式に情報が伝達される。
 
 ツイッターには、大陸の中国人約20万人がミラーサイトやバーチャルネットワークやプロキシ・サーバーなどを使って登録している。そういう人たちはたいてい中国の微博にもアカウントを持っている。中国の著名コラムニストで2月初旬現在で約3万4000人のフォロワーがいる安替も指摘していた通り、その結果、世界のツイッターと中国の微博は事実上リンクし、例え中国当局が報道統制を敷いても、世界の出来事は統制の網をかいくぐり中国国内に密やかに広がっている。
 
 中国当局は「エジプト」や「ムバラク」という言葉を検閲ワードにして、その用語の検索結果を示さないようにしたらしいが、ムバラクの中国語読みの「穆巴拉克」を「穆小平」、「穆錦濤」などと皮肉をこめた隠語に言い換えて、統制されているはずの微博の中で広がっていった。
(略)
 2010年、中国は「微博元年」と言われるほど微博の社会的影響力が認められた年でもあった。最初の微博は2009年8月に開設された「新浪微博」だが、その新浪微博には中国の記者たちが次々に実名で登録し、本来なら隠ぺいされかねない地方の小さな事件を転載した。それが拡散し、世論喚起する役割を担った。

 その中で記念碑的事件とされるのは、江西省宜黄県の小さな農村で発生した強制立ち退き焼身自殺だ。本来なら地方政府の圧力で封殺されたろう事件だったが、微博記者がこの件を取り上げたことで、全国に知れ渡り、社会の同情と支援を呼び、封殺し切れなくなった。この事件を広めた微博記者は「鳳凰週刊」の敏腕記者で知られる蠟飛で、中国の権威あるメディア関係者に贈られる「華語伝媒盛典」で2010年の年度記者に選ばれた。

 以前、北京で会った時、彼は微博の特徴についてその速さだけでなく「記者も官僚も警察も市民も微博の世界では、その発言力が平等・公平である」「ニュースによって人を連携させる」と評価した。
(略)
 北京では天安門事件後の1993年から2005年まで、市内の爆竹が禁止されていた。それは安全強化の建前を取り入れながら、人々の天安門事件の恐怖の記憶を呼び起さないように、という配慮あるいは警戒によるものだった。2006年に爆竹・花火が市内で限定的ではあるが解禁されたのは、天安門事件の記憶が薄れたという判断と、むしろ爆竹花火に社会不満の鬱憤を晴らす効果を期待してのことだ。
 
 しかし、中国当局が1つ失念しているのは、「天安門事件の記憶が薄れるということは弾圧の恐怖の記憶も薄れていく」ということだ。その証拠に最近のインターネットに散見される若者たちの体制批判の表現は、こちらが心配になるほど大胆過激になっている。
 
 例えば、中国の動画サイトに流れたフラッシュアニメ「小ウサギ哐哐の2011年賀動画」は2010年に中国国内で発生した不条理な社会事件をウサギ(人民)とトラ(体制側)に見立てて揶揄した動画である。最後にウサギは怒りで目を真っ赤に燃え上がらせ、自分も血まみれになりながらトラをかみ殺す。
 
 “窮兎虎を咬む”。つまり、虐げられた人民も今に体制に楯突くぞ、と政権に向かって威嚇してみせたのだ。それは、「08憲章」を起草し、2010年のノーベル平和賞を受賞した劉暁波らの覚悟とは全く違う「軽さ」だけにインパクトがあった。当然、国内では既に削除され、封殺されている。動画作者が今後、どのように処遇されるかが気になるところだ。
(略)